EP 6
暴走のロックバイソン・バスと戦術的戦傷救護(TCCC)
地響きが、平原を揺らしていた。
土煙の向こうから姿を現したのは、十頭の巨大な「ロックバイソン」に牽引された、二階建ての巨大な木造装甲バスだった。本来ならば数十人の市民を安全に運ぶための帝国の大動脈が、今は最悪の凶器と化している。
バイソンたちの太い首筋には、禍々しい紫色の魔法陣――『狂化魔法』の紋様が浮かび上がり、彼らは口から泡を吹きながら完全に理性を失って疾走していた。
バスの屋根の上には、魔導銃やクロスボウを構えた十数人の武装強盗団が陣取り、「ヒャッハー! 邪魔な奴は轢き殺せ!」と狂ったように叫んでいる。
「チィッ……! あの中には、まだ大勢の市民が乗っているはずだぞ!」
バロッサ教官が助手席で忌々しそうに舌打ちをした。
その時である。
暴走する巨大バスの進行方向、数百メートル先に、車輪が外れて横転した小さな荷馬車が見えた。周囲には散乱した「太陽芋」と、逃げ遅れてへたり込んでいる農家の母子の姿がある。
「危ないっ……!!」
優太がアクセルを踏み込み、ランクルを母子とバスの間に割り込ませようとハンドルを切った瞬間だった。
「下がれ、中村! 君たち教習生を危険に晒すわけにはいかん!!」
バロッサ教官がシートベルトを外し、走行中のランクルのドアを蹴り開けた。
彼はそのままサイドステップ(足掛け)に身を乗り出し、右手に全魔力を集中させる。かつて帝都の『第一魔法機甲師団』でエリート将校と呼ばれた男の、命を賭した防護魔法の詠唱だった。
「我はルナミスの盾なり! 展開せよ、『聖壁』!!」
バロッサの掌から放たれた強烈な光が、母子の前に分厚い半透明の城壁を作り出した。
直後、狂化したロックバイソンの群れが聖壁に激突する。凄まじい衝撃音が響き渡り、聖壁に無数の亀裂が走るが、バロッサは歯を食いしばって持ち堪え、見事にバスの軌道を強引に横へと逸らさせた。
バスは母子を避けるようにして、土煙を上げて横をすり抜けていく。
「やった……!」と優太が安堵したのも束の間。
「鬱陶しいんだよ、元エリートのおっさん!」
すれ違いざま、バスの屋根にいた強盗団のリーダーが、バロッサに向けて巨大なボウガンを引き絞った。
放たれた漆黒の太矢が、限界を迎えていた聖壁を容易く貫通し――バロッサの右大腿部(太もも)を深々と貫き、引き裂いた。
「ガ、アァァァァッ……!?」
鮮血が宙を舞う。
バロッサはランクルの車内に崩れ落ち、優太は瞬時に急ブレーキを踏んで車を路肩に停止させた。
「教官!!」
「チィッ! あの野郎、許さねぇぞ!」
後部座席でイグニスが怒声を上げる中、優太はバロッサの傷口を見て息を呑んだ。
傷は深く、太ももの内側から、心臓の鼓動に合わせて「鮮やかな赤い血」が噴水のようにリズミカルに噴き出している。
(大腿動脈の損傷……! 動脈性の出血だ!)
「……くそっ……」
バロッサは血の気のない顔で、震える手で自身の傷口を押さえたが、血の勢いは全く止まらない。
「中村……私は、ここまでだ。これほどの出血……教会の高位神官でもいなければ、数分でショック死する。……お前たちは、母子を連れて逃げろ……」
「喋らないでください。俺が助けます」
優太の瞳から「温厚な青年」の光が消え、極限の戦場で命を繋ぐ『ハイブリッド・メディック』としての冷徹なスイッチが入った。
優太は自身のリュック(EDC:Everyday Carry)を乱暴に引き寄せ、中から黒いナイロン製の帯――**『CAT(Combat Application Tourniquet:戦闘用止血帯)』**を取り出した。
「教官、すげぇ痛いですが、死ぬよりマシだと思って耐えてください」
優太はバロッサの右脚の付け根(傷口より心臓に近い位置)にCATを素早く巻き付け、マジックテープで強く固定する。そして、備え付けられているプラスチック製の棒を、躊躇なく力一杯に捻り上げ始めた。
「グ、ギャァァァァァァァッ!!?」
肉と血管を物理的に強烈に締め上げる激痛に、歴戦の軍人であるバロッサが悲鳴を上げる。闘気による強化があろうと、人体の構造上、この痛みから逃れることはできない。
だが、優太がウィンドラスを三回転させ、ストッパーで固定した瞬間――。
あれほど勢いよく噴き出していた鮮血が、ピタリと止まった。
「……な……っ?」
脂汗を流しながら荒い息を吐くバロッサは、自分の脚を見て驚愕した。魔法の詠唱も、魔力の光も一切なかった。ただの黒い帯と棒で、致死的な動脈出血を数秒で完全に物理封鎖したのだ。
さらに優太は、止血剤がコーティングされた特殊ガーゼ『クイッククロット』を取り出し、傷口の奥深くへと容赦なく詰め込んでいく。
「痛いのはここからです、教官。でも、これで絶対に死なせません」
「き、貴様……魔力を持たぬのに、なぜこれほどの……神業のような救命術を……」
「俺は、防衛医大でこれを学んだんです。目の前で命が理不尽に奪われるのを、二度と見過ごさないために」
優太の手つきに迷いは一切ない。地球の『TCCC(戦術的戦傷救護)』ガイドラインの完全なる実践。異世界の強靭な肉体(20馬力オーバー)を持つバロッサだからこそ、この強引な止血にも耐え、命を繋ぎ止めることができると優太は計算していた。
応急処置を完璧に終えた優太は、バロッサの肩を力強く叩いた。
「教官。あなたは市民の命を守り抜きました。帝国の騎士として、完璧な仕事です」
「中村……お前……」
「ここから先は、俺の仕事です。……いや、俺の『高速教習』の続きです」
そこへ、後方から蹄の音を響かせてマンミアが到着した。
「ボス! 母子の安全は確保しました!」
「マンミア! 教官の護衛と、傷病者の保護を頼む! 絶対に死なせるな!」
「了解しました! ボスたちこそ、お気をつけて!」
優太はバロッサをマンミアに預けると、再び運転席へと飛び乗った。
後部座席では、イグニスが巨大な両手斧を取り出し、赤い逆毛を逆立ててニヤリと笑っている。
「おい優太。人質には傷一つつけねぇ。だが、あのふざけた強盗共は、俺様の炎でこんがり焼いてもいいんだよな?」
「ああ、焼き加減はウェルダンで頼む。ただし、バスごと燃やすなよ」
優太がシートベルトを締め、スタートボタンを押し込む。
ドルクの調整したV6ツインターボエンジンが、先ほどまでのクルージングモードとは全く異なる、野生の獣のような爆音を平原に轟かせた。
優太自身の膨大な「闘気」がスマートキーを通じて車両全体に行き渡り、漆黒の装甲が微かに黄金色のオーラを帯びる。
「しっかり捕まってろよ、イグニス。――ちょっと、スピード違反をするぞ」
アクセルペダルが、床の奥深くまで踏み込まれた。
キュルルルルルッ!!
四つの巨大なタイヤが土を激しく蹴り上げ、ランドクルーザー250が弾かれたように飛び出す。
時速100キロ、120キロ、150キロ――魔力を持たない鉄の箱が、物理法則をねじ伏せるかのような圧倒的な加速で、暴走するロックバイソン・バスの背中へと迫っていく。
「教官から教わった交通ルールは、俺が絶対に守る。……でも、他人の命と平和を奪うルール違反野郎は、俺が実力で排除する!」
土煙を切り裂き、ハイブリッド・メディックの反撃が始まった。
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