第八章 絶望の「折れたス」と、絆で紡ぐ合成魔獣(キマイラ)討伐戦
マルストア領の春、絶望の葉物野菜
ルナミス帝国、マルストア領。
マンルシア大陸に長く厳しい冬が終わり、柔らかな春の陽射しが降り注ぐ季節がやってきた。
「よーし、この畝はこれで終わりだな! 次の畑に行くぞ!」
「は、伯爵様ぁ……! もうその辺りでご勘弁を……! 領主自ら泥まみれになって鍬を振るうなど、我が領の面目が……ッ!」
広大な農地の中、動きやすいジャージ姿で汗を流す中村優太。その後ろを、宰相のルンベルスが胃の辺りを押さえながら半泣きで追いかけていた。
優太のユニークスキル『地球ショッピング』は、善行ポイント(P)を稼ぐことで真価を発揮する。前章のキマイラ……もとい、ロックバイソン・バス救出劇で莫大なポイントを獲得したものの、優太の「困っている人を助けたい、領地を豊かにしたい」という純粋な奉仕精神に休日はなかった。
『チャリン♪ 農作業の手伝い(地域貢献):50P獲得』
脳内で響く軽快なシステム音を聞きながら、優太は爽やかに汗を拭う。
「何言ってるんだルンベルス。春の土起こしはスピードが命だろ? 防衛医大の訓練に比べれば、これくらい良い運動だよ」
「ガハハハ! 全くお前は物好きだな優太! 俺様ならこんな土いじり、大火炎で一発で焼き払ってやるのに!」
あぜ道にどっかりと座り込み、欠伸をしているのは竜人族のイグニスだ。彼は農作業には一切手を出さず、優太が地球ショッピングで出した「高カカオチョコ」をボリボリと齧っている。(※最近、苦味の奥にあるカカオの深みに少しだけハマり始めているらしい)
「イグニス、畑を焼いたら作物が育たないでしょ。ほら、優太くん! 冷たい『陽薬草茶』をお持ちしましたよ!」
「ありがとう、キャルル。助かるよ」
銀髪の兎耳をパタパタと揺らしながら、第一夫人のキャルルが水筒を手渡してくれる。その隣では、第二夫人であるエルフのリーシャが、分厚い魔導書と土壌の成分を真剣な顔で見比べていた。
「驚異的ね。優太が持ち込んだ地球の『輪作』の概念と、マルストア領の魔力土壌が見事に適合しているわ。今年の春野菜の収穫量は、例年の三倍は見込めるはずよ」
「おおっ! さすがリーシャ、頼もしいな!」
「ええ、妻として領地の財政を潤すのは当然の義務よ。……それに、あなたが喜ぶ顔を見るのは、極めて合理的な私の幸福でもあるから」
リーシャがわずかに頬を染めて微笑み、キャルルが「あーっ! リーシャさんずるい!」と優太の反対側の腕に抱きつく。
両手に美しい妻を抱え、春の風に吹かれる優太。
まさに異世界スローライフの頂点とも言える、平和で幸福な光景だった。
そこへ、恰幅の良い農家の長が、満面の笑みで巨大なカゴを抱えてやってきた。
「領主様! 領主様のおかげで、今年も立派な『葉物野菜』が育ちましただ! どうか、今日の夕食にでも召し上がってくだせぇ!」
「おっ、ありがとう。これは……レタスか?」
優太がカゴの中を覗き込むと、そこには地球のレタスによく似た、みずみずしく青々とした野菜が山のように積まれていた。葉の巻きも良く、シャキシャキとした食感が一目で伝わってくる。
「へぇ。なんだか、地球の野菜とそっくりだな。サラダにしたら美味しそうだ」
「いやいや〜、優太の旦那! これがただの野菜やと思ったら大間違いでっせ!」
どこからともなく、商会の制服を着た猫耳族・ニャングルがヌルリと現れた。彼はレタスの一つを手に取り、目をドルマークにして語り出す。
「これは近年、この大陸で交配が進んで生まれた新種の高級野菜、『折れたス』っちゅーもんですわ! 栄養価は抜群、シャキシャキ感も最高! 帝都の貴族連中にも飛ぶように売れる、まさに黄金の葉っぱでおまんがな!」
「へぇ、『折れたス』ねぇ。変わった名前だけど、確かに美味そうだ。よし、今日の夕食の『金曜日カレー』の付け合わせは、こいつを使った特製サラダにしよう!」
優太の言葉に、キャルルもイグニスも「わーい! 優太くんのサラダ!」「肉椎茸も入れろよ!」と大盛り上がり。
平和な空気に包まれたまま、一行は収穫したての『折れたス』を抱えて、伯爵邸の厨房へと向かったのだった。
――この時、優太はまだ知らなかった。
この青々とした野菜が、なぜ『折れたス』などという不吉な名前で呼ばれているのかを。
***
夕刻。伯爵邸の厨房。
鍋では特製の金曜日カレーがグツグツと音を立てて煮込まれ、スパイシーな香りが充満している。
「よし、カレーの仕込みは完璧だ。あとはサラダだな」
エプロン姿の優太は、鼻歌を歌いながらまな板の上に『折れたス』を置いた。
流水で洗われた葉は、照明を反射してキラキラと輝いている。地球のレタスと全く同じ手触りだ。優太は手慣れた手つきで包丁を握り、まずは半分に切ろうと刃を当てた。
「みんなー、もうすぐサラダができるからな。シャキシャキのうちに食べ――」
ザクッ。
包丁が、折れたスの芯を断ち切った。その瞬間だった。
『……慎重に選考を重ねました結果、誠に残念ながら、今回は採用を見送らせていただくこととなりました』
「――――え?」
優太の動きが、完全にフリーズした。
今、何か聞こえた。いや、耳から聞こえたのではない。脳の奥底、前頭葉のあたりに『直接』、ひどく事務的で、冷酷で、丁寧な声が響き渡ったのだ。
『なお、おじさん様の今後のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます』
カラン……。
優太の右手から、包丁が力なく滑り落ちた。
「う、嘘だろ……」
優太の瞳孔が開き、顔から一気に血の気が引いていく。
『お祈りメール』。
それは、地球の現代社会において、就職活動を行うすべての若者を絶望のどん底に叩き落とす、恐怖の定型文。
防衛医科大というエリートコースを進んでいた優太でさえ、過去に何度か経験したことのある「社会からの全否定」の記憶。
なぜ、異世界に来てまで。しかも、伯爵という地位に就いてまで、あの絶望の文章を脳内でフルボイス再生されなければならないのか。
「おじさん様……? 俺はまだ25歳だぞ……。なんで、なんでこんな……ッ」
ガクッ。
マルストア領が誇る最強のハイブリッド・メディック、中村優太。
数々の修羅場を潜り抜け、狂化した魔獣すら素手で制圧する男が、たかが葉物野菜を一つ切っただけで、キッチンの床に膝から崩れ落ちた。
「優太!?」
「ボス!?」
異変に気づいたリーシャとマンミアが、慌てて厨房に駆け込んでくる。
しかし、彼女たちが見たのは、頭を抱えて胎児のように丸まり、ブツブツと何事かを呟きながら震える領主の姿だった。
「優太! どうしたの!? 毒!? 暗殺者なの!?」
リーシャが慌てて治癒魔法の詠唱を始める。
「……違う……」
「え?」
「ご縁が……なかったんだ……。俺のスキルじゃ……社会にマッチしなかったんだ……うぅっ……」
「何を言っているの!? しっかりして優太!!」
かつてない精神的ボディブロー(ダメージ)を受け、虚無の海を漂う優太。
『折れたス(心を折るレタス)』。
それは、食べた者、あるいは調理しようとした者の脳内に、ダイレクトに『お祈り(不採用通知)』のテレパシーを流し込む、マンルシア大陸最悪のコメディ系危険農作物であった。
「おいおい優太! 何やってんだ、腹減ったぞ! 早くその葉っぱを寄越せ!」
何も知らない竜人の悪友・イグニスが、厨房にのっそりと入ってくる。
この後、イグニスやリーシャたちをも巻き込んだ、さらなる「お祈りパニック」がマルストア領を襲うことになるとは、まだ誰も予想していなかったのである。
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