EP 10
月下の宴と、両手に花(嫁)の平穏
「おーい! 伯爵様たちがお戻りになられたぞーッ!!」
マルストア領・伯爵邸の正門に、ランドクルーザー250が滑り込むように停車した。
ヘッドライトに照らされたエントランスでは、宰相のルンベルス、ドワーフのドルク、そして猫耳族のニャングルが、今か今かと待ちわびていた。
「おおぉぉ……! 皆様、ご無事で……ッ!」
ルンベルスが涙目で駆け寄ってくる。優太たちが車から降りると、彼らの体には煤や泥が付着していたが、誰一人として欠けることなく、その表情は明るかった。
「ただいま、ルンベルス。……森の火事は消し止めた。怪我をした魔獣たちも、精霊の加護で快方に向かってる。キマイラも無力化してきたよ」
「なんと……! あの伝説の合成魔獣を、死者ゼロで……! やはり伯爵様は、神の御使いであらせられる!」
「だから神様じゃないって。それより、腹ペコなんだ。宴会の準備はできてるか?」
優太の言葉に、ドルクが樽を担ぎ上げながら豪快に笑った。
「がははは! もちろんじゃ! 庭園に特設のテーブルを並べて、極上の『イモッカ』を山ほど冷やしておいたわい!」
「よし! なら、まずは冷え切っちまった『金曜日カレー』の温め直しからだな。イグニス、火加減は任せたぞ」
「おう! 俺様の繊細なコントロールを見せてやるぜ!」
イグニスが指先に小さな炎を灯し、厨房の巨大な鍋を絶妙な温度で温め直していく。
かくして、満月に照らされた伯爵邸の庭園にて、キマイラ討伐の慰労を兼ねた大宴会が盛大に幕を開けた。
***
「かんぱーいッ!!」
透き通るような夜空の下、グラスを打ち鳴らす音が響き渡る。
テーブルには、スパイスの香り豊かな金曜日カレーと、昼間のトラウマを完全に美味さで上書きした『特製・折れたス・シーザーサラダ』が並べられていた。
「いや〜、優太の旦那! あの森で使った『抗毒血清』っちゅーお薬! あれ、商会で量産できたら大陸中の毒を無効化してボロ儲けでっせ! ワイに独占販売権を……」
「ダメだ。あれは地球の軍事医療品だ、この世界じゃ成分が再現できない。それに、ニャングルが売ったら値段を百倍にするだろ」
「ひぃぃっ、なんでバレてるんでっか!」
ニャングルが分かりやすく目を泳がせ、周囲から笑いが起こる。
和やかな空気の中、イグニスがジョッキ片手に優太の隣へとやってきて、ドンと腰を下ろした。
「……おう、優太」
「ん? どうした、イグニス。カレーのおかわりならまだ鍋にあるぞ」
イグニスは普段の豪快な笑いを引っ込め、少しだけ真面目な顔で月を見上げた。
彼の手には、昼間の【ロメインレタス風・折れたス】による「ミスマッチ」のトラウマなど、微塵も残っていない。
「俺様はよ、竜人族の戦士として、ずっと自分の力だけで戦い抜くのが最強だと思ってた。誰かと連携するなんて、弱者のすることだってな。……だが、今日はお前に教えられたぜ」
イグニスはジョッキを掲げ、優太のグラスにカチンと当てた。
「俺の炎、リーシャの魔法、キャルルの打撃、そしてお前の指揮。俺たち全員の力が合わさった時、どんなバケモノの暴力より強くなる。……優太。お前が軍団長って言うなら、俺様はどこまでもついていくぜ。お前の背中なら、安心して預けられる」
力強い竜人の親友からの、これ以上ない賛辞。
覇道を求めず、ただ平穏を守りたいと願う優太にとって、それはどんな称号や権力よりも嬉しい言葉だった。
「軍団長なんて柄じゃないさ。……俺たちは、家族みたいなもんだろ。これからも頼りにしてるよ、相棒」
「ガハハハ! 違いねぇ!」
二人が笑い合い、イモッカを一気に煽る。
宴の熱気は最高潮に達し、仲間たちの笑顔が月明かりの下で弾けていた。
***
宴の喧騒から少し離れた、庭園の隅にある静かなベンチ。
優太はそこに一人腰掛け、夜風を浴びながら冷たい陽薬草茶を喉に流し込んでいた。
「ふぅ……」
極限の集中力で交戦下救護(CUF)を指揮し、キマイラの魔導コアを撃ち抜いた疲労が、今になって心地よい重さとなって全身を包み込んでいる。
「……見つけた」
「優太、ここにいたのね」
ふいに、背後から二つの柔らかい声が響いた。
振り返ると、銀髪の兎耳を揺らすキャルルと、透き通るような金髪のエルフ・リーシャが、並んで歩み寄ってくるところだった。
「キャルル、リーシャ。二人とも、カレーはもういいのか?」
「はい! もうお腹いっぱいです!」
「ええ。カロリーと精神的充足感の摂取は完了したわ。……ねぇ優太、隣、座ってもいいかしら?」
「あ、ああ。もちろん」
優太がベンチのスペースを空けると、二人はまるで示し合わせたかのように、優太の右と左にぴったりと密着して腰を下ろした。
「えっと……ちょっと近くないか?」
優太が戸惑いの声を上げるが、二人は離れるどころか、さらに距離を詰めてくる。
右側からは、キャルルが優太の右腕を両手でギュッと抱きかかえ、自分の胸元に引き寄せた。
「優太くんの指揮、本当に素敵でした……。一人で突っ走るんじゃなくて、私やイグニスさんたちを信じて背中を預けてくれて。……私、優太くんのお嫁さんになれて、世界で一番幸せな女の子です」
キャルルの瞳は潤み、兎耳が幸せそうにパタパタと揺れている。昼間の『お友達から種』のパニックは完全に浄化され、彼女の中には「妻」としての絶対的な自信と愛だけが満ち溢れていた。
そして左側からは、リーシャが優太の左腕に自分の腕を絡め、彼女の滑らかで冷たい頬を優太の肩にすり寄せてきた。
「キャルルの言う通りよ。あなたの論理的で優しい戦術は、私の何よりの誇り。……コンペの敗北なんてどうでもいい。私は、あなたという最高の理解者に出会えたのだから。あなたの隣こそが、私の設計図の完成形よ」
普段はクールで理知的なエルフの、予想外に大胆で甘い言葉とスキンシップ。
右からは可憐な月兎族の柔らかな体温が、左からは絶世のエルフの優艶な香りが、優太の理性を容赦なく揺さぶってくる。
「お、おい二人とも……。みんなが見てるかもしれないぞ……?」
優太の顔は、燃え盛るイグニスの炎よりも真っ赤に染まっていた。
戦場ではどんなバケモノを前にしても心拍数を一定に保つハイブリッド・メディックが、今やG-SHOCKの脈拍計がエラーを起こすほどの動悸に見舞われている。
「見られても構いません! だって、夫婦なんですから!」
「ええ。愛する夫の疲労を、妻がスキンシップで癒やすのは、極めて医学的かつ合理的なアプローチだわ」
二人はふふっと笑い合い、さらに優太へとすり寄った。
逃げ場のない、いや、逃げる理由など存在しない至福の拘束。
優太は真っ赤な顔のまま、何度か深呼吸を繰り返し……やがて、観念したように息を吐き出した。
「……ははっ。降参だ」
優太は、両腕に抱きつく妻たちの温もりを感じながら、庭園の木々の隙間から覗く、美しい満月を見上げた。
地球の現代社会からこの異世界に飛ばされ、理不尽な死や暴力に直面することもあった。
だが、その度に自分の信じる「善性」を貫き通した結果が、この温かな時間なのだ。
(ま、森の平和も守れたんだし……今日くらいは、良いか)
優太は照れ笑いを浮かべながら、そっとキャルルとリーシャの肩に頭をもたれかからせた。
月明かりに照らされた三人のシルエットは、ただの最強の戦士でも、偉大な領主でもなく、互いを愛し合う等身大の家族そのものであった。
***
しかし、マルストア領が月下の宴で至福の時間を過ごしている頃。
その平和な夜空の遥か下、帝都マルシアの地下深層――かつてドワーフたちが築いた地下帝国ドンガンへと続く、闇の回廊。
漆黒の外套を纏った魔族の幹部・ゾルギアは、手元の魔水晶に映し出された『魔獣の森』の惨状……いや、自身の計画の完全なる『失敗』を前に、ギリッと牙を剥き出しにしていた。
「……我が最高傑作たるキマイラが、殺されずに……元の三匹の獣に解呪されただと……!?」
魔水晶には、キマイラの胸に埋め込んだはずの『人工魔導コア』が、綺麗に一点だけ粉砕されている映像が記録されていた。
ゾルギアの手が、怒りと驚愕で微かに震える。
「馬鹿な……。あのような複雑な呪術の結び目を、力任せに破壊するのではなく、針の穴を通すような精密さで内部から撃ち抜いたというのか……!」
さらにゾルギアを驚愕させたのは、その戦闘プロセスであった。
「しかも、あの竜人と、月兎族、そしてエルフの魔法使い。奴らがバラバラの属性でありながら、完全に一つの生き物のように連動し、キマイラの猛攻を無力化していた……。【チームワーク】だと? 個を重んじる亜人や人間どもが、これほどまでに連携するなど……!」
ゾルギアは魔水晶を床に叩きつけ、粉々に粉砕した。
彼の計算を狂わせた元凶。それは間違いなく、あのジャージ姿の領主・中村優太だ。
「……中村優太。生命の尊厳を謳い、圧倒的な武力と知識を持ちながら、決して支配しようとしないイレギュラー。奴の存在は、我ら魔族の悲願にとって最大の障害となる」
ゾルギアは立ち上がり、背後に控える闇に染まった魔獣たちと、洗脳された暗殺部隊を見下ろした。
もはや、小細工は通用しない。
「キマイラすらも無力化するその絆、そして圧倒的な力……。ならば、この私が自ら表舞台に立ち、貴様のその『当たり前の平和』とやらを、根底から引き裂いてやろう」
魔族幹部の冷酷な殺意が、地下の闇を濃密に染め上げていく。
マルストア領に忍び寄る、これまでとは次元の違う最悪の脅威。
だが、どんな絶望が立ちはだかろうとも。
中村優太と、彼を信じる最強の家族の絆が折れることは、決してない。




