EP 9
覇道なき金色の免許
「……酒は旨いか?」
静まり返った平原の夜。焚き火の爆ぜる音が、夜空に吸い込まれていく。
ロックバイソン・バスの救出劇から数時間。強盗団の身柄を近隣の治安維持部隊に引き渡し、事後処理を終えた一行は、帝都へと続く街道沿いの高台で束の間の休息をとっていた。
ランクルの荷台をテーブル代わりにし、優太とバロッサ教官は二人並んで座っていた。
バロッサの右脚には、まだ優太が巻いた止血帯が残っているが、先ほどの激痛はどこへやら、彼は上機嫌で銀製のカップを傾けていた。中身は、ドルク特製の「イモッカ(芋焼酎)」である。
「ああ。……正直に言おう。これほど旨い酒は、騎士団長に就任した記念の日以来だ」
バロッサは遠く帝都の灯りを眺めながら、ぽつりと呟いた。
優太は無言で、隣で小さく炭酸水を混ぜたサケスキー(米麦草ウィスキー)を啜る。キャルルやリーシャ、イグニスたちは少し離れた場所で、焚き火を囲んで談笑している。彼らの笑い声が心地よいBGMとなって、この静かな夜を彩っていた。
「バロッサ教官。今日の俺の判断、どう思いました?」
優太がふと尋ねると、バロッサはカップを置き、ゆっくりと優太の方を向いた。その眼差しには、先ほどまでの教官としての厳格さはなく、一人の男としての深い敬意が湛えられていた。
「どう思ったか、だと? ……正直に言うぞ。君は狂っている。いい意味でな」
バロッサは自嘲気味に笑った。
「君ほどの力があれば、あの強盗団など一瞬で塵に変えられたはずだ。バイソンたちの狂化魔法だって、力任せに魔法障壁で押し潰すこともできた。だが、君はそうしなかった。乗客を守るために車を横付けし、人質が取られたと見るや、ただの一人も死なせないために自ら飛び込み、あまつさえ魔獣であるバイソンたちを眠らせて救った」
バロッサは自身の右脚の止血帯を指先でなぞった。
「私が帝都で学んできた『軍の力』とは、敵をいかに効率的に殲滅するかだ。だが、君が見せたのは、暴力の先にある『救済』だ。……中村優太、君ほどの器があれば、ルナミス帝国の軍部など、一言で動かせるはずだ。いや、君が旗を挙げれば、大陸中の亜人や弱者たちが君の元に集まり、帝国すら覆す強大な軍勢が作れるだろう。……なぜ、その力で覇道を歩まん? なぜ、たかだか『運転免許』を取るために、このような騒動に巻き込まれながら笑っていられるのだ?」
バロッサの問いは、重い。
力と権力、そしてそれを求める者が当たり前のように跋扈するこの世界において、優太の存在はあまりにも特異で、危うい。
しかし、優太は迷いなく、まるで今日のカレーの隠し味を語るような気軽さで口を開いた。
「そんなこと、思ったこともないですよ」
「……なんだと?」
「俺は、覇権なんて欲しくない。帝国を覆すなんて、面倒なことはごめんです。俺が欲しいのは、そんな壮大なものじゃない」
優太は焚き火の炎を見つめ、夜空に浮かぶ月を指差した。
「一生懸命に働いて、みんなで美味いものを食べて、『今日も疲れたね』って笑い合える。キャルルやリーシャ、みんなが安心して朝を迎えられる。そういう、当たり前の幸せを守るために、俺はここにいるんです。そのためには、法を守り、交通ルールを知り、目の前の困っている人を助ける。……俺の行動は、ただそれだけですよ」
バロッサはその言葉を聞き、呆然とした後、深々と溜息をついた。
「ははっ……。矮小だ。あまりにも矮小すぎるな、君の野望は」
バロッサは再び酒を煽り、空になったカップを岩に置いた。
「世界を支配するなどという大層なことを夢見る愚か者どもに聞かせてやりたいものだ。君のような男が、最強の力を持っていながら、ただ『平穏な食卓』のために命を懸けているのだと」
「ええ、まあ。でも、それが俺の『覇道』ですから」
優太の言葉に、バロッサは「くくっ」と喉を鳴らして笑った。
今まで、軍の規則に縛られ、上層部の理不尽な命令に胃を痛めてきた自分は、一体何と戦っていたのだろう。目の前で笑うこの若者は、ただの小さな領主でありながら、誰よりも強靭で、誰よりも真っ直ぐだ。
「……中村優太。明日の卒業検定。君は間違いなく合格するだろう。いや、合格させる。君のような男が公道を走ることを、帝国は拒まないはずだ」
バロッサは立ち上がり、右脚に走る鈍痛を我慢しながら、真っ直ぐに優太を見つめた。
「君が明日、手にするのは単なる免許証ではない。帝国の公道を、君のその信条と共にどこまでも自由に駆け抜けるための『自由の証』だ。……誇りを持って受け取れ」
「はい。……ありがとうございます」
優太が立ち上がり、バロッサと力強く握手を交わしたその時。
「おーい! 優太! バロッサ! 酒なら俺様の分も残しておけよ! 話が終わったら、今度は俺の斧の砥ぎ方について朝まで付き合ってもらうぜ!」
遠くからイグニスの陽気な怒声が聞こえ、キャルルが「優太くん、冷えますからこれを」と上着を持って駆け寄ってくる。
焚き火を囲む仲間たちの姿。
その向こうには、広大な平原の果てに眠る大地と、無数の星々。
「これが、俺の守りたかった日常だ……」
優太は、己の愛車であるランクルの漆黒のボディを撫でた。
明日の卒業検定を終えれば、正式に「ゴールド免許」を手にする。
そうすれば、キャルルやリーシャ、イグニスを乗せて、もっと遠くへ行ける。見たこともない景色を見て、新しい温泉を探し、美味いものを食べる。
ただ、それだけでいい。
その当たり前の幸せを守るために、彼は今日も戦うのだ。
バロッサ教官は、教習所の堅苦しいルールから解放され、久しぶりに心から安らいだ顔をしていた。
翌朝、優太が手にする一枚のカードが、帝国においてどれほどの影響力を持つことになるのか。
この時の彼らは、まだ知る由もなかった。
「……さて。じゃあ、明日の朝一番の検定に備えて、今日はもう寝るとしましょうか」
優太が立ち上がり、火を消しにかかる。
星空の下、マルストア領主一行の温かな夜は、こうして更けていった。
その夜遅く――。
帝都の地下深層に潜む闇の中で、魔族の幹部が冷酷に呟いた。
「『鉄のゴーレム』は健在か……。中村優太、貴様の高潔な魂が、いつまでその『平和』という名の幻影を守り通せるか、見ものだな」
影が薄らと笑い、闇の中に消えていく。
次章、ついに優太は正式な「ゴールド免許」を手に入れ、その足で帝国をも巻き込む一大転機を迎えることとなる。




