EP 3
地上げ屋と、高貴なる者の義務
「はーい、みんな! 今日もライブに来てくれてありがとうですの!」
帝都マルシアの外れにある、枯れた噴水広場。
リーザの『ハゲたぬきのポンポコ節』の余韻が残る中、テント村の住人たちがパラパラとみかん箱の周りに集まってきた。
薄汚れた服を着た孤児たちや、腰の曲がった老人たち。誰もがその日を生きるのに必死な底辺の生活者たちだが、今この瞬間だけは、芋ジャージのアイドルの前に笑顔を見せていた。
「リーザちゃん、今日も面白かったよ。はい、これ……お礼の、干し肉の切れ端」
「わぁっ! トミー君、ありがとうですの! 今夜のディナーが豪華になりますわ!」
一人の小さな少年から干し肉を受け取り、リーザは満面の笑みで彼の手を握った。
その光景を少し離れた場所から見ていた優太は、目を細めて頷いた。
「あいつ、言葉の端々は強欲だけど……根っこは本物のアイドル(希望)なんだな」
「ええ。彼女の歌声には、過酷な現実から一時的に彼らを救い出す、確かな『愛』が存在しているわ」
リーシャが魔導書を閉じながら同意する。
平和で、温かい時間。
だが、スラムに降り注ぐその小さな光を、無情にも踏みにじる者たちが現れた。
「おいおいおい! いつまでこんな薄汚い広場に居座ってやがる、このドブネズミ共が!」
鼓膜を打つ下品な怒声と共に、十数人の屈強な男たちが広場に乱入してきた。
手には鉄パイプや粗悪な剣を持ち、ニタニタといやらしい笑みを浮かべている。
その中心に立つのは、派手な絹の服に身を包んだ、恰幅の良い商人だった。
「ゲ、ゲルツ商会……!」
「ひぃぃっ! ゴロツキどもだ、逃げろ!」
先ほどまで笑顔だったテント村の住人たちが、一瞬にして恐怖に顔を引き攣らせて後ずさる。
「今日が立ち退きの最終期限日だって言ったよなぁ!? ここは我々ゲルツ商会が買い上げ、闇闘技場を建設する予定の神聖な土地だ! さっさと荷物をまとめて出ていかねぇと、お前らのその粗末なテントごと燃やすぞ!」
悪徳商人ゲルツの合図で、ゴロツキたちがニヤニヤと笑いながら、周囲のテントや生活用品を蹴り飛ばし始めた。
鍋がひっくり返り、孤児たちが悲鳴を上げる。
「や、やめてくださいの!」
その暴挙の前に、芋ジャージ姿のリーザが両手を広げて立ち塞がった。
「ここは私のドーム(会場)で、この人たちは私の大事なファンですの! 野蛮な真似は許しませんわ!」
「あぁ? なんだこの芋くせぇジャージの小娘は」
ゴロツキの一人が、小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ファンだぁ? ドームだぁ? スラムのゴミ捨て場で何言ってやがる。……おっと、これが『お立ち台』ってやつか?」
男は、リーザの背後にあった古びた『みかん箱』――彼女が毎日大切に磨き、ステージとして使ってきた相棒――に目を留めた。
そして、ニヤリと笑うと、思い切りその箱を蹴り飛ばした。
バキィッ!!
乾いた音と共に、みかん箱が粉々に砕け散り、木端が宙を舞った。
「あ……」
リーザの大きな瞳が見開かれ、その場にへたり込んだ。
お金がなくても、豪華な照明がなくても、あのみかん箱の上だけは、彼女が「みんなを笑顔にするための、世界で一番輝くステージ」だったのだ。
それが、あまりにもあっさりと、理不尽な暴力によって踏みにじられた。
「ギャハハハハ! 壊れちまったなぁ、おい! お前もこの箱みたいに――」
男が下卑た笑い声を上げながら、リーザの髪を掴もうと手を伸ばした。
だが、その手が彼女に届くことは、永遠になかった。
「……てめぇら。その小娘のステージを壊した落とし前、命で払う覚悟はできてんだろうな?」
地獄の底から響くような、圧倒的な殺気を孕んだ低い声。
男の目の前に、いつの間にか竜人族の巨漢――イグニスが立ち塞がっていた。
「あ? なんだてめぇ、トカゲ野郎が……ひぐっ!?」
イグニスが、わずかに口を開いた。
彼の喉の奥で、膨大な熱量の『炎』が圧縮され、チロチロと漏れ出した瞬間。
広場の空気が一瞬にして乾燥し、周囲の気温が数十度跳ね上がった。
「ひぃっ……!?」
「燃え尽きやがれ、外道」
ゴォォォォォォォォッ!!!
イグニスの口から、凄まじい爆炎が放たれた。
だが、それは広場全体を焼き尽くすような大味な攻撃ではない。
放たれた炎は、リーザやテント村の住人たちには一切の熱を伝えず、ゴロツキたちの『顔面のわずか数ミリ手前』でピタリと静止し、髪の毛と眉毛だけをチリチリと焼き焦がしたのだ。
「あ、あちぃぃぃぃっ!?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃッ!」
かつては力を制御できず、周囲に被害を出していたイグニス。しかし、優太という指揮官の下で戦い続けた彼は、今や水爆未満の火力を「ミリ単位」で制御する、最強にして最巧の炎の使い手へと成長していた。
「ひ、ひるむな! 相手は丸腰だ! やっちまえ!」
商人ゲルツが裏返った声で叫び、残りのゴロツキたちが慌てて剣や鉄パイプを振り上げる。
だが、彼らの武器が振り下ろされるより早く。
月明かりの下、一筋の『銀色の流星』がゴロツキたちの間を駆け抜けた。
「私の……大好きな優太くんが守ろうとした人たちを、いじめないでくださいッ!」
銀髪の兎耳少女、キャルルである。
彼女の手に握られた特殊合金製のダブルトンファーが、銀色の闘気を纏って残像を描く。
ガギンッ! カァァンッ! バキィィィッ!
「な、なんだこの速さ……! ぐわぁぁっ!」
「俺の、俺の魔剣が粉々に……!?」
キャルルはゴロツキたちの肉体には一切触れず、彼らの持つ『武器』だけを、神業のようなトンファーの連撃で次々と粉砕していった。
『月影流・銀華の舞』。
人を殺めるためではなく、優太と同じ「命を守るため」に研ぎ澄まされた彼女の武術は、悪党たちの牙を瞬く間にへし折っていく。
「ば、バケモノどもめ……! ひ、退け! 一旦退けぇっ!」
武器を失い、恐怖に顔を歪めたゴロツキたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。
だが。
理不尽に虐げられる弱者の悲鳴を聞いて、マルストア領が誇る『騎士団長』が、彼らを逃がすはずがなかった。
「……逃走など、許されるとでも思っているのか、恥知らずの小悪党ども」
カポッ、カポッ、カポッ。
冷徹な蹄の音と共に、ケンタウロス族のマンミアが進み出た。
彼女の美しい顔には、一切の容赦がない、冷酷なまでの怒りが張り付いている。
「力無き者から搾取し、あまつさえその笑顔を踏みにじる。……貴様らの行いは、騎士の誇りたる『高貴なる者の義務』に対する、万死に値する冒涜である!」
マンミアの右腕に装着された分銅付き鎖『メビウス』が、蛇のようにシュルルルと音を立てて空へ舞い上がった。
「捕縛開始。……一人残らず、地獄の果てまで引きずり回してくれるッ!」
シャァァァァァァァァンッ!!
放たれた鎖は、まるで意思を持っているかのように空中で枝分かれし、逃げ惑う十数人のゴロツキたちへと同時に襲い掛かった。
「ぎゃあっ!?」
「あぐっ! く、鎖が……!?」
足首を絡め取られ、手首を縛られ、首に巻き付く。
マンミアが手首をスナップさせるたびに、鎖は複雑怪奇な結び目を作り出し、数秒後には、ゴロツキ全員が身動き一つ取れない見事な『亀甲縛り』の状態で、地面に転がされていた。
「ひ、ひぃぃぃ! 勘弁してくれぇ!」
「騎士様ぁ! 命だけは……命だけはぁ!」
地面で芋虫のように蠢く悪党たちを見下ろし、マンミアはフンッと鼻を鳴らした。
「命までは取らん。……が、領主様の指示があるまで、その無様な姿で己の罪を悔いるが良い」
圧倒的、かつ一方的な蹂躙。
優太の仲間たち――マルストア最強チームの3人が、ものの数十秒でスラムの危機を完全制圧してしまったのだ。
「す、すごい……」
へたり込んでいたリーザが、信じられないものを見るように目を丸くしている。
「大丈夫か、リーザ」
騒ぎが収まった広場の中央に、優太がゆっくりと歩み寄ってきた。
彼は戦闘に一切参加していなかった。彼が何をしていたかといえば、ゴロツキが暴れ始めた瞬間に、逃げ遅れた子供や老人たちの前に立ち塞がり、安全な場所へ誘導する『盾』の役割に徹していたのだ。
仲間たちが必ず敵を制圧すると信じているからこそできる、完璧な役割分担。
「優太……さん……」
「ステージ、壊されちまったな。怪我はないか?」
優太が差し出した手を、リーザはギュッと両手で握り返して立ち上がった。
彼女の瞳が、キラキラと星のように輝き始める。
「すごい、すごいですの! 炎のドラゴンさんに、銀色のトンファー使い、それに……めちゃくちゃ縛るのが上手いケンタウロスさん!」
「(ビクッ!? し、縛るのが上手いとは、なんて破廉恥な……ッ! しかし事実……!)」
リーザの無邪気な称賛に、マンミアが耳まで真っ赤にして顔を覆う。
「ふふん! 決めましたの! 今日からあなたたちは、私専属の最強の親衛隊ですの! 特に優太! あなたは太客兼、プロデューサーに任命してあげますわ!」
ジャージの埃を払いながら、リーザは腰に手を当てて高らかに宣言した。
みかん箱を壊された悲しみなど微塵も感じさせない、その底抜けに強欲でポジティブな姿に、優太はたまらず吹き出した。
「ははっ、プロデューサーね。光栄なこった」
テント村の住人たちからも、悪党を撃退してくれた優太たちへの歓声と拍手が沸き起こる。
これで、理不尽な地上げ屋の脅威は去った。
あとはこの悪徳商人たちをルナミスの衛兵に突き出せば、一件落着――誰もがそう思っていた。
「……ゲホッ、ゴホォッ!!」
歓声の中、ひどく苦しそうな咳き込む音が響いた。
優太が視線を向けると、先ほどリーザに干し肉を渡していた小さな少年・トミーが、地面に倒れ込み、胸を掻きむしりながら激しく痙攣していたのだ。
「トミー君!?」
リーザが悲鳴を上げて駆け寄る。
優太の表情から、柔らかな笑みが一瞬にして消え去った。
代わりに宿ったのは、命の危機に直面した『ハイブリッド・メディック』としての、氷のように冷徹な理性の光。
「イグニス、キャルル! 人払いをしてスペースを作れ! マンミアとリーシャは、ゴロツキの持ち物から毒物や怪しい薬がないか探せ!」
即座に医療リュック(EDC)を肩から下ろし、優太は少年の元へと滑り込んだ。
暴力の脅威は去った。だが、本当の「命の危機」は、ここからが本番だった。
次話。
最新の医療技術をもってしても救えない「心の病」。
優太が己の限界を認め、一人の『アイドル』に命のバトンを託す、主人公の真の器の大きさが試される神回が幕を開ける。




