EP 5
森の悲鳴と、命を繋ぐ野戦病院
マルストア領の西側に広がる『魔獣の森』。
本来であれば、豊かな魔力と自然が調和し、多種多様な動植物が独自の生態系を築いている不可侵の聖域である。しかし今、その森は赤蓮の炎に包まれ、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「――っ、ひどい有様だ……!」
漆黒のランドクルーザー250のハンドルを握る優太は、フロントガラス越しに広がる光景に唇を噛んだ。
夜の闇を切り裂くように燃え盛る木々。むせ返るような煙と、焦げた肉の臭いが風に乗って鼻を突く。森の境界線に張られていたマルストア領の防護結界には、全身に重傷を負った森の魔獣たちが次々と倒れ込んでいた。
「優太! 結界の前に車を停めろ! これ以上は車体が持たねぇ!」
後部座席から身を乗り出したイグニスが叫ぶ。
「わかってる! みんな、衝撃に備えろ!」
キィィィィィンッ!
優太は強烈なブレーキングと共に車を横滑りさせ、結界の入り口を塞ぐようにしてランクルを停止させた。ドアを蹴り開け、医療セット(EDC)の詰まったリュックと薙刀を手に、大地へと飛び出す。
「ギャンッ……! クゥゥン……」
「ブモォォォ……ッ」
足元には、火傷を負ったトライバードや、腹部から血を流すジオ・リザード、さらには葉の半分を焼かれた小さなトレント(樹人)たちが、折り重なるようにして苦しんでいた。
「森の動物たちが、こんなに……! 酷すぎます!」
キャルルが悲痛な声を上げ、自身のトンファーを握りしめる。
「全員、戦闘配置じゃない! 救護配置だ!」
優太の鋭く通る声が、パニックになりかけていた現場の空気を一瞬で引き締めた。防衛医科大で徹底的に叩き込まれた、野戦病院の指揮官としての声色だ。
「マンミアとキャルルは、森から逃げてくる負傷者を安全な場所へ誘導しろ! 追撃してくる敵がいれば撃退だ! イグニス、お前は炎のスペシャリストだろ! 自分の『大火炎』で森の火災を相殺して、これ以上こっちに火が燃え移らないように防火帯を作れ!」
「おうっ! 任せとけ! 炎の扱いなら誰にも負けねぇ!」
「リーシャは俺の助手を頼む! 清浄な水と、光魔法での手元の照明を! これより、負傷者のトリアージ(治療優先順位の決定)を開始する!」
「了解よ、優太。極めて論理的で迅速な判断だわ。あなたの指示に全霊で従うわ」
優太はリュックを広げ、赤、黄、緑、黒の『トリアージタッグ』を取り出した。
重症度を瞬時に見極め、限られた医療資源で最大の命を救うための残酷にして絶対のルール。
「……ッ、こいつは動脈からの出血だ! 赤(最優先)!」
優太は、右前脚を大きく欠損し、鮮血を噴き出しているジオ・リザードの元へ滑り込んだ。
ためらうことなく『CAT(戦闘用止血帯)』を取り出し、傷口より心臓に近い位置に巻き付けてウィンドラス(棒)を力一杯捻り上げる。
「ギャルルッ!?」
「痛いな、我慢しろ! ここを乗り切ればお前は死なない!」
動脈からの出血を物理的に完全封鎖し、傷口に『クイッククロット(止血剤配合ガーゼ)』を素早く詰め込む。闘気を持つ魔獣の生命力は凄まじい。出血さえ止めれば、あとは彼ら自身の治癒力で命を繋ぐことができる。
「よし、次! ……なんだ、この傷は!?」
次に優太が診たのは、体長三メートルを超える巨大な長老トレントだった。
トレントの太い幹の腹部には、巨大な牙で噛み砕かれたような悍ましい傷跡があり、そこから【紫色の粘液】がドクドクと溢れ出していた。粘液が触れた端から、強固なはずのトレントの樹皮がジュージューと音を立てて溶け落ちていく。
「腐食性の猛毒……! 魔獣の毒じゃない、もっと悪意に満ちた、人工的な魔力毒だわ!」
リーシャが解析魔法をかけながら、青ざめた顔で叫んだ。
「優太、この毒の進行速度は異常よ! エルフの解毒魔法でも中和が追いつかない! このままでは、長老トレントは三分以内に全身が溶けて枯死するわ!」
「三分……。なら、一分で終わらせる!」
優太は即座に空中に『地球ショッピング』のインターフェースを展開した。
先ほどの『折れたス・シーザーサラダ』による精神救済、そしてこれまでの善行で蓄積されたポイントを躊躇なく全額ベッドする。
(地球の現代医療が生み出した、最強の広域抗毒血清と、外傷用のアドレナリン注射器……出てこいッ!)
『チャリン♪ UR:統合型・超広域抗毒血清セット(ミリタリー仕様)を召喚しました』
光と共に優太の手に現れたのは、地球の最新バイオテクノロジーと軍事医療が融合した、強力な血清アンプルと特殊な注射器だった。
「リーシャ、毒が回っている患部の境界線を魔法で光らせてくれ!」
「え、ええ! ここよ!」
優太は自身の愛刀である『薙刀』を手に取り、刀身に黄金色の闘気を極限まで集中させた。
外科手術におけるメス。それを、この巨大なトレントに対しては薙刀で代用する。
「長老、少し乱暴な外科手術になる。……死なせはしない!」
ザシュゥゥゥッ!!
優太の薙刀が、紫色の毒に侵された患部を、健康な組織のギリギリのラインで一刀のもとに切除した。腐食した木片がドサリと崩れ落ちる。
すかさず、優太は切断面の樹液が通る太い管(静脈に相当する部分)に、地球ショッピングで出したオートインジェクターを力強く押し当てた。
カシュッ!
強力な抗毒血清とアドレナリンが、トレントの体内へと一気に注入される。
「ウォォォォ……ッ」
長老トレントが苦悶の声を上げるが、やがて紫色の毒素がみるみるうちに無色透明な樹液へと浄化され、溶けかけていた幹の進行がピタリと停止した。
「……バイタル安定。毒素の完全中和を確認。よく頑張ったな、長老」
優太が安堵の息を吐き、額の汗を拭った。
その瞬間である。
ぽわぁっ……。
森の暗がりから、淡い緑色の光を放つ無数の小さな球体がフワフワと湧き出してきた。
それは、本来であれば人間に決して姿を見せない、魔獣の森の『精霊』たちだった。彼らは、一切の打算もなく、ただ純粋に命を救うために血と泥にまみれて奔走する優太の姿に深く共鳴し、その周囲を感謝するように飛び回り始めたのだ。
『チャリン♪ チャリン♪ チャリン♪』
優太の脳内で、精霊たちからの感謝の念が、凄まじい勢いで善行ポイントとして還元されていく音が鳴り響く。
「精霊が……自ら人間に寄り添うなんて……」
リーシャが信じられないものを見るように呟いた。
「すごいわ、優太。あなたの『力で支配しない、ただ救うだけ』という精神が、森そのものに認められたのよ」
「そんな大層なもんじゃないさ。目の前で命が消えそうなのに、見過ごせる医者はいないってだけだ」
優太が照れくさそうに笑った、まさにその直後だった。
『ズシン……ッ。ズシン……ッ』
大地を揺らす、重く、悍ましい足音が、燃え盛る森の奥から近づいてきた。
精霊たちがパニックを起こしたように散り散りになり、治療を受けた魔獣たちが恐怖に震えてうずくまる。
「……何かが、来る」
優太が薙刀を構え直し、鋭い視線を森の奥へと向けた。
炎を食い止めていたイグニスも、避難誘導を終えたキャルルとマンミアも、優太の元へと集結する。
炎のカーテンを掻き分けて姿を現したのは、マンルシア大陸の自然界には絶対に存在してはならない【冒涜の象徴】だった。
体長は十メートル近い。
黄金の鬣を持つ巨大な【獅子の頭と前脚】。
背中からは、不気味に捻じ曲がった【山羊の頭と胴体】が生え、
尻尾の先には、先ほど長老トレントを死の淵に追いやった紫色の毒液を滴らせる【大蛇】が鎌首をもたげている。
さらに、その背には空を覆い隠すほどの巨大な【コウモリの翼】が羽ばたいていた。
「な、なんだあのバケモノは……!?」
イグニスが目を見開き、両手斧を構える。
「……キマイラ。複数の魔獣を、人工的な魔導呪術で強制的に融合させた、最悪の合成魔獣だわ……!」
リーシャがギリッと歯を食いしばる。
「自然の摂理を根底から愚弄する、外道の魔法。おそらく、地下帝国の闇商人か、魔族の幹部クラスが裏で糸を引いているに違いないわ!」
『ギャルルォォォォォォォォォォッ!!』
キマイラが、マルストア領の結界前に陣取る優太たちの『野戦病院』を見つけ、三つの頭から同時に鼓膜を破るような咆哮を上げた。
獅子の口からは灼熱の炎が漏れ、山羊の口からは周囲を凍らせる吹雪が渦巻き、蛇の口からは必殺の毒液が滴る。
圧倒的な暴力の権化。それが、弱い者たちが集まる救護所へと狙いを定めたのだ。
「……リーシャ。この後ろの怪我人たちをお願いできるか」
優太は静かに立ち上がり、ジャージの袖を捲り上げた。
その背中は、先ほどまでの「命を繋ぐ医師」のものから、一切のブレを持たない「守護者」のそれへと完全に切り替わっていた。
「優太……ええ、任せて。私の命に代えても、彼らを守り抜くわ」
「死ぬなよ。……イグニス、キャルル、マンミア! 相手はデカい上に、三つの頭で別々の攻撃を仕掛けてくる反則野郎だ。だが、図体ばっかりで連携が取れてない!」
優太は薙刀をクルリと回し、切先をキマイラの眉間へとピタリと向けた。
「俺たちマルストア領の『チームワーク』が上だってことを、あの合成獣に教えてやる。――総員、戦闘開始ッ!!」
ハイブリッド・メディックの号令と共に。
月明かりと炎に照らされた森の境界線で、絶望の合成魔獣と、最強の絆で結ばれた領主チームとの、死闘の火蓋が切って落とされた。
読んでいただきありがとうございます。
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