EP 3
S字、クランク、そして竜の尻尾
午後。マンルシア大陸に照りつける強い日差しの中、『ルナミス魔導教習所』の第一実技コースに、野獣のようなエンジン音が響き渡っていた。
「……よし。シート、ルームミラー、サイドミラーの調整完了。教官、よろしくお願いいたします」
運転席に座る優太は、地球の教習所で教え込まれた通りの真剣な面持ちで、シートベルトをカチャリと締めた。
「む? なんだその帯は。自身を座席に縛り付けるのか?」
「シートベルトです。万が一の衝突時に、搭乗者の命を守るための命綱ですよ。バロッサ教官も、そちらのベルトを締めてください」
「ふむ……魔導障壁に頼らず、物理的な拘束具で安全を確保するとは。合理的ではあるな」
助手席に座るバロッサ教官は、優太の指示に従ってシートベルトを装着しながら、手元のバインダー(採点表)にペンを走らせた。
かつて帝都の第一魔法機甲師団でエリート街道を歩んでいたバロッサだが、これほどまでに「乗車前の安全確認」を徹底する若者を見るのは初めてだった。血の気の多い騎士見習いなどは、いきなり魔力を爆発させて急発進するのが常だからだ。
「おい優太! いつまでチマチマ確認してんだ! 早くこの鉄の箱を走らせろよ!」
しかし、後部座席からはそんな静寂をぶち壊すような怒声が飛んでくる。
ドカッと足を広げ、腕を組んで文句を言っているのは、竜人族のイグニスだ。本来なら同乗者は不要だが、「俺様も魔導車両の乗り心地とやらを確かめてやる」と強引に乗り込んできたのである。
「イグニス、お前は静かにしてろ。これは遊びじゃない、神聖な教習の時間なんだ」
「けっ、真面目ぶるんじゃねぇよ。お前ならこんな箱、片手で持ち上げて走れるだろ!」
「持ち上げて走ったら車である意味がないだろ!」
優太は後部座席の悪友をルームミラー越しに睨みつけると、深く息を吐いて気を引き締めた。
「右ヨシ、左ヨシ、後方ヨシ。発進します」
カチッカチッカチッ。
オレンジ色のウインカーを点滅させながら、ランドクルーザー250は極めて滑らかに、教習所の石畳コースへと滑り出した。
「……!!」
助手席のバロッサは、思わず息を呑んだ。
発進時の振動が、信じられないほど少ない。魔力ではなく闘気で動く「四輪型ゴーレム」とドワーフは言っていたが、まるで氷の上を滑るような静粛性と安定感だ。
そして何より、運転席の優太のハンドル捌きが異常なまでに洗練されていた。
「次はS字コースに入ります」
「あ、ああ……」
コース上には、触れると減点される「光のポール(魔法障害物)」が等間隔に配置されている。大型車両であるランクルにとって、S字や直角に曲がるクランクコースは難易度が高いはずだった。
だが優太は、巧みな内輪差の計算と、ドルクが魔改造を施したサスペンションの性能を完全に引き出し、光のポールに数ミリの隙間を残して完璧なコーナリングを決めていく。
「見事だ……。これほど巨大な鉄の塊を、まるで己の手足のように精密に操るとは。貴様、どこでこの『操縦術』を学んだ!?」
「ええと、故郷の教習所で……」
「帝国の機甲師団でも、これほどの練度を持つ操縦士は数えるほどしかおらんぞ!」
さらに優太は、難関とされる「方向変換(車庫入れ)」のポイントへ車を進めた。
一度前に出てから、バックギアに入れる。
後ろを振り返り、目視とサイドミラーだけで後退し、指定された四角い枠のど真ん中に、一発で車体を真っ直ぐに収めてみせた。
「神の如き並列駐車……ッ!!」
バロッサは震える手で採点表に「満点」の印を書き込もうとした。
魔法も使わず、力任せでもない。ただ純粋な技術と、ルールを遵守する精神。この中村優太という青年は、間違いなくルナミス帝国の歴史に名を残す逸材だ。そう確信した、その時である。
「あー……くそっ、退屈だぜ! だいたいこの鉄の箱、俺様には少し狭ぇんだよ!」
後部座席で欠伸をしていたイグニスが、大きく両腕を伸ばして背伸びをした。
その瞬間。
開け放たれていた後部座席の窓から、赤鱗に覆われた極太の「竜の尻尾」が、鞭のように勢いよく外へ飛び出したのだ。
バキィッ!! ガシャァァン!!
ランクルの真横に並んでいた「光のポール」が、イグニスの尻尾の一撃を受けて次々とへし折れ、魔力光を散らして爆散した。
「ああっ!?」
優太が急ブレーキを踏む。
「コ、コースの魔法障害物が粉砕された!? な、なんてことを……!」
「イグニスゥゥゥ!! お前、走行中に窓から尻尾を出すなって言っただろ!!」
優太が振り返って怒鳴ると、イグニスは悪びれもせずに鼻を鳴らした。
「なんだよ、ただの光る棒じゃねぇか。俺様の尻尾がちょっと当たっただけで折れる方が悪いんだ。もっと頑丈に作っとけよな!」
「お前は馬鹿か! あれに当たったら減点なんだよ! ルールだろ!」
「知るか! そもそもこんなちまちました箱庭で走って何が楽しいんだ。俺様なら、この車ごと空を飛べるように改造して……」
「ランクルを魔改造するな! ドルクが本気にするだろ!」
優太とイグニスの言い合いを隣で聞いていたバロッサ教官は、ゆっくりと顔を両手で覆い、そして――胃の辺りをギュッと押さえてうずくまった。
「痛たた……。せ、せっかく午前中に貰った薬で治まっていた胃痛が……。障害物損壊……これは一発不合格(退場)レベルの重過失……!」
「教官! すみません! イグニスの過失は運転手である俺の責任です! 障害物の修繕費も全額弁償しますから!」
優太は路肩にランクルを停め、ハザードランプを点滅させると、手元のリュック(魔法ポーチ代わり)に手をつっこんだ。
そして、ユニークスキル『地球ショッピング』で予め引き当てておいた小瓶を取り出した。
「教官、これ! 飲んでください!」
「……ま、また怪しげな薬か……?」
「『高級栄養ドリンク(タウリン3000mg配合)』です! 疲労回復と、ストレスによる胃腸の荒れを即座に修復する特製ポーションです!」
優太が力強く差し出した茶色い小瓶を受け取り、バロッサは半信半疑でキャップを捻った。
そして、チオビタとリポビタンの良さを凝縮したような黄金色の液体を、一気に喉へと流し込む。
「……む? なんだこの、独特の甘みと酸味は……微かに炭酸のような刺激が……。おおおおお!?」
バロッサの目が、カッと見開かれた。
「腹の底から、力が湧き上がってくる!? 視界がクリアになり、胃の痛みが嘘のように消え去った……! なんだこれは!? ルチアナ教会の超高位の回復魔法に匹敵するのではないか!?」
「(ただの栄養ドリンクだけど……)よかったです。……教官、お願いです。教習を続けてもらえませんか? 俺、ちゃんとルールを守って、この国で車を走らせたいんです」
優太は決して権力を笠に着ることはなく、ただの一人の教習生として深く頭を下げた。
バロッサはその高潔な姿勢と、己の体を気遣ってくれた圧倒的な善意に、胸を打たれた。
「……ふん。よかろう。だが、そこの赤髪! 次に窓から尻尾を出したら、即刻退場だ! わかったな!」
「ちっ……仕方ねぇな。優太の顔を立ててやるよ」
イグニスが渋々尻尾を引っ込めるのを確認し、優太は安堵の息を吐いて再びウインカーを出した。
実技教習はどうにかクリアが見えてきた。しかし、彼らにはまだ、異世界の常識を問われる最大の難関――「学科試験」が待ち受けているのだった。
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