EP 9
無双薙刀流と、解き放たれる命
『グルルルォォォォォォォォォォォォォォッ!!!』
泥沼に下半身を縫い付けられたキマイラの『獅子頭』が、夜空に向けて最期の絶叫を上げた。
背中の山羊と尾の大蛇を失い、自らの命すらも燃え尽きようとしている合成魔獣。その体内に残された全魔力が、獅子の顎にただ一点、凝縮されていく。
「温度が急上昇しているわ! 優太、あの火球はただの炎じゃない! 命を削って魔力に変換する、自爆同然の『極大火炎』よ!」
後方からリーシャが悲痛な叫びを上げる。
周囲の空気が一瞬にして乾燥し、燃えカスが宙で発火するほどの異常な熱量。直撃すれば、屈強な竜人族であるイグニスですら骨も残らないだろう。
だが、その圧倒的な死の熱波を前にしても、中村優太の足どりは決して止まらなかった。
「……」
優太は薙刀を力みなく下げたまま、スッ、スッ、と滑るように歩みを進める。
『システマ』の呼吸法。
鼻から細く息を吸い、口から静かに吐き出す。極限の恐怖とプレッシャーの中で、あえて全身の筋肉を完全に『脱力』させる。恐怖を否定するのではなく、受け入れ、受け流すことで、人体が本来持つ運動性能を100パーセント解放するための準備だ。
『ガァァァァァァァァァァッ!!』
ついに限界まで圧縮された極大火炎が、キマイラの口から太陽のプロミネンスの如く放たれた。
一直線に優太へと襲い掛かる、直径数メートルにも及ぶ灼熱の光柱。
「ボスッ!!」
「優太ァァァッ!!」
マンミアとイグニスが絶叫する。
回避は不可能。防御も無意味。
誰もが優太が炎に呑み込まれると思ったその瞬間。
優太の足元が、爆発した。
ダンッ!!
『八極拳』の真髄たる『震脚』。
大地を激しく踏み鳴らすことで生み出された反発力が、完全に脱力していた優太の肉体を、弾丸のような速度で前方へと押し出した。
「『無双薙刀流・歩法――縮地』」
優太は、迫り来る極大火炎を『躱す』ことはしなかった。
彼は自ら、火炎のド真ん中へと飛び込んだのだ。
右手で薙刀を風車のように高速回転させ、纏わせた黄金色の闘気で、正面から迫る炎の波をコンマ数秒だけ左右に『切り裂く』。
モーセの十戒のごとく、真っ二つに割れた灼熱のトンネル。その中心――炎の台風の目とも言える絶対安全圏を、優太は音速のステップで一気に駆け抜けた。
「なっ……炎を割って、中を突っ切っただと!?」
イグニスが信じられないものを見るように目を見開く。
一瞬にしてゼロ距離。
キマイラの獅子頭の目前、息もかかるほどの距離に、優太は躍り出た。
『グガァッ……!?』
キマイラが驚愕に目を剥き、優太を噛み砕こうと巨大な顎を開く。
だが、その瞳の奥を至近距離から見つめた優太は、医師として、ある『真実』を確信していた。
(……やっぱりな。こいつの瞳には、殺意なんかない)
狂気と憎悪に満ちているように見えたキマイラの瞳の奥。そこにあったのは、強引に他の獣と縫い合わされ、自由を奪われたことに対する『激痛』と『救難信号(SOS)』だった。
「痛かったよな。無理やり別の命と繋ぎ合わされて、自分の意志も奪われて」
優太は、噛み付いてくる獅子の顎を避けることなく、半身を切ってその懐へと深く潜り込んだ。
彼が防衛医科大で学んだ解剖学の知識と、闘気による探知が、キマイラの分厚い胸の奥底――三つの命を強引に繋ぎ止めている『人工魔導コア』の正確な位置を割り出していた。
魔族が埋め込んだ、心臓に寄生する悪性の腫瘍。
ならば、医者である自分の仕事は一つだ。
「安心しろ。お前たちは、もうバケモノじゃない。俺の『患者』だ」
優太は薙刀をクルリと反転させ、刃ではなく、石突き(柄の底)をキマイラの分厚い胸甲へとピタリと当てた。
「患者にメスを入れる時は、一瞬で終わらせるのが鉄則だ」
優太の全身を巡っていた黄金色の闘気が、腕を伝い、薙刀の柄を通り、石突きの先端わずか一点へと極限まで圧縮されていく。
「『無双薙刀流・奥義――浸透勁』ッ!!」
ドンッ……!!
表面には、傷一つ付かない。
だが、石突きから放たれた『内部破壊に特化した闘気の衝撃波』が、キマイラの分厚い肉体と骨をすり抜け、深奥に埋め込まれていた紫色の『人工魔導コア』のみを正確に撃ち抜いた。
パキィィィィンッ!!!
キマイラの体内で、邪悪なガラス細工が砕け散るような、甲高い音が響き渡った。
直後。
キマイラの巨体を縛り付けていたドス黒い呪術の鎖が、光の粒子となってボロボロと崩れ落ちていく。
『……ォ……ォォ……』
獅子の頭が、呆然としたように天を仰いだ。
その目から狂気の光がスゥッと消え去り、代わりに安堵の涙のようなものが溢れ出す。
ズルンッ、と。
魔導コアによる強制的な癒着が解けたことで、巨大なキマイラの肉体が、光の繭に包まれながら三つのシルエットへと分離していった。
光が収まった後、泥沼の跡地に残されていたのは――。
全身傷だらけだが、穏やかな寝息を立てる一頭の【黄金獅子】。
黒焦げになりながらも、ピクピクと耳を動かしている【大角山羊】。
そして、喉元を腫らしながらも、丸まってスヤスヤと眠る【森の大蛇】だった。
「……オペ終了。術後のバイタル、異常なしだ」
優太は薙刀を肩に担ぎ、フッと優しく微笑んだ。
魔族が生み出した最悪の兵器は、一滴の血も流させることなく、三匹の「ただの傷ついた動物」へと還されたのだ。
「す、すごい……! 本当に、ただの一匹も殺さずに、呪いだけを完全に破壊した……!」
リーシャが震える声で呟き、杖を取り落とした。
「ガハハハハ! 冗談じゃねぇ、あんな器用な真似、俺様には百年かかってもできねぇぜ! やっぱりお前は、最高の軍団長だ、優太!」
イグニスが腹を抱えて大笑いし、マンミアも深く安堵の息を吐いてその場に座り込む。
ぽわぁっ……、ぽわぁっ……。
森の奥から、先ほど避難していた精霊たちが再び姿を現した。
彼らは優太の周囲をクルクルと飛び回り、眠る三匹の動物たちに淡い治癒の光を降り注いでいく。森全体が、彼らマルストア領の最強チームに心からの感謝と祝福を捧げていた。
『チャリン♪チャリン♪チャリン♪チャリン♪チャリン♪……!』
優太の脳内では、かつてないほどの桁外れな『善行ポイント』が雪崩れ込むように加算され続けている。
だが、今の優太にとってそんなポイントはどうでもよかった。
「優太くーんッ!!」
背後から、感極まったキャルルが猛スピードで突進してきて、優太の背中に思い切りダイブした。
「わぷっ!?」
「かっこよかったです! 本当に、本当にかっこよかったですぅぅぅ! 誰も殺さずに、みんな助けちゃうなんて……私、優太くんのお嫁さんで本当に幸せですッ!」
兎耳をパタパタさせながら、優太の頬にスリスリとすり寄るキャルル。
そこに、リーシャも静かに歩み寄り、優太の額の汗をそっとハンカチで拭った。
「お疲れ様、優太。あなたのその『生命に対する底抜けの善性』が、私の何よりの誇りよ」
「二人とも、ありがとう。……でも、俺一人の力じゃない。イグニスが山羊を抑え、キャルルが蛇を落とし、リーシャが足止めしてくれたから、俺はコアを狙えたんだ。俺たちの『チームワーク』の勝利だよ」
優太が照れくさそうに頭を掻くと、精霊たちの光に照らされた仲間たちが、皆一様に温かい笑顔を向けた。
「さて……森の火事もイグニスが止めてくれたし、怪我人の応急処置も終わった。みんな、家に帰ろうか」
優太が呼びかけると、眠っていた黄金獅子、大角山羊、森の大蛇の三匹が、ゆっくりと目を覚ました。
彼らは優太の前に歩み出ると、まるで深い敬意を示すように、三匹揃って深々と頭を垂れた。
そして、精霊たちに導かれるようにして、自分たちの本来の住処である深い森の奥へと、静かに帰っていったのである。
戦いは終わった。
絶望の野菜によるパニックから始まり、魔族の生態系破壊兵器を打ち倒した、長く過酷な一日。
「よし! 帰ったら、冷えた金曜日カレーの温め直しと、とびっきりの宴会だ!」
「おうっ! イモッカの樽を開けるぜ!」
夜風が心地よく吹き抜ける中、優太たちは肩を並べて、マルストアの伯爵邸へと凱旋する。
次話。月明かりの下で開かれる大宴会と、両手に花(嫁)のイチャイチャタイム。平和と平穏を取り戻した彼らの、極上のご褒美回が幕を開ける。




