EP 3
エビ天の匂いと、農民勇者の奮闘
天魔窟。
その名の通り、天を恨む悪魔が巣食うような、底冷えのする不気味なダンジョンだった。
岩肌は奇妙な粘液で黒く濡れ、どこからともなくカサカサ、ゴソゴソと、無数の「脚」が蠢くような不快な音が反響している。
「ひっ……、うぅ……っ」
陣形の中央やや前方に位置するユートは、タローマン製の鉄の盾を両手でギュッと握りしめ、半泣きになりながら周囲を警戒していた。
ユニークスキル【ブレイブ】は、観衆の支持がなければステータス補正ゼロ。今の彼は、文字通り「ただの太陽芋農家の三男坊」である。マグローザ漁船の恐怖がなければ、今すぐ尻尾を巻いて逃げ出しているところだ。
「……来るわ。前方から多数、壁面と天井にも張り付いている」
最後尾を歩くエルフの賢者リーシャが、魔導書から目を離さずに淡々と告げた。
『チチチチチチッ……!!』
暗闇の奥から、赤い複眼を不気味に光らせた異形の群れが姿を現した。
体長は大型犬ほどもある巨大な蟻。全身が黒鋼のような硬い外殻に覆われ、口元からは岩をも溶かす強力な酸の涎を垂らしている。
死蟲王サルバロスが生み出した自律型魔獣兵器――死蟻型の群れだ。
「ヒィィッ!? ア、アリ!? デカすぎるだろ!」
「ユート! 前を向け、盾を構えろ!」
優太の鋭い声が飛ぶ。
『ギシャァァァッ!』
先陣を切った三匹の死蟻型が、壁を蹴って一斉にユートめがけて跳躍してきた。
「(怖い、怖い怖い怖い! でも、ここで僕が崩れたら、後ろにいる後衛の女の子たち(リーシャやリーザ)が危ないっ!)」
打算で動く小物でありながら、根底にある『善性』が彼を逃がさなかった。
ユートは恐怖で目を固く瞑りながらも、逃げることなく、右手に握った鉄の剣を大きく振り被った。
「う、うおおおおおおッ!!」
ガンッ!!
ユートが渾身の力で振り下ろした鉄の剣が、飛びかかってきた死蟻型の硬い頭部外殻に激突した。
その瞬間。
「ギチッ!?」と短い悲鳴を上げ、死蟻型の巨体がボールのように後方へと弾き飛ばされたのだ。
「え……?」
ユート自身が一番驚いていた。
(……意外とやるな)
背後でサポートの配置についていた優太は、ユートの一撃を見て目を細めた。
剣術の型など皆無の、ただの力任せの唐竹割り。だが、その一振りには、幼い頃から重いクワを振り下ろし、太陽芋の畑を耕し続けてきた『農民としての強靭な足腰と背筋力』が完璧に乗っていた。
剣術A、体術A。伊達に農家の三男坊をやっていない。基礎的なフィジカルだけなら、そこらの下級冒険者を凌駕しているのだ。
だが、敵は一匹ではない。
弾き飛ばされた仲間の隙を埋めるように、十数匹の死蟻型がカサカサと不気味な音を立ててユートを取り囲もうとする。
「ひわわっ!? 無理無理無理! 数が多すぎますぅぅっ!」
「よくやった、ユート! 前衛としての足止め(ヘイト稼ぎ)は十分だ! 下がれ!」
優太がユートのジャージの襟を掴んで後ろに引き寄せるのと同時に、マルストア最強チームの『蹂躙』が始まった。
「ガハハハハ! 虫けらどもが、俺様の前をウロチョロすんじゃねぇ!」
ズンッ! と前に出た竜人族のイグニスが、口から極限まで圧縮した火炎の息を吐き出した。
ただ火を放つのではない。ダンジョン内で酸欠にならないよう、燃焼範囲と威力を前方の敵集団のみに限定した、芸術的なまでの炎のコントロール。
ゴォォォォォォォッ!!
『ギ、ギビャァァァァァッ!!』
一瞬にして、前方にひしめいていた十数匹の死蟻型が、黒焦げになって地面に転がる。
「キャルル、マンミア! 天井と壁の残党を処理しろ!」
「はいっ、優太くん!」
「承知いたしました、ボス!」
頭上から降ってくる死蟻型を、キャルルが銀色の闘気を纏ったトンファーで甲殻ごと粉砕し、壁を這う個体をマンミアが大盾でのシールドバッシュで叩き潰していく。
ほんの数十秒。
ユートが絶望しかけた死蟲機の群れは、優太たちによって文字通り「塵」と化していた。
「す、すげぇ……」
ユートは腰を抜かしたまま、口をポカンと開けていた。
魔法や闘気の威力もさることながら、優太の的確な指示と、それに阿吽の呼吸で応える仲間たちの連携。誰一人として無駄な動きがなく、強大な魔獣を「ただの作業」のように処理していく。
これが、本物の強者。1億円の懸賞金など狙わずとも、世界を救えてしまうような圧倒的な力。
「怪我はないか、ユート。よく逃げずに剣を振ったな」
優太が優しく手を差し伸べ、ユートを引き起こす。
「あ、ありがとうございます……っ。でも、僕なんてただまぐれで剣を振っただけで……」
ユートが恐縮して頭を掻いていると、ふいに、ダンジョンの中に『ある匂い』が漂い始めた。
「……ん? なんだこの匂い」
優太が鼻をピクつかせる。
カビと腐肉の匂いが充満していたはずの天魔窟に、突如として、食欲を暴力的に刺激するような「香ばしい匂い」が立ち込めてきたのだ。
「くんくん……。プロデューサー! これ、すっごくいい匂いがしますの!」
後衛で待機していた芋ジャージのアイドル・リーザが、目を輝かせて匂いの元へと駆け寄った。
彼女が見つめているのは、先ほどイグニスの炎で真っ黒焦げに焼かれた『死蟻型』の死骸だった。
「こ、これは……間違いないですわ! 帝都の屋台街で一度だけ嗅いだことがある、超高級な『エビの天ぷら(エビ天)』の匂いですの!」
そう、死蟲機の甲殻は、実は地球の甲殻類と極めて近い成分で構成されている。それをイグニスの絶妙な火加減で「素焼き」にした結果、ダンジョンの中に極上のシーフードをローストしたような香ばしい匂いが充満してしまったのだ。
「ジュルリ……。お腹が空きましたわ。このカリカリに焼けたお尻のところ、食べてもいいですの!?」
「バカやめろ!!」
涎を垂らして死骸を拾い上げようとしたリーザの頭に、優太の鋭いチョップが炸裂した。
「い痛っ!? なにするんですのプロデューサー! アイドルの顔に傷がついたらどうするんですの!」
「得体の知れない魔獣の死骸を食おうとするアイドルがいるか! 腹壊したらどうすんだ!」
「だって、絶対美味しいですわこれ! お塩振ったら、立派な三ツ星ディナーになりますの!」
リーザが抗議している横で、イグニスまでもが「ガハハ! 確かにいい匂いだな! 嬢ちゃん、俺様も一口食ってみるか!」と斧を置いてしゃがみ込もうとする。
「イグニス、お前もか! 昨日の夜、ルナキンで死ぬほどハンバーグ食ったばっかりだろ!」
「え〜、優太くん。私にもウサギ用のニンジン味の塩、ありますか?」
「キャルルまで混ざるな! マンミア、お前からも言ってやってくれ!」
優太が助けを求めると、生真面目な騎士団長は腕を組み、真剣な顔で頷いた。
「……ボス。騎士たるもの、戦場での現地調達は基本です。試しに私が毒味を――」
「お前も食う気満々じゃねぇか!!」
優太のツッコミが、暗いダンジョンにこだまする。
「…………」
ユートは、その光景をただただ呆然と見つめていた。
ついさっきまで命のやり取りをしていた恐ろしいダンジョンのど真ん中で、倒した魔獣の死骸から「エビ天の匂い」がすると言って、食うの食わないので大騒ぎしているバケモノたち。
「(……なんだよ、これ。全然、緊張感がないじゃないか)」
だが、不思議とユートの心の中にあった「死の恐怖」は、スゥッと消え去っていた。
こんなイカれた(強すぎる)連中と一緒なら、マグローザ漁船行きを回避するどころか、本当にダンジョンの最奥まで生きて帰れるかもしれない。
同時に、ユートの胸の奥に、ほんの小さな『悔しさ』が芽生えた。
彼らは自分を「守るべき弱者」として扱ってくれている。だが、自分も「勇者」と名乗ってしまった以上、ただ守られているだけの荷物でいたくはない。
「リーダー!」
ユートは鉄の剣を強く握り直し、大騒ぎしている優太たちに向かって叫んだ。
「僕、もっと前出ます! 足手まといにならないように、せめてエビ天の……いや、魔獣の気を引く囮くらいにはなりますから!」
「……ユート」
優太は、コントのような騒ぎを止め、ユートの顔を見た。
農民の三男坊の瞳に宿る、決して折れない強い光。
「……あぁ。頼りにしてるぞ、ユート。ただし、絶対に無理はするなよ」
優太がニッと笑う。
マルストア最強のハイブリッド・メディックと、今はまだ最弱の借金勇者。
彼らの快進撃は、ダンジョンの最奥でモニターを見つめる『引きこもり魔人』の想定を、大きく狂わせていくことになる。
――第5章 第4話へ続く。
編集者・作家からのコメント
よし、完璧だ!
「死蟲機が実はエビ天の匂いがする(食べられる)」という設定を最大限に活かし、シリアスなダンジョン探索を一瞬でコメディに引き戻す手法。これぞ「なろう系」の読者が最も好むテンポ感だ。
また、ユートが「守られるだけじゃなく、自分も役に立ちたい」と一歩を踏み出す描写を入れることで、ただのギャグ回で終わらせず、第7話の「打算なき勇気の覚醒」へ向けた確かな布石(主人公としての成長)を打っている。
このままの勢いで、第4話「引きこもり魔人ギアンの苛立ち」へと繋げていくぞ!指示を待ってる!
読んでいただきありがとうございます。
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