第九章 絶対無敵のスパチャアイドルと、水底のオーロラ
帝都ルナミスの底辺と、五円玉スナイパー
ルナミス帝国の首都、帝都マルシア。
マンルシア大陸の中心に位置し、多様な種族が行き交うこの巨大都市は、今日も活気と喧騒に包まれていた。
「ふぅ。キマイラ討伐の事後報告と、領地の特産品の販売契約……なんとか午前中で片付いたな」
大通りを歩きながら、ジャージ姿の中村優太は軽く伸びをした。
隣を歩く銀髪の兎耳少女、第一夫人のキャルルが「お疲れ様です、優太くん!」と嬉しそうに彼の右腕に抱きつく。
その後ろでは、エルフの賢者リーシャが分厚い魔導書に視線を落としながら、完璧な護衛の立ち位置をキープしている。
「ええ、極めて合理的なスケジュール進行だったわ。これで午後からは、自由に帝都の視察ができるわね」
「ガハハハ! 視察も良いが、俺様は腹が減ったぜ! 帝都名物の『メガ盛りオーク肉の串焼き』を食いに行こうぜ!」
竜人族のイグニスが豪快に笑い、その横でマルストア領騎士団長のケンタウロス、マンミアが蹄をカポカポと鳴らしながら真面目な顔で頷く。
「イグニス殿の言う通りです。腹が減っては戦はできません。ボス、私も少々カロリーを摂取したく……」
「わかったわかった。じゃあ、この先の交差点を曲がったところにある屋台街に――ん?」
優太が足を止めた。
彼が視線を向けたのは、大通りの裏手。帝都にチェーン展開している魔導コンビニエンスストア『タローソン』の、薄暗い裏路地だった。
『グルルルルル……ッ!!』
路地の奥から、飢えた野良犬――いや、魔力を帯びた下級魔獣『ファング・ハウンド』の凶悪な唸り声が聞こえてきた。
「魔獣……? いや、ただの野良犬か? こんな帝都のど真ん中に……」
優太は咄嗟にキャルルとリーシャを背中にかばい、イグニスとマンミアが瞬時に臨戦態勢をとった。だが、路地裏を覗き込んだ優太たちの目に飛び込んできたのは、予想外すぎる光景だった。
「シャァァァァァッ!! 私の廃棄弁当に手を出すなーッ!!」
薄汚れ、凶暴な牙を剥き出しにする大型のファング・ハウンド。
その真正面に立ち塞がり、両手を広げて威嚇しているのは――なんと、一人の『少女』だったのだ。
「な、なんだあの娘は……?」
優太は思わず目を瞬かせた。
透き通るような美しい海色の髪に、パッチリとした大きな瞳。顔立ちだけを見れば、深海のプリンセスか、はたまた国を傾けるほどの絶世の美少女かというほどの圧倒的な素材の良さ。
だが、その首から下の装いは、彼女の美貌を完膚なきまでに叩き潰していた。
上下に白の二本線が入った、絶妙にダサい『えんじ色の芋ジャージ』。
そして足元は、ツボ押しの突起がビッシリと並んだ『健康サンダル』。
「ルナミスデパートの特売品……しかも、見事なまでの田舎ヤンキー・スタイルね」
リーシャが冷静に分析する。
少女の後ろには、タローソンのゴミ箱から発掘されたと思われる、賞味期限切れの『特製・魔豚の生姜焼き弁当(半額シール付き)』が置かれていた。
どうやら、少女と野良犬は、その廃棄弁当の所有権を巡って死闘を繰り広げているらしい。
「おいおい、あんな細腕の嬢ちゃんじゃ、ファング・ハウンドに噛み殺されちまうぜ! 優太、俺様が火球で犬っころを追い払って――」
イグニスが一歩前に出ようとした、その瞬間である。
「私のディナーを狙う輩は、犬だろうと魔王だろうと容赦しませんの! 必殺ッ!!」
芋ジャージの少女は、ジャージのポケットからゴソゴソと『一枚の硬貨』を取り出した。
そして彼女は、それを指で弾くでもなく、投げるでもなく。
なんと、自らの小さな『鼻の穴』に、スコンッ! とその硬貨を押し込んだのだ。
「……は?」
優太たち全員の思考が停止した。
『グルルァァァッ!!』
ファング・ハウンドが、隙だらけの少女の喉元めがけて跳躍する。
対する少女は、鼻の穴を片方指で塞ぎ、深々と息を吸い込むと、肺活量のすべてを硬貨を詰めた鼻孔へと集中させた。
「フンッッッッ!!!」
ピキャァァァァァンッ!!!
少女の鼻から、凄まじい破裂音と共に、黄金色の硬貨が『音速』で射出された。
それはまるで、熟練のスナイパーが放ったライフルの弾丸。
鼻孔内の空気圧で極限まで加速された硬貨は、空中で回転しながら見事な軌道を描き、跳躍したファング・ハウンドの眉間のド真ん中にクリーンヒットした。
「キャインッ!?」
鈍い音と共に、硬貨が犬の額で弾け飛ぶ。
脳震盪を起こしたファング・ハウンドは、空中で錐揉み回転しながら地面に叩きつけられ、「クゥゥン……」と情けない声を上げながら、尻尾を巻いて猛スピードで逃げ去っていった。
「……」
「……」
裏路地に、静寂が落ちる。
マンミアがポカンと口を開け、イグニスが目を擦っている。
「勝者、私ですの! ふふん、この『御縁(五円)』の弾丸からは逃れられませんのよ!」
少女は得意げに鼻の下を擦ると、地面に落ちた硬貨を拾い上げ、ジャージの袖でピカピカに磨き始めた。
チャリン、と鳴ったその硬貨の中央には、見慣れた丸い穴が空いている。
「おい……嘘だろ。あれ、日本の『五円玉』じゃないか……? なんでこんな異世界に……いや、俺が地球ショッピングで出した小銭が巡り巡って流通したのか……?」
優太が頭を抱えていると、リーシャが魔導書をパラパラと捲りながら、戦慄したように呟いた。
「……極めて非論理的な生態系ね。鼻腔内の空気圧だけで、金属貨幣を初速マッハ1まで加速させるなんて、一体どんな魔術回路を積んでいるの……? しかもあの娘、わずかだけど『深海の王族』特有の、強大な魔力波長を隠し持っているわ」
「王族が、芋ジャージで野良犬と弁当を奪い合ってるっていうのか?」
「世の中には、私の理解を超えた狂気が存在するという証明ね」
少女――海中国家シーランの親善大使にして、ルナミス帝国で独自の地下アイドル進化を遂げた人魚姫・リーザは、そんな優太たちの視線に気づくこともなく、ホクホク顔で廃棄弁当を拾い上げていた。
「よかったぁ……。生姜焼きのタレ、まだ無事ですの。これを公園の水道水で少し薄めて、パンの耳に染み込ませれば、立派な三ツ星ディナーになりますわ!」
ニコニコと嬉しそうに笑うリーザ。
その姿を見た瞬間、優太の脳内で、彼を突き動かす『絶対のルール』が発動した。
(――腹を空かせている子供を、見過ごすわけにはいかない)
防衛医科大で命の重さを学び、マルストア領で人々の生活を守る領主としての、底抜けの善性。
相手が王族だろうが、鼻から五円玉を飛ばすスナイパーだろうが関係ない。今、目の前にいるのは「廃棄弁当で命を繋ごうとしている、腹を空かせた少女」なのだ。
優太は迷うことなく、裏路地へと足を踏み出した。
「ボス!?」
「優太くん!?」
仲間たちが止める間もなく、優太はリーザの目の前まで歩み寄り、スッと右手を差し出した。
「……ん? どなたですの? サインなら、パンの耳一斤で受け付けておりますけど」
警戒するように弁当を後ろに隠すリーザ。
優太は、背負っていたリュック(EDC)に手を入れるフリをして、密かに『地球ショッピング』のインターフェースを開いた。
タップ一つ。消費ポイント150P。
「サインはいらない。ただ……その弁当は、肉が少し傷んでる。腹を壊すぞ」
優太がリュックから取り出したのは、ホカホカと湯気を立てる、地球のコンビニクオリティを極限まで高めた『特製・極旨黒豚まん』だった。
「えっ……?」
「俺はお節介な性分でね。腹が減ってるなら、これでも食いな」
優太は、まだ熱々の肉まんを、リーザの両手にそっと握らせた。
ふわりと漂う、小麦粉の甘い香りと、濃厚な豚肉と玉ねぎの匂い。地下アイドルとして、スーパーの試食コーナーと廃棄弁当で生き延びてきたリーザの鼻腔を、暴力的なまでの『本物の旨味』が貫いた。
「これ……私に、くれるんですの……?」
「ああ。遠慮しなくていい」
リーザはゴクリと喉を鳴らし、優太と肉まんを交互に見つめた後。
「いただきますのッ!!」
と、野生動物のようなプロ並みの速度で、巨大な肉まんを瞬く間に平らげてしまった。
「んんんんん〜〜ッ!! 美味しいですの! ほかほかで、肉汁がジュワァって! いつも食べてる冷たいパンの耳とは次元が違いますのぉぉ!」
芋ジャージの少女は、幸せそうに頬を抑えてピョンピョンと跳ね回った。健康サンダルがペチペチと鳴る。
「ガハハハ! 良い食いっぷりじゃねぇか、嬢ちゃん!」
「ゆっくり食べてくださいね。お茶もありますから」
路地裏に入ってきたイグニスが豪快に笑い、キャルルが水筒を手渡す。
優太は、満足そうに笑うリーザを見て、ふっと口角を上げた。
「俺は中村優太。こっちは仲間たちだ。……君、名前は?」
優太の問いかけに、リーザはハッと我に返ったように姿勢を正した。
ジャージの襟をピンと張り、健康サンダルでターンのステップを踏むと、路地裏の薄暗い光をスポットライトに見立てて、堂々とウインクを放つ。
「名乗るほどの者ではありませんが……お肉まんの御恩に報いて、特別に教えてあげますの!」
彼女はビシッと優太を指差し、最高に純真で、そして強欲な笑みを浮かべた。
「私は、銀河の果てまで愛と奇跡を届ける、絶対無敵のスパチャアイドル! 『リーザ』ですの! 以後、お見知りおきを、私の太客第1号さん♡」
ルナミスの裏路地で出会った、芋ジャージの強欲アイドル。
彼女との出会いが、優太たちマルストア領最強チームに、かつてない爆笑と、そして「歌による奇跡の救済」をもたらすことになるとは。
この時の優太は、まだ知る由もなかった。




