EP 8
銀月の兎と、砕け散る毒牙
『シャァァァァァァァァッ!!』
夜の魔獣の森。
紫色の腐食毒を滴らせた大蛇の巨大な顎が、指揮を執る優太の背後から音速を超えて迫っていた。
山羊の頭をイグニスに叩き潰されたキマイラが、本能的に『この部隊の核』である優太を排除しようと放った、必殺の奇襲。
だが、優太は振り返ることすらしない。
彼の背中には、一切の隙も、恐怖もなかった。
「私の……大好きな優太くんに、汚い毒を近づけないでくださいッ!!」
月明かりを反射し、一条の『銀色の流星』が夜空を切り裂いた。
キャルルである。
月兎族特有の、常人には目で追うことすら不可能な圧倒的跳躍力。彼女は空中で体を捻りながら、優太の真横をすり抜けるようにして大蛇の前に立ち塞がった。
「シャァァッ!?」
大蛇が標的をキャルルに変え、その鋭い毒牙を突き立てようとする。
だが、キャルルの両手には、優太が『地球ショッピング』で引き当てた特殊合金製のダブルトンファーが握られていた。
地球の軍用規格で作られたその武具に、月兎族の極限まで練り上げられた『銀色の闘気』が流れ込み、眩いばかりの輝きを放つ。
「『月影流・銀盾の型』!」
ガキンッ!!
キャルルは両腕を交差させ、トンファーの硬質な側面で大蛇の巨大な牙を真正面から受け止めた。
数十トンの質量を持つキマイラの尾の突進力。並の騎士なら、盾ごと全身の骨を粉砕されているだろう。
しかし、キャルルは一歩も引かない。
彼女の華奢な足元の大地が蜘蛛の巣状にひび割れ、土煙が舞い上がるが、その瞳には一切の怯えがなく、ただ純粋な『妻としての怒り』が燃え盛っていた。
『私は……ただの便利な相棒でも、格闘家でもありません!』
キャルルの脳裏に、数時間前の厨房での出来事がフラッシュバックする。
【お友達から種】の折れたスによって抉られた、「一番仲の良い友達でいてね」という残酷な言葉。
優太の隣にいる資格がないのではないかと、心が完全にへし折れそうになったあの絶望。
だが、優太は銀色の闘気が荒れ狂う中へ躊躇なく飛び込み、彼女を抱きしめて言ってくれたのだ。
『お前は俺の妻だ。一生、俺の隣にいてほしい、一番大事な家族なんだ』と。
「優太くんは、私を『家族』だって言ってくれました! だから私は……優太くんの隣に立つ『妻』として、あなたの牙をへし折ります!!」
キャルルの全身から、満月時に匹敵するほどの濃密な銀色闘気が爆発的に吹き上がった。
「ギ、ギャァァァッ!?」
大蛇が、その圧倒的な魔力の奔流に恐れをなし、牙を引き抜いて後退しようとする。
「逃がしません! ――『月影流・銀華の舞』ッ!!」
キャルルは交差させていたトンファーを弾くように開き、大蛇の顎を下から勢いよくカチ上げた。
バキィッ! と鈍い音が響き、大蛇の頭部が大きく上空へと跳ね上がる。
無防備に晒されたのは、大蛇の喉元――紫色の腐食毒を生成し、キマイラの体内に巡らせている『毒腺(魔力器官)』のコアだった。
「はぁぁぁぁぁッ!!」
キャルルは大地を蹴り、宙に浮いた大蛇を追って高々と跳躍した。
空中で体をコマのように高速回転させ、遠心力と銀色の闘気を右足のつま先に一点集中させる。
地球の武術における『後ろ回し蹴り』を、月兎族の身体能力と異世界の闘気で魔改造した、音速の超絶打撃。
「『双月崩し』!!」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
キャルルの右足が、大蛇の喉元のコアに完璧なタイミングで突き刺さった。
音速を超えた蹴りの衝撃波が、夜の空気を震わせ、周囲の木々の葉を根こそぎ吹き飛ばす。
『ギェ、ギャアアアアアアアアッ……!!』
大蛇の断末魔が響き渡った。
強固な鱗に守られていたはずの喉元が、銀色の闘気によって内部から完全に粉砕され、毒腺のコアが砕け散る。
紫色の毒液が空中に飛散するが、それすらもキャルルの纏う闘気の風圧で一瞬にして浄化され、霧散していった。
「……ふぅ。お掃除、完了です」
スタッ、と。
キャルルは音もなく大地に着地し、トンファーをクルリと回して構えを解いた。
彼女の背後で、完全に機能を停止した大蛇の尾が、ズシンと力なく泥沼へと崩れ落ちる。
月明かりに照らされたその銀髪の姿は、戦いの熾烈さを微塵も感じさせないほど、可憐で美しかった。
「すげぇ……。完璧な打撃だ、キャルル。俺の背中を守ってくれて、ありがとう」
優太が振り返り、心からの称賛を口にする。
キャルルは兎耳をパタパタと嬉しそうに揺らし、頬を赤く染めて振り返った。
「えへへ……。私、優太くんのためなら、どんなバケモノだってやっつけちゃいますから! だって、お友達じゃなくて、奥さんですからね!」
「あ、ああ。頼りにしてるよ」
ヤンデレ一歩手前の重い愛情が込められた言葉に、優太は少しだけタジタジになりながらも、優しい笑みを向けた。
その光景を、泥沼の中から見つめている存在がいた。
『グル、ルルルォォォォォ……ッ』
キマイラの『獅子頭』である。
背中の山羊の頭はイグニスの爆炎によって黒焦げとなり沈黙し、尾の大蛇はキャルルの蹴りによってコアを粉砕された。
三つの魔獣の融合体であったキマイラは、今や右半身と尾の感覚を失い、深い泥沼に下半身を拘束された『手負いの獣』へと成り果てていた。
「よし。これで厄介な複合攻撃は封じた。残るは、メインの獅子頭だけだ」
優太の表情が、再び『ハイブリッド・メディック』としての冷徹なものへと切り替わる。
彼は手にした薙刀の柄を強く握り直し、キマイラへとゆっくり歩みを進めた。
「リーシャ! 泥沼の拘束はまだ持つか?」
「ええ、魔力フローは安定しているわ。だけど、気をつけて優太。あの獅子の頭……他の二つの器官を失ったことで、体内の全魔力を強引に炎に変換しようとしているわ!」
リーシャの警告通りだった。
キマイラの獅子頭の周囲の空気が、異常な熱量で陽炎のように揺らめき始めた。
黄金の鬣が赤黒く変色し、口の奥底で、これまでに放ったどの火球よりも巨大で、高密度の『極大火炎』が圧縮されていく。
逃げ場のない泥沼の中で、最後に刺し違えてでも周囲を灰燼に帰そうとする、魔獣の捨て身の自爆攻撃だ。
「おい優太! アレはヤバいぜ! 俺様が斧で相殺してやるから、一旦引け!」
イグニスが焦燥の声を上げ、再び前に出ようとする。
「いや、イグニスは下がってろ。今のボロボロの肋骨でアレをまともに受けたら、せっかくの応急処置が無駄になる。……俺が行く」
優太は立ち止まることなく、キマイラとの距離を詰めていく。
システマの呼吸法によって心拍数を極限までコントロールし、全身の筋肉を脱力させる。
彼の纏う黄金色の闘気が、刃のように鋭く、そして水のように静かに研ぎ澄まされていく。
『ガァァァァァァァァッ!!』
キマイラの獅子頭が、絶望の極大火炎を放つべく、大きく顎を開いた。
「お前も……魔族の実験体として、好きでこんな姿にされたわけじゃないんだろうな」
優太の呟きは、怒りに燃える魔獣の咆哮にかき消されたが、その瞳には明確な『哀れみ』と『救済』の光が宿っていた。
「なら、俺がその呪縛を解いてやる。……一瞬で終わらせるからな」
極大火炎が優太を襲う中、ハイブリッド・メディックの無双薙刀流が真髄を見せる。
血を一滴も流させず、命を奪わずしてバケモノを元の姿へと還す、神業の制圧劇がいよいよ決着の時を迎える。




