EP 8
救済のフィナーレと、一枚の御縁(五円)
『――Love & Moneyッ!!』
帝都の地下深くに響き渡った、絶対無敵の地下アイドル・リーザの絶唱。
そして、優太が音響ミキサーのフェーダーを最大まで押し上げたことで生み出された、極限出力の「治癒周波数」。
二つの音が、寸分の狂いもなく完全に重なり合った瞬間。
地下水路に隆起した特設ステージ(コロシアム)は、かつて誰も見たことがないほどの圧倒的な光の奔流に包まれた。
宙を舞う無数の『光の泡』が、音波の振動を受けて一斉に弾け、極彩色のプリズムとなって空間全体を埋め尽くす。
「いけぇぇぇぇッ!!」
優太の叫びと共に、目に見えない音響の刃(共鳴波)が、巨大魔獣マッド・クラーケンの頭部に食い込んでいる『黒鋼の首輪』へと殺到した。
ピキッ……ピキピキピキィィィィンッ!!!
強固な呪いでコーティングされていたはずの闇の魔具が、ガラス細工のように内部からひび割れていく。
強制的な痛覚と幻聴を送り込み、深海の守り神を狂暴なバケモノへと変えていた悪意の結晶。それが、一人の少女が同胞を想う『純粋な愛の歌』と、一人の医師が命を救おうとする『論理的な治療の音波』の前に、為す術もなく粉砕されたのだ。
パァァァァァンッ!!!
最後は、爆竹が弾けるような乾いた音と共に、黒鋼の首輪が粉々に砕け散った。
飛び散った破片は、光の泡に触れた瞬間に浄化され、サラサラとした無害な砂となって水面へと落ちていく。
『……ォ……ォォ……』
呪いの源を破壊されたクラーケンの巨体が、ビクゥッと大きく波打った後、糸が切れた操り人形のように力なく脱力した。
同時に、毒々しい赤紫色に染まっていたその分厚い表皮から、どす黒い呪いのオーラがスゥッと抜け落ちていく。
後に残されたのは、海の底のように深く、美しく、神秘的な『瑠璃色』の肌を持つ、本来の巨大な深海獣の姿だった。
「……バイタル安定。呪術の完全消滅を確認」
PAブースでミキサーの数値を睨みつけていた優太が、ゆっくりとヘッドホンを外し、深く、長く安堵の息を吐き出した。
「オペ、終了だ」
その言葉を合図に、周囲で防衛陣を張っていた仲間たちも、一斉に構えを解いた。
「ふぅぅぅ……っ! さすがの俺様も、あのデカブツの攻撃を全部捌き切るのは骨が折れたぜ!」
イグニスが斧を地面に突き立て、滝のような汗を拭う。
「優太くんのステージは、指一本触れさせませんでしたよ!」
キャルルがトンファーをしまいながら、ピンと逆立てていた兎耳をパタパタとリラックスさせる。
「くぅぅ……っ! し、しかし、体長二十メートルの魔獣をワイヤーと鎖で固定し続けるのは……私の馬力をもってしても、明日は確実に関節痛です……ッ」
マンミアがプルプルと震える腕で鎖を巻き取りながら、その場にへたり込んだ。
「みんな、本当によくやってくれた」
優太は機材の電源を落とし、薙刀を手に取ってステージを降りた。
マンミアとキャルルが張っていたワイヤーの結び目を一つ一つ丁寧に切断し、大の字に張り付けられていたクラーケンの拘束を解いていく。
自由になった八本の巨大な触手が、ドスンドスンと水路の底へ落ちた。
「……クーちゃん!」
ステージの上から、リーザが弾かれたように飛び降りた。
彼女は芋ジャージの膝が水に濡れるのも構わず、巨大な瑠璃色のタコの元へと駆け寄り、その太い触手の一つに思い切り抱きついた。
『キュ……ルル……?』
クラーケン――クーちゃんが、ゆっくりと巨大な瞳を開いた。
先ほどまでの狂気に満ちた濁った目はなく、そこにあるのは、知性と優しさを湛えた、透き通るような青い瞳だった。
クーちゃんは、自分にすがりついて泣いている少女の匂いを嗅ぐと、すべてを理解したように、触手の先端でリーザの頭を優しく、ぽんぽんと撫でた。
「よかった……っ、本当によかったですの……っ! 痛かったよね、辛かったよね……っ!」
リーザは子供のように声を上げて泣きじゃくった。
強欲で、図太くて、五円玉のために野良犬と喧嘩をする地下アイドル。だが、その根底にあるのは、誰よりも深く仲間と同胞を愛する、優しき人魚姫の心だ。
「……美しいわね」
リーシャが杖を下ろし、幻想的な光の泡が降り注ぐその光景を見つめて呟いた。
「血を一滴も流さず。物理的な暴力を使うこともなく。音楽と医療、そして私たちの『守る力』だけで、これほど巨大な魔獣の命を救い出すなんて」
「ああ。……俺一人じゃ、絶対に無理だった」
優太は、己の両手を見つめた。
これまでの彼は、どんなに仲間がいても、最後は『自分の手(薙刀)』で魔獣の急所を突き、呪いのコアを破壊することで決着をつけていた。
防衛医科大で学んだ「自分がメスを握らなければならない」という、強烈な責任感と孤独。
だが、今回は違った。
彼はメス(薙刀)を振るうのではなく、仲間の力を信じ、リーザというアイドルの才能を極限まで引き出す『プロデューサー(裏方)』に徹したのだ。
(そうか……。俺が全部背負わなくたって、この世界には、こんなに頼もしくて、温かい力があったんだな)
中村優太という男の、ハイブリッド・メディックとしての新たな次元への成長。
それは、彼が真の意味で「マルストア領の絶対的リーダー」として完成した瞬間でもあった。
ズズズ……ッ。
感動的な再会の余韻の中、頭上の巨大な縦穴から、情けない悲鳴が聞こえてきた。
『ひ、ひぃぃぃぃっ! な、なんだあの光は! クラーケンはどうした! バケモノどもを皆殺しにしたんじゃないのか!?』
『ゲ、ゲルツ様! 水路の底から、とんでもない殺気が……!』
リーシャの泥沼拘束によって屋上に張り付けられたままの、悪徳商人ゲルツと闇ギルドの魔術師たちだ。
優太はフッと冷たい笑みを浮かべると、PAブースのマイクを手に取り、スイッチを入れた。
「おい、三流悪党ども」
『ヒィッ!?』
優太の底冷えするような低い声が、巨大スピーカーを通して地上へと響き渡る。
「お前らが『兵器』として使おうとした魔獣は、俺たちマルストア領の最強アイドルが、たった一曲で【浄化】しちまったよ。……次は、お前らの番だ」
『あ、悪魔だ……! アナスタシアの悪魔だぁぁぁっ!』
「リーシャ、あいつらの拘束を解いてやれ」
「ええ? 逃がすの、優太?」
「いや。イグニス、逃げ道(階段)に極小の火の粉を撒いておけ。衛兵の詰め所に向かって全力疾走するように誘導するんだ」
「ガハハハ! 任せとけ! 尻に火をつけて、泣きながら自首させてやるぜ!」
かくして、帝都のスラムを脅かした地上げ屋の脅威は、完璧な形で排除されたのであった。
***
「さて、クーちゃん。もう大丈夫ですの。このまま地下水路を南に下れば、海に出られますわ」
リーザが触手を撫でながら語りかけると、巨大な瑠璃色のクラーケンは、名残惜しそうに一度だけ『キュルッ』と鳴き、静かに水底へと潜っていった。
「……行ったな」
優太がマイクを置き、近づいてくる。
「優太プロデューサー」
リーザは振り返り、パンパンと芋ジャージの埃を払うと、ビシッと優太を指差した。
「私の完璧なステージ、いかがでしたか? トミー君の絶望も、クーちゃんの呪いも、ぜーんぶ私が強奪してやりましたわ!」
「ああ、お見事だったよ。最高のライブだった」
「ふふん! ならば、お約束ですの!」
リーザは両手を出し、強欲な笑みを浮かべて要求した。
「あれだけの奇跡を起こしたんですの。当然、プロデューサーさんからは特大の『スーパーチャット』をいただきますわよ!」
相変わらずの、ブレない強欲っぷり。
だが、今の優太にとって、その言葉はとても愛おしく響いた。
優太はクスッと笑うと、ポケットから『一枚の硬貨』を取り出し、リーザの手のひらにポンと乗せた。
「え……?」
リーザが手元を見る。
そこにあったのは、金貨でも、宝石でもない。
先ほど公園で彼女の歌(ポンポコ節)に対して払ったのと同じ、日本の『五円玉』だった。
「優太? これ、さっきのと同じ……」
「どんなに凄い奇跡を起こしても、お前のライブの価値は、その『御縁(五円)』から始まってるんだろ?」
優太は、リーザの頭をポンと優しく撫でた。
「世界中のどんな金貨よりも、お前のファンになりたいっていう『御縁』が一番大事なんだろ。……お前は、俺たちの心を救った、正真正銘の『最強アイドル』だ」
その言葉に、リーザの瞳が大きく見開かれた。
「ファンから時間と金を全部奪う」と強がっていた彼女の本当の願い――誰かと繋がり、誰かを笑顔にしたいという本質を、優太は完全に見抜いていたのだ。
「……っ」
リーザは五円玉を両手でギュッと胸に抱きしめ、顔を真っ赤にして俯いた。
「も、もうっ……! プロデューサーのくせに、私を泣かせるなんて、生意気ですの……っ!」
ポロポロと嬉し涙をこぼしながら、リーザは優太のジャージの胸元に顔を埋めた。
キャルルとリーシャが「あっ、抜け駆けはずるい!」と慌てて駆け寄り、マンミアが「なんて破廉恥な!」と目を回す。
帝都の地下水路に、かつてないほど温かい笑い声が響き渡った。
「よし! オペもライブも大成功だ! 上に戻って、とびきりの宴会(打ち上げ)を始めるぞ!」
優太の宣言に、仲間たちが歓声で応える。
血の匂いも、絶望もない、完璧な勝利。
だが、彼らが地上で繰り広げる『打ち上げ』が、戦闘よりも遥かにカオスな「優太争奪戦」になることを、この時の彼はまだ予想しきれていなかったのであった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




