EP 5
深海からの刺客と、強欲の逆鱗
ズズズズズズズ……ッ!!!
帝都マルシアの外れにあるテント村。
トミー少年の心に希望の光が灯った直後、大地が悲鳴を上げるような激しい震動が公園全体を襲った。
「きゃあっ!?」
「地震か!? みんな、倒れてくるものから離れろ!」
優太の指示で、イグニスやマンミアが素早く孤児や老人たちを安全な場所へと誘導する。
だが、震源地は地下深く――公園の隅にある、巨大な鉄格子のマンホールだった。
『ギョォォォォォォォォォォォォッ!!!』
鼓膜を突き破るような、獣の咆哮。いや、それは悲鳴に近い狂乱の叫びだった。
次の瞬間。
ドゴォォォォォンッ!!
分厚い鋳鉄製のマンホールの蓋が、凄まじい水圧と共に遥か上空へと吹き飛ばされた。
「水柱だと……!?」
間欠泉のように噴き出したのは、ヘドロ混じりの黒い下水だった。
そして、その濁流の中から、公園の木々よりも太い『赤黒い触手』が何本も這い出し、周囲の地面やテントを無差別に叩き潰し始めたのだ。
『ギャハハハハハ! 驚いたか、スラムのゴミ共め!』
上空から、魔導拡声器を通した下劣な笑い声が響いた。
見上げれば、広場から少し離れた建物の屋上に、先ほどマンミアの鎖から逃げ延びた悪徳商人・ゲルツの姿があった。彼の隣には、黒いローブを目深に被った不気味な魔術師たちが数人控えている。
「あいつ、まだ懲りてなかったのか……!」
優太が鋭い視線を向ける。
『たかが護衛に腕自慢を数人雇ったくらいで、いい気になりおって! 我々ゲルツ商会のバックには、帝都の地下水路を牛耳る闇ギルド【黒鮫】がついているのだ!』
ゲルツは屋上の縁から身を乗り出し、狂ったように叫んだ。
『立ち退きを拒むなら、その薄汚いテントごと地下の濁流に洗い流してやる! やれ、闇ギルドが飼い慣らした深海のバケモノよ! 奴らを一人残らず水底に引きずり込め!!』
ゲルツの号令に応えるように、マンホールからさらに巨大なシルエットが姿を現した。
それは、体長二十メートルは優に超える巨大なタコ――いや、深海に生息する超巨大魔獣『クラーケン』だった。
だが、その姿は明らかに異常だった。
本来なら美しい瑠璃色をしているはずの表皮は、毒々しい赤紫色に変色している。そして何より異様なのは、その巨大な頭部に、無数のトゲが生えた『黒鋼の首輪』が深々と食い込んでいることだった。
ギリギリギリッ……!
首輪からは、人間の耳には聞こえない不快な「魔音波」が絶えず放たれ、クラーケンの脳神経を直接焼き焦がしている。
「……ッ、なんておぞましい呪術だわ」
リーシャが魔導書を展開しながら、顔をしかめて吐き捨てた。
「あの首輪……寄生型の聴覚呪術よ。強烈な痛覚と幻聴を脳に直接送り込み、魔獣の理性を完全に破壊して狂暴化させているのね。あんなものを着けられたら、どんな温厚な生き物でも発狂してしまうわ!」
『ギョ、ギギギギギギギギ……ッ!!』
クラーケンは苦痛にのたうち回りながら、八本の巨大な触手でデタラメに周囲を破壊し始めた。
巻き上げられた突風と濁流が、スラムの住人たちに容赦なく襲い掛かる。
「くそっ! イグニス、マンミア! 触手がこっちに来ないように弾き返せ!」
「おうっ!」
「承知いたしました、ボス!」
イグニスが斧の腹で触手を殴り飛ばし、マンミアが大盾『アグニ』で濁流を受け止める。
その激しい攻防の中。
優太の背後にいた芋ジャージの少女――リーザは、震える瞳でその巨大な魔獣を見上げていた。
「嘘……嘘ですの……」
彼女の海色の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「あれは……私のお国の、守り神……。シーランの海で、人魚の子供たちを背中に乗せて遊んでくれた、優しい『クーちゃん』ですの……!」
「リーザ……? あいつ、お前の故郷の魔獣なのか?」
優太が驚いて振り返る。
「……何ヶ月か前、お国の結界の外に出たきり、行方不明になっていたんですの。まさか、密猟者に捕まって、こんな帝都の地下水路に売り飛ばされていたなんて……!」
優しい守り神が、悪党たちの金儲けのために自由を奪われ、脳を焼かれ、あまつさえスラムの弱者を殺すための兵器として利用されている。
その事実を理解した瞬間。
地下アイドルとして、日銭を稼ぐために笑顔を振り撒いていた少女の顔から、一切の表情が消え去った。
「……私の、ドーム(場所)を壊して」
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
リーザの足元から、尋常ではない質量の『水属性の魔力』が渦を巻き始めた。
エンジ色の芋ジャージが、深海の波動を受けてバサバサと激しく波打つ。
「私の、大切なファン(みんな)の命を脅かして……あまつさえ、私の大切な同胞の心を壊して、弄んだ……」
リーザがゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや純真なアイドルの面影はない。あるのは、海を統べる絶対女王の血脈に連なる者としての、氷のように冷たく、重い『激怒』だった。
「――絶対に、絶対に許しませんの。全員、海の底に沈めてやりますわッ!!」
リーザの全身から、青と銀のオーラが爆発的に吹き上がる。
「クーちゃん! 今、私がその首輪ごと、あなたを楽にしてあげますの!」
彼女は泣き叫びながら、巨大なクラーケンめがけて、一切の防御も考えずに突撃しようと大地を蹴った。
怒りと悲しみに任せ、相打ち覚悟で同胞の命を終わらせようとする、無謀な特攻。
だが。
「……バカ野郎。一人で抱え込もうとするな」
ドンッ!
リーザの肩を、力強い手がガシッと掴んで引き留めた。
優太である。
「ゆ、優太……! 離してくださいの! 私が、私がクーちゃんを止めなきゃ……!」
「落ち着け。プロデューサー(俺)の許可なく、勝手にステージを降りるアイドルがいるか」
優太は暴れるリーザの腕をしっかりと抑え込み、その悲痛な瞳を真っ直ぐに見据えた。
「よく見ろ、リーザ。あの魔獣は、まだ死んでない。痛みに苦しんでる『俺の患者』だ」
「でも……! あの呪いの首輪は、外から物理的に破壊しようとすれば、脳に致命的なショックを与えてクーちゃんを殺してしまう構造になってますの! 私の魔力で、せめて苦しまないように……!」
「だから、お前一人で背負うなって言ってるんだ」
優太の言葉には、一切の揺らぎがなかった。
防衛医科大で数々の修羅場を想定し、過酷なトリアージを学んできた彼にとって、目の前の絶望的な状況すらも「治療のプロセス」に過ぎない。
「物理的な攻撃が届かないなら、別の方法でアプローチすればいい。心臓が止まるまで、絶対に命を諦めないのが、俺たちマルストア領のやり方だ」
優太はリーザの肩から手を離し、前線で触手と戦っている仲間たちへと視線を向けた。
「あの首輪……寄生型の聴覚呪術ってことは、『音波』で脳をジャックしてるんだろ。なら、地球の医療用『音響療法』の理論を応用して、特定周波数の音波をぶつければ、呪いの魔具だけを共鳴破壊させることができるはずだ」
「音波で、破壊……? でも、そんな巨大な魔法の音を、どうやって……」
リーザが呆然と尋ねると、優太はニッと、最高に悪賢くて頼もしい笑みを浮かべた。
「決まってるだろ。宇宙一のアイドルに、とびっきりの『歌』を歌ってもらうのさ」
優太は空中に『地球ショッピング』の半透明なインターフェースを展開した。
キマイラ戦以降、溜まりに溜まっていた莫大な善行ポイント(P)を、躊躇なく全額ベッドする。
「俺がバックの音響(周波数)を完璧に調整してやる。イグニス、マンミア、リーシャが、お前が歌い切るまでの間、あの巨大タコを一切傷つけずに押さえ込む。……俺たちのチームワークを信じろ、リーザ」
「優太……」
「お前は『全部奪う』強欲なアイドルなんだろ? ファンの笑顔も、同胞の命も、一つ残らず強奪してやれ」
その言葉に、リーザの瞳からポロリと涙が落ちた。
だが、その表情にもう絶望はなかった。彼女はジャージの袖で目元を乱暴に拭うと、力強く頷いた。
「……はいですの。私、歌いますわ。絶対に、クーちゃんを助けてみせますの!」
「よし、決まりだ。……総員、配置につけ!」
優太の鋭い号令が、夜の帝都に響き渡った。
「イグニス! マンミア! クラーケンを地上で暴れさせるな! 被害が広がる前に、アイツを地下水路の中に押し戻せ!」
「ガハハハハ! 任せとけ! 俺様の炎で水路に叩き落としてやる!」
「承知いたしました、ボス! 鎖、最大展開!」
「リーシャ! 俺がこれから出す機材を使って、地下水路の中に、誰も見たことがないような『特設ステージ(コロシアム)』を組み上げろ!」
「ええ、極めて論理的で美しい設計図を構築してみせるわ」
優太はインターフェースの召喚ボタンを力強く押し込んだ。
『チャリン♪ UR:プロフェッショナル用PAスピーカーセット&音響ミキサー(大出力スタジアム仕様)を召喚しました』
光と共に、広場に巨大な漆黒のスピーカー群と、複雑なツマミが並ぶ音響機材が出現する。
「さぁ、オペ(ライブ)の始まりだ。帝都の地下を、俺たちで最高に沸かせてやるぞ!」
次話。
物理攻撃による制圧を捨てたマルストア最強チームの、「魔獣を傷つけずに封じ込める」完璧なチームワーク。
地下水路を舞台にした、前代未聞の防衛包囲網が展開される!




