EP 5
勇気と無謀の境界線
天魔窟の探索は、中層のさらに奥、地下深くの広大な空洞へと差し掛かっていた。
鍾乳洞のように天井が高く、ひんやりとした空気が張り詰めている。これまでの通路とは明らかに違う、濃密で殺気立った魔力が空間を支配していた。
「……空気が重い。ボスの部屋ってやつか」
優太が薙刀を軽く回し、周囲を警戒する。
「ええ。これまでの雑魚(エビ天)とは比べ物にならない、単一の強力な生体反応が上空から迫っているわ」
リーシャが魔導書を閉じ、杖を構え直した。
『キィィィィィン……ッ!』
金属を擦り合わせるような、耳障りな高周波の鳴き声。
次の瞬間、空洞の天井に張り付いていた巨大な影が、音もなく滑空してきた。
「上だ! 散開しろ!」
優太の指示で、マルストアチームが一斉に左右へ跳ぶ。
直後、彼らが今まで立っていた硬い岩盤の床が、まるで豆腐でも切るかのように、十字に『スパンッ!』と両断された。
「ひぃっ!? 岩が、一瞬で真っ二つに!?」
ユートが腰を抜かしそうになりながら叫ぶ。
土煙の中から姿を現したのは、体長五メートルを超える巨大な蟷螂の魔獣――『死蟷螂型』だった。
全身を覆う外殻はステルス迷彩のように周囲の闇に溶け込み、両腕の巨大な鎌からは、触れたもの全てを分子レベルで切断する死の魔力が発せられている。
「チッ、すばしっこい害虫が! 燃えカスにしてやるぜ!」
イグニスが両手斧を振りかぶり、爆炎を纏わせて突進する。
だが、死蟷螂型はその巨体に似合わぬ異常な機動力で炎を紙一重で躱し、イグニスの死角へと回り込んだ。
『ギチッ!』
「おっと! 悪ぃが、その手は読めてるぜ!」
イグニスが斧の柄で鎌の一撃を受け止める。凄まじい衝撃波が空洞に響き渡った。
「キャルル、マンミア! 奴の足を止めろ! イグニスのカバーに入れ!」
「はいっ!」
「承知!」
前衛の激しい攻防。
だが、死蟷螂型は戦いの中で、あることに気づいた。この分厚い前衛陣を崩すより、後ろで無防備に立っている後衛――特に、歌でバフをかけている芋ジャージの少女を狙う方が効率的であると。
『シャァァァッ!』
死蟷螂型はイグニスの斧を蹴り台にして高く跳躍すると、背中の羽を激しく羽ばたかせ、一気に後衛のリーザめがけて滑空を始めたのだ。
「しまった、リーザ!」
優太が薙刀を構えて駆け出そうとするが、距離が遠い。
「きゃっ……!?」
リーザが驚いてマイクを握りしめたまま、その場に固まる。
巨大な死の鎌が、容赦なく彼女の細い首めがけて振り下ろされようとした、その瞬間だった。
「だめだっ! 女の子に、手を出すなァァァッ!!」
ドンッ! と地面を蹴る音が響いた。
農民勇者、ユート・ディスパーダである。
彼は恐怖で足がすくんでいたはずなのに、リーザが狙われたのを見た瞬間、思考よりも先に体が動いていた。
彼の中にある、理不尽を許せない『太郎型』の魂。
100万円の借金も、マグローザ漁船の恐怖も忘れ、ただ「目の前の仲間を助けたい」という純粋な衝動だけで、ユートは鉄の剣を振り被り、死蟷螂型とリーザの間に割って入ったのだ。
「うおおおおッ!」
ユートの決死の唐竹割り。
だが。
『――ギチ。』
死蟷螂型は空中で忌々しげに複眼を光らせると、片方の鎌を軽く振るった。
ただの虫払い。それだけで十分だった。
ガギィィィィンッ!!
「ぐあぁぁぁっ!?」
ユートの鉄の剣は、いとも容易く弾き飛ばされた。
そればかりか、タローマン製の初心者用鉄鎧(一万円)が、紙切れのように斜めに引き裂かれ、ユートの胸に深い斬り傷を刻み込んだのだ。
「ユート!?」
鮮血を散らしながら、ユートの体はボールのように弾き飛ばされ、洞窟の岩壁に激突して崩れ落ちた。
「この、下等生物があぁぁっ!! よくもユート殿を!!」
激怒したマンミアが、メビウスの鎖を全力で投擲する。
鎖が死蟷螂型の片羽を貫き、バランスを崩した魔獣は天井の闇の中へと一時撤退していった。
「ユート! しっかりしろ!」
優太が弾かれたように駆け寄り、血だまりの中に倒れるユートの元へ滑り込んだ。
ユートの息は荒く、顔面は蒼白になっている。
「あ、あぁ……。ごめんなさい、リーダー……。僕、やっぱり……足手まといで……」
ユートが涙声で掠れた声を絞り出す。
「喋るな。すぐに手当てをする」
優太はリュックを下ろし、即座に『地球ショッピング』の医療キットを展開した。
「止血帯は不要、静脈性の出血だ。……医療用ステープラーと、高濃度生体接着剤!」
チャキッ、バチンッ!
優太の手が、神業のような速度で動く。防衛医科大で修羅場をくぐり抜けてきた、生粋のトラウマ・サージェン(外傷外科医)としての動き。
ユートの胸の傷口に特殊な接着剤を吹き付け、瞬時に縫合していく。魔法のポーションに頼るだけでなく、物理的な処置を完璧に行うことで、傷の治りを劇的に早めるのだ。
「……痛っ、うぅ……っ」
「我慢しろ。傷は浅い、内臓には達してないぞ。タローマンの安物鎧が、ギリギリでクッションになったな」
優太が包帯を巻き終え、ホッと息を吐く。
その横で、リーザが目に涙を浮かべてユートの手を握っていた。
「ユートさん……ごめんなさい。私がボーッとしてたせいで……っ」
「リーザちゃんが無事なら、いいんだ……。僕、勇者なのに、一撃でやられちゃって……本当、カッコ悪いや……」
自嘲気味に笑うユート。
勇気を出して飛び出したのに、結果は惨敗。自分には、魔王を倒す力どころか、目の前の仲間を守る力すらないのだと、痛感させられた。
そんなユートの頭に、ポンッと。
優太の大きな手が置かれた。
「……ユート」
優太の声は、怒っているわけでも、呆れているわけでもなかった。
ただ、弟を諭すような、深く温かい大人の声だった。
「お前が飛び出してくれたおかげで、リーザは助かった。その『仲間を助けようとする心』は、間違いなく勇者のそれだ。……でもな」
優太は、ユートの目を真っ直ぐに見据えた。
「勇気と無謀は違う」
「……え?」
「実力差も考えず、何の策もなく突っ込むのは、ただの無謀だ。下手すればお前が死んで、リーザも死んでた。……助けるには、力だけでなく『段取り』が要る。お前が飛び出す前に、俺やイグニスを呼ぶなり、盾を構えて防御に徹するなりの段取りが必要だったんだ」
厳しい言葉。だが、それはユートを否定するものではなく、彼がこれ以上傷つかないための、命の現場を知る医者としての教えだった。
ユートは唇を噛み締め、コクンと頷いた。
「はい……。僕、焦って、何も考えずに突っ走っちゃいました……」
「わかればいい」
優太はフッと微笑み、ユートを立たせてやった。
「……だがな、ユート。戦場じゃ、いくら段取りを組んでも、どうしても自分が動かなきゃいけない『理不尽な瞬間』ってのが必ず来る」
優太は、砕けたタローマンの鉄鎧を指差した。
「本当に大事なものを守るために、自分が前に出るしかない時。……それでも、撃たなきゃいけない瞬間は、絶対に迷うな」
「!」
「お前のその『打算のない勇気』は、いつか必ず、とんでもない奇跡を起こす。俺が保証してやるよ。……だから今は、俺たちに段取り(ステージ)を作らせろ」
優太の言葉が、ユートの胸の奥深くにストンと落ちた。
そうだ。自分はまだ弱い。一人では何もできない。
だが、このリーダーの背中を見て、戦い方を学び、正しい瞬間に勇気を振り絞ることができれば。
いつか自分も、本当の『勇者』になれるかもしれない。
ユートの瞳から、恐怖や後悔の色が消え、静かな闘志が宿り始めた。
「……はい! リーダー!」
ユートが力強く返事をした、まさにその時である。
『……ふざけるな。ふざけるなァァァッ!!』
突然、空洞全体に、魔導拡声器を通したような、ヒステリックな甲高い声が響き渡った。
「な、なんだこの声!?」
イグニスが斧を構える。
『感動的なお遊戯会を見せられて、僕はもう吐き気がするよ! なぁにが勇気だ! なぁにが段取りだ! お前らみたいな仲良しゴッコの連中は、徹底的に引き裂いて、絶望の中で孤独に死なせてやるんだ!!』
声の主は、間違いなくこのダンジョンを操る魔人・ギアン。
彼のモニター越しの怒りが頂点に達した瞬間。
ズドドドドドドドッ!!!
優太たちの立っている岩盤が、前触れもなく真っ二つに割れ始めたのだ。
「なっ……地盤沈下か!?」
「きゃああっ!」
足場が崩れ、リーシャとユートが、割れた大地の裂け目へと滑り落ちていく。
「リーシャ! ユート!」
優太が咄嗟に手を伸ばすが、あと数センチ届かない。
『アハハハハハ! さぁ、分断してあげたよ! 可愛い可愛い僕の最高傑作で、その農民のガキとエルフの女を、ミンチにしてあげる!!』
崩壊するダンジョン。分断されたチーム。
優太たち主力から切り離されたユートとリーシャの前に、最悪の『死蟲将軍機』がその姿を現そうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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