EP 4
地球の叡智と、トラウマの中和
「……地球ショッピング、発動!」
優太が空中に展開されたインターフェースのボタンを押すと、淡い光と共に、厨房のテーブルの上に地球の品々が実体化した。
これまでの善行ポイント(溝掃除、農作業の手伝い、ロックバイソン・バス救出による特大ボーナス)を惜しげもなくつぎ込んで召喚したのは、現代日本の誇る至高の調味料と嗜好品である。
特濃シーザードレッシング(業務用・大容量ボトル)
香ばしいクルトンと、厚切りスモークベーコン
プレミアム高カカオチョコレート(カカオ分86%)
「おおっ!? なんじゃその奇妙な容器に入った白い液体は!」
「ドルク、ルンベルス! 驚いている暇はない、救護活動(サラダ作り)を手伝ってくれ!」
優太は『ハイブリッド・メディック』としての冷徹な表情に戻り、即座に指示を飛ばした。
「ルンベルスは残った『折れたス』を水洗いして、一口大にちぎってくれ! ニャングルの言う通り、水に【塩】を少し多めに溶かすんだ。塩の浄化作用で、野菜が放つ絶望のテレパシーの波長を鈍らせる!」
「は、はいっ! 承知いたしました、伯爵様!」
「ドルクはそこのフライパンでベーコンをカリカリになるまで炒めてくれ! 脂は捨てずに取っておくこと!」
「がはは、任せておけい! 良い匂いがしてきたわい!」
優太自身は、泣き止んで笑顔を取り戻したキャルルを背中に負ぶった状態(キャルルが離れようとしないため)で、素早くボウルに材料を投入していく。
塩水で処理された『折れたス』の水気をしっかりと切り、炒めたベーコンとその脂、さらにクルトンを豪快に混ぜ合わせる。
「よし、そして最後に……こいつで、青臭い絶望を完全にコーティングしてやる!」
優太は業務用シーザードレッシングのボトルを傾け、濃厚なチーズとガーリックの香りが漂う白いソースを、サラダ全体にたっぷりと回しかけた。
現代の食品メーカーが英知を結集して作り上げた、圧倒的な旨味とコク。それが、異世界の魔力野菜に絡みつき、完璧な『特製・折れたス・シーザーサラダ』が完成した。
「よし。まずは、ファーストエイド(応急処置)からだ」
優太は高カカオチョコレートの箱を開け、個包装された黒いブロックを二つ取り出すと、未だに虚無の底を漂っているリーシャとイグニスの元へ向かった。
「……私の、コスパ……」
「リーシャ。これを開けて、一口食べてみてくれ」
優太は魔導書に突っ伏しているリーシャの口元に、チョコレートを差し出した。
リーシャは虚ろな青い瞳を瞬かせ、反射的にそれを口に含む。
「……苦い。でも……奥底に、深く論理的な甘みと、芳醇な香りが……」
「カカオ分86%のチョコレートだ。カカオポリフェノールは、脳の血流を改善し、心理的ストレスや脳疲労を緩和する医学的効果がある。お前が徹夜で酷使した脳細胞と、傷ついたエルフの自尊心にダイレクトに効く、地球の『回復薬』だよ」
「地球の、医学……?」
リーシャの瞳に、少しずつ理性の光が戻ってくる。脳内のストレス物質が、カカオの成分によって急速に中和されていくのを感じていた。
「脳の準備ができたら、次が『本治療』だ。このサラダを食べてみてくれ」
優太は、シーザードレッシングがたっぷりかかった『折れたス』をフォークに刺し、リーシャに手渡した。
彼女は恐る恐る、その葉を口に運ぶ。
シャキッ……。
『……社内審査委員会にて厳正に審査いたしました結果……』
リーシャの肩がビクッと跳ねる。またあの、コンペ敗退の絶望の音声が響いたからだ。
だが、次の瞬間。
濃厚なパルメザンチーズの旨味と、黒胡椒のスパイス、そしてベーコンの圧倒的な暴力的な美味さが、青臭い『お祈りの言葉』を力強く塗り潰していった。
『……っ、むぐっ……! コ、コストパフォーマンスが合致したため、他社を採用しましたが……ぶっちゃけ、リーシャ様の魔導設計図はオーバースペックすぎて、現在の我が社のインフラでは到底扱いきれないという、上層部の悲鳴が上がっておりまして……!』
「――――えっ?」
脳内の音声が、チーズの旨味に負けて『本音』を漏らし始めた。
『あんな神々しい設計図、ドワーフの最先端工房でもなきゃ実現不可能です! 本当は喉から手が出るほど欲しかったんです! すみません!』
テレパシーの音声は、ドレッシングの濃厚さに完全に屈服し、最後は泣き声のようにフェードアウトしていった。
「……な、なるほど。そういうことだったのね」
リーシャの顔に、いつものクールで自信に満ちた笑みが戻った。
エルフのプライドは完全に修復されたのだ。
「フフッ……私の設計図が、この大陸の技術水準を遥かに超えていたから、採用できなかっただけなのね。ええ、極めて論理的で納得のいく結論だわ。……優太、この『シーザードレッシング』という魔法のソース、とても美味しいわ。ベーコンの塩気も完璧よ」
「よかった。元気が出たみたいだな」
優太が安堵の息を吐く横で、今度はイグニスが「俺様は……俺様は……」と膝を抱えていた。
「イグニス! 竜人族の戦士が、たった一度のミスマッチ(不採用)くらいでいじけるな! お前には、このベーコンとクルトン大盛りのサラダだ!」
優太は、山盛りのシーザーサラダをイグニスの口に強引に押し込んだ。
「むぐっ!? なんだこの、やけに味が濃くて酸味とコクのある美味いソースは……!? それにこのカリカリした肉とパン……堪らねぇ!!」
ガツガツと咀嚼を始めたイグニスの脳内にも、先ほどのロメインレタスの声が響く。
『……技術的なミスマッチが極めて僅かに……い、いや、違います! イグニス様の炎が強すぎて、プロジェクトの予算が修繕費で吹き飛ぶからです! アンタ強すぎなんだよ!! 俺たちみたいな弱小ギルドじゃ雇いきれねぇんだよぉぉ!!』
「――――ガハハハハハハ!!!」
イグニスが、厨房の天井が揺れるほどの豪快な笑い声を上げた。
「そうかそうか! 俺様が強すぎて、扱いきれなかったってわけだな! 全く、人間のギルドってのは器が小せぇぜ! やはり俺様の実力を分かってるのは、優太、お前だけだな!」
「はいはい。ほら、口の周りにドレッシングついてるぞ」
優太は苦笑しながら、復活したイグニスに『金曜日カレー』の大盛り皿を手渡した。
「いや〜、優太の旦那の『地球ショッピング』はほんまにチートですなぁ!」
ニャングルが目を輝かせ、ドレッシングの空きボトルを愛おしそうに撫で回す。
「この『シーザー』っちゅー白いソース、帝都のレストランに持ち込んだら、一口金貨1枚で売れまっせ! ワイに独占販売権を……」
「駄目だ。これはマルストア領の皆の心を癒やすための非売品だ」
優太が即座に却下し、厨房には再び明るい笑い声が戻ってきた。
***
その日の夕食は、かつてないほどの盛り上がりを見せた。
スパイシーな金曜日カレーと、絶望を旨味でコーティングした『特製・折れたス・シーザーサラダ』。
「美味しいね、優太くん! お友達じゃなくて、奥さんとして食べるサラダ、最高です!」と、まだ少しだけ優太にべったりとくっついているキャルル。
「ええ。カカオポリフェノールとドレッシングの相乗効果、今後の領民のメンタルケアに導入すべきだわ」と真剣にメモを取るリーシャ。
「……はぁ。美味い飯があって、みんなが笑ってる。今日も色々あったけど、最高の一日だったな。やっぱり、平和が一番だ」
食後の陽薬草茶を啜りながら、優太が窓の外の月を見上げて深く息を吐き出した。
彼が心から安らぎを感じ、その言葉を口にした――まさにその瞬間である。
【締める合図】が、突如としてマルストア領の空気を一変させた。
ズズズズズズズ……ッ!!!
邸宅の床が、下から突き上げられるように激しく震動した。
テーブルの上のカップがカタカタと鳴り、窓ガラスにピキッと不吉な亀裂が走る。
「……地震か!?」
優太が即座に立ち上がり、身構える。
だが、それはただの自然現象ではなかった。
領地の西側、決して人が足を踏み入れない深い『魔獣の森』の奥底から、大地を引き裂くような、聞いたこともない異形の咆哮が響き渡ったのだ。
『ギャルルォォォォォォォォォォォッ……!!!!!』
獅子の怒気と、山羊の嘶きと、蛇の威嚇が、一つに混ざり合ったような悍ましい重低音。
その声を聞いた瞬間、イグニスとマンミアの顔色から、一瞬にして酔いが吹き飛んだ。
「ボス!!」
エントランスの扉が勢いよく開き、領地の見回りに出ていた若手騎士が血相を変えて飛び込んできた。
「も、森が……! 西の『魔獣の森』が、燃えています! 上空から、コウモリのような翼を持った巨大なバケモノが、森の動物たちを無差別に……ッ! 結界の近くに、大怪我をした森の精霊やトレントたちが逃げ込んできています!!」
「魔獣の森が……無差別に攻撃されているだと?」
優太の瞳から、平和を愛する青年の穏やかさが消え去った。
代わりに宿ったのは、命を理不尽に奪う存在を絶対に許さない、『ハイブリッド・メディック』としての氷のように冷たい静かな怒りだ。
彼は椅子を蹴り倒すようにして立ち上がり、傍らに置いてあった医療セット(EDC)のリュックを背負い、立てかけてあった薙刀を手に取った。
「ルンベルスは残って、邸宅の防衛と領民の避難誘導を! ニャングルとドルクは備蓄のポーションと包帯を全てかき集めて、前線キャンプの準備を急げ!」
「は、はいっ!」
「マンミア、イグニス、キャルル、リーシャ! 俺に続け! これより、西の森の負傷者の救出、並びに……原因となる脅威を完全排除する!」
「「「了解!!」」」
優太の背中を追い、マルストア領の最強チームが夜の闇へと飛び出していく。
絶望の野菜によるドタバタ劇から一転、彼らを待ち受けていたのは、魔族が放った最悪の生態系破壊兵器――合成魔獣による、理不尽な蹂躙であった。




