EP 3
激辛亜種『お友達から』と、キャルルの号泣
「あ、この葉っぱ、美味しそうですね。優太くんのお料理のつまみ食い、いただきまーす!」
マルストア領・伯爵邸の厨房。
虚無に沈む優太たちの制止がコンマ一秒遅れ、第一夫人であるキャルルは、まな板の上に落ちていた小さな葉っぱ――【お友達から種(サラダ菜風)】を、うさぎのように可愛らしくパクリと口に含んでしまった。
シャキッ。
みずみずしい音と共に、キャルルの口内に青々とした新鮮な香りが広がる。
「んっ……? 甘くてシャキシャキしてて……えと、あれ?」
咀嚼を止めたキャルルの銀色の兎耳が、ピクッと反応した。
彼女の脳内に、突如として『誰か(優太によく似た声)』の、ひどく申し訳なさそうで、それでいて残酷なほどに優しい声が直接響き渡ったのだ。
『……昨日は素敵なレストランに連れて行ってくれて、本当にありがとう!』
「え……? 素敵なお食事……? 昨日食べたのは、優太くんのお手製おにぎりでしたけど……?」
キャルルが小首を傾げる。しかし、脳内の無慈悲なテレパシーは止まらない。
『優太くんと一緒にいると、本当に楽しくて、お兄ちゃんみたいに安心できるんだよね』
「お、お兄ちゃん……?」
『でもごめんね、私、いまは誰かと付き合うとか考えられなくて……』
「……えっ?」
キャルルの足元が、グラリと揺れた。
付き合うとか、考えられない?
ちょっと待って。私と優太くんは、もう正式に結婚している。第一夫人だ。毎晩一緒のベッドで(優太くんは照れて手をつなぐくらいしかしてくれないけど)眠っているし、誰よりも愛し合っているはずだ。
なのに、なぜ今更そんなことを言われるの?
『これからも【一番仲の良い友達】でいてくれたら嬉しいな!』
「――――ッ!!」
ズドォォォォン!!!
キャルルの脳天に、見えない巨大なハンマーが振り下ろされた。
「お、お友達……? 私、優太くんの一番仲の良い……お友達……?」
ボロボロ、ボロボロ。
ルナミス帝国でも指折りの美少女であるキャルルの大きな瞳から、大粒の涙が滝のように溢れ出した。
どれだけ咀嚼しても消えない、強烈な青臭さと、胸を締め付けるような切なさが、彼女の心を完全に破壊したのだ。
「う、うぇぇぇぇぇんッ!!」
キャルルがその場にペタンと座り込み、両手で顔を覆って大号泣を始めた。
「私、妻じゃなかったの!? 優太くんにとって、私はただの頼りになる相棒で、便利な格闘家で……ただの『お友達』だったの!? 嫌だぁぁぁ! お友達なんて嫌ですぅぅぅ!!」
「ち、違う! キャルル、それは野菜が言ってるだけで……ッ!」
床に這いつくばっていた優太が、這うようにしてキャルルの元へ向かおうとするが、自身の『お祈りメール』のダメージ(ボディブロー)が重く、足に力が入らない。
「ふえぇぇぇん! 優太くんのばかぁぁぁ!!」
泣き叫ぶキャルルの全身から、月兎族特有の『銀色の闘気』が凄まじい勢いで噴出し始めた。
満月時ほどの暴走ではないが、悲しみと絶望によって昂った彼女の魔力と闘気が、厨房の鍋をガタガタと揺らし、窓ガラスに細かいヒビを入れていく。
「ひぃぃぃッ! 伯爵邸が崩壊してしまいますぞぉぉぉ!」
「マンミア! ルンベルスを連れて下がれ! 月兎族のヤンデレ化は、下手に触れると命に関わるぞ!」
宰相のルンベルスと騎士団長のマンミアが、キャルルから放たれる圧倒的な闘気の波に押され、厨房の隅へと避難する。
その横では、未だに「俺様の斧が……ミスマッチ……」と虚無を見つめているイグニスと、「コストパフォーマンス……ドワーフの安売り……」と魔導書に突っ伏して泣いているリーシャがおり、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
「キャルル……ッ!!」
優太は、自身の胃の奥で渦巻く『不採用通知』の絶望を、気合と根性――いや、持ち前の『底抜けの善性』で強引にねじ伏せた。
自分が辛いからといって、愛する妻が泣いているのを放っておけるはずがない。防衛医大で学んだ命の尊さと、彼女への偽りない愛情が、優太を立ち上がらせた。
「優太くん……うぅっ……私、お友達……」
優太は、吹き荒れる銀色の闘気の中に躊躇なく飛び込んだ。
強力な闘気の反発が優太の肌を刺すが、彼は一切構わずにキャルルの前に膝をつき、泣きじゃくる彼女の華奢な体を、力強く抱きしめた。
「ゆ、優太……くん……?」
「馬鹿だな、キャルル。俺が、お前をただの友達だなんて思うわけないだろ」
優太は、キャルルの背中に手を回し、もう片方の手で彼女の銀色の髪を優しく撫でた。
「お前は俺の命の恩人で、この世界で一番最初に俺の手を握ってくれた、大切な『妻』だ。俺は、お前を心から愛してる。お友達なんかじゃない。一生、俺の隣にいてほしい、一番大事な家族なんだ」
一切の打算もない、まっすぐで誠実な言葉。
優太の温かい体温と、力強い鼓動が、キャルルの胸に直接伝わってくる。
「……ほんと……?」
「本当だ。あの野菜が、勝手に変なテレパシーを送ってきただけなんだ。お前を悲しませるような言葉、俺が言うわけないだろ」
優太はキャルルの涙で濡れた頬を指でそっと拭い、安心させるように微笑みかけた。
「だ、だって……すごくリアルで……胸がギューッて痛くなって……青臭くて……」
「ごめんな。俺がもっと早く止めていればよかった。……もう泣かなくていい。俺はお前の夫だ。どこにも行かないし、誰にも渡さないから」
その言葉を聞いた瞬間。
キャルルの全身から吹き荒れていた銀色の闘気が、嘘のようにスゥッと収まっていった。
代わりに、彼女の顔がポンッと音を立てて真っ赤に染まる。兎耳がピーンと立ち上がり、パタパタと嬉しそうに揺れ始めた。
「ゆ、優太くん……っ! 好き! 大好きですぅぅぅ!」
「おわっ!?」
キャルルは優太の首に抱きつき、その胸に思い切り顔を埋めてすりすりした。
『折れたス』の凶悪な精神攻撃(お友達から種)による絶望は、優太の直球すぎる愛情表現によって完全に上書きされ、浄化されたのだ。
「えへへ……私、優太くんの妻……一番大事な家族……♡」
「あ、ああ。だからもう泣くなよ、キャルル」
優太が照れくさそうにキャルルの背中をポンポンと叩き、ようやく厨房に平穏が戻った……かに見えた。
「おい優太……。イチャついてるところ悪いんだが、俺様のデータはまだ破棄されたままだぞ……」
「ひぐっ……私の、私の徹夜の設計図……コスパで負けた……うぅっ……」
キッチンカウンターの隅では、まだイグニスが虚無の海を漂い、リーシャがエルフのプライドを粉砕されて泣き続けていた。
『お友達から』のダメージは愛情でカバーできたが、就職活動やビジネスコンペにおける『社会的な全否定』のトラウマは、愛の言葉だけでは癒やせない。彼らには彼らの、失われた自尊心を回復させるための処方箋が必要だった。
「くそっ、俺自身のダメージもまだ残ってるし……これ、どうやったら治るんだ!?」
優太が焦燥感に駆られていると、キッチンの入り口から顔を出したニャングルが、ヒゲをピクピクと揺らしながら口を開いた。
「せやから言うたでしょ! この『折れたス』は、塩を振ったり、美味い【ドレッシング】をたっぷりぶっかけたら、テレパシーが中和されるんですわ! あとは甘いもんで脳に糖分回したるのが一番の特効薬でっせ!」
「……ドレッシングと、甘いもの……!」
優太の瞳に、再び『ハイブリッド・メディック』としての理性の光が宿った。
この世界のポーションや治癒魔法は、肉体の傷を治せても、現代社会の闇を煮詰めたような『お祈りメールのトラウマ』を治癒することはできない。
これに対抗できるのは、同じく地球が生み出した「至高の調味料」と「脳を癒やす科学的な甘味」だけだ。
「ルンベルス! ドルク! 悪いが少し手伝ってくれ!」
「は、はいっ!」
「おう! 任せとけい!」
優太はキャルルを優しく立ち上がらせると、空間の虚空に向かって手をかざした。
彼の目の前に、彼にしか見えない半透明のホログラムウィンドウ――『地球ショッピング』のインターフェースが展開される。
これまでの善行(農作業の手伝いや溝掃除など)で溜め込んだポイントは、十分に余っている。
「愛する妻と、大切な親友の心を折るなんて……ふざけた野菜だ。地球の叡智で、その青臭い絶望を完全に上書きしてやる!」
優太は迷うことなくポイントを消費し、現代日本が誇る最強のサラダ用調味料と、精神安定剤の召喚ボタンを力強く押した。
次話、優太の特製サラダが、絶望に沈むマルストア領の仲間たちを救済する。
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