第七章 伯爵様は無免許運転!? 魔導教習所と爆走のランドクルーザー
超法規的伯爵、交通ルールに絶望する
ルナミス帝国、マルストア領。
マンルシア大陸特有の赤茶けた土が広がる街道を、場違いな漆黒の巨体が猛スピードで駆け抜けていた。
「うおおおおっ! 優太! もっと飛ばせ! 俺様の翼より速いぞこの鉄の箱!」
後部座席で窓から身を乗り出し、強靭な竜の翼と尻尾をバタつかせながら絶叫しているのは、竜人族の巨漢・イグニスだ。
その傍ら、土煙を上げながら時速80キロで並走しているのはケンタウロス族の騎士団長、マンミアである。
「ボス! なかなか良い風ですね! 私の脚と、その『ランクル』……どちらが長く走り続けられるか勝負です!」
「いや、勝負はしないから! マンミア、息上がってないか!? ちゃんと水分補給しろよ!」
運転席でハンドルを握る中村優太は、ルームミラー越しに後続を確認しながら苦笑した。
彼が操る車は、ユニークスキル『地球ショッピング』の最高レア枠で引き当てたTOYOTA『ランドクルーザー250』。本来ならガソリンで動くはずのこの現代兵器は、天才ドワーフ・ドルクの魔改造により、搭乗者の「闘気」を魔導変換して走るハイブリッド・エコカー(?)へと変貌を遂げていた。
優太は自身の左腕にはめられたG-SHOCKに目を落とす。
脈拍よし、時刻よし。
本日のマルストア領パトロール——暴走したロックバイソンの群れを無傷で制圧し、ついでに街道の側溝に詰まっていた泥を掻き出す(※善行ポイント50P獲得)という業務は、完璧なスケジュールで完了しようとしていた。
「よし、領主邸に帰還するぞ」
優太がアクセルを緩め、なめらかなブレーキングで領主邸の石畳にランクルを滑り込ませる。
パーカーにジーンズ、足元は歩きやすいスニーカーという、およそ伯爵とは思えない現代日本の若者ルックで運転席から降り立つと、エントランスから書類の束を抱えた宰相のルンベルスが小走りで出迎えてきた。
「お帰りなさいませ、伯爵様! 本日も領内の平和維持、ならびに……その、溝掃除、お疲れ様でございました。領民たちが『聖者様がまた泥まみれになってくださった』と涙を流して祈っておりましたよ」
生真面目な文官であるルンベルスは、主の奇行に少しだけ胃の辺りを押さえながらも深く一礼する。
「ただいま、ルンベルス。ランクルの機動力のおかげで、予定より早く回れたよ。やっぱり車は便利だな。ドルクにサスペンションの調子を見てもらわないとだけど」
「ええ、ドルク殿の作り上げたあの『鉄のゴーレム』の機動力は、我が領の誇りです」
ルンベルスは頷き、手元の書類をペラリと捲った。
「そういえば伯爵様。その鉄のゴーレム……いえ、魔導車両の件ですが、帝都の交通・税務省から通達が来ておりまして。一定以上の魔力、もしくは闘気出力を誇る魔導車両や大型騎獣を公道で走らせる場合、法律により『魔導運転免許』の更新状況を提出せよとのことです。伯爵様の免許証番号をこちらに記載していただけますか?」
「…………ん?」
優太の動きがピタリと止まった。
G-SHOCKの秒針が進む音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……めんきょ?」
「はい。魔導運転免許です。帝国の公道を走るための、基本的な資格証明ですね。まさかとは存じますが、紛失されましたか?」
優太の顔から、さぁっと血の気が引いていく。
防衛医科大に通っていた頃、もちろん車の免許は持っていた。だが、ここは異世界マンルシア大陸だ。まさかこのファンタジー世界に「運転免許」という概念が存在しているとは夢にも思っていなかった。
いや、よく考えれば火縄銃以前の文明とはいえ、魔導通信石や巨大な飛行船、魔砲すら存在する高度な魔法文明社会なのだ。事故を防ぐための交通法規が存在して当然である。
つまり、優太はこれまで。
この異世界に来てからずっと。
「俺……無免許運転、してたのか……?」
愕然と膝から崩れ落ちる優太。
頭を抱え、地面に突っ伏した。
「嘘だろ……。医者を目指す人間が、法律違反……。しかも領主という立場で、無免許でデカい車を乗り回して、領民に手を振ってたなんて……ッ!!」
「は、伯爵様!?」
「ルンベルス! 今すぐ俺を縛り上げろ! 帝都の警察騎士団に自首する! 罪状は道交法違反だ!!」
本気で絶望し、自らの両手を差し出す優太を見て、ルンベルスは慌てて書類を放り出した。
「お、お待ちください伯爵様! 落ち着いてください! 罪には問われません! 問われませんから!」
「慰めないでくれ! ルールはルールだ! 事故を起こしてからじゃ遅いんだぞ!?」
「違います! 帝国法において、伯爵位以上の大貴族は『超法規的特権』を有しているのです! ご自身のサイン一つで、いつでも特例免許を自己発行できます! つまり、伯爵様が『これは合法だ』と言えば、その時点から合法になるのです!」
ルンベルスは必死に帝国法の抜け道を力説した。
このマンルシア大陸では、力と権力こそが正義の側面を持つ。サマスタリア王が統治するこの国において、伯爵という地位はそれほどまでに絶大なのだ。書類上で「特例」として処理すれば、何の問題にもならない。
しかし、その言葉を聞いた優太の瞳に、強烈な正義の炎が宿った。
優太はゆっくりと立ち上がり、ルンベルスの両肩をガシッと掴んだ。
「……ルンベルス。法を作る側、あるいは法を守らせる側の人間が、自分の都合で法を捻じ曲げて、誰がその国を信用するんだ?」
「えっ」
「俺は確かに伯爵かもしれない。でも、一人の人間だ。人の上に立つ者こそが、誰よりも厳格にルールを守らなければ、領民に顔向けができない。違うか?」
まっすぐな、一切の打算もない澄み切った瞳。
『論語』の精神と、他者への全き敬意から来るその言葉に、ルンベルスは雷に打たれたように硬直した。そして、己の「貴族の特権で済ませようとした」浅ましい考えを深く恥じた。
「……おっしゃる通りです。私は、またしても伯爵様の崇高な精神を見くびっておりました……!」
「わかってくれればいい。ルンベルス、帝都の近くに教習所はあるか?」
「はい。『ルナミス魔導教習所』が帝都近郊にございます。しかし、あそこは一般市民や、これから騎士を目指す若者たちが通う場所。伯爵様のような高位の御方が通われるなど、前代未聞ですが……」
「構わない。俺は今日から、一人の教習生になる」
優太が力強く宣言したその時、後ろで聞いていたイグニスが腹を抱えて爆笑した。
「ガハハハハ! おい優太、お前その鉄の箱を動かすのに、いちいち学校に通うのか!? 人間のルールってのは本当に窮屈で面白ぇな! よし、俺様もついて行ってやる! その『きょうしゅうじょ』って所にも、美味い飯はあるんだろうな!?」
「遊びに行くんじゃないぞ、イグニス。お前も後部座席で暴れるから、同乗者のマナーを学んでこい」
そこへ、騒ぎを聞きつけたのか、伯爵邸の中から銀髪の兎耳を揺らしてキャルルが小走りでやってきた。
「優太くん! 学校に通うんですか? ふふっ、なんだか学生時代に戻ったみたいで素敵ですね。それなら私、毎日優太くんが頑張れるように、特製の『月見大根と肉椎茸の愛情お弁当』を作って応援に行きますね!」
キャルルは両手を胸の前で組み、満面の笑みを浮かべる。その背後からは、分厚い魔導書を閉じたエルフのリーシャが静かに歩み寄ってきた。
「優太。社会契約を重んじ、共同体の規範に自ら従おうとするあなたの姿勢は、極めて論理的かつ美しいわ。私も妻として、帝国の『魔導交通法』を完全に暗記し、あなたの学科試験をサポートするわ」
「キャルル、リーシャ……ありがとう。心強いよ」
優太が妻たちの優しさに安堵の息を吐いた瞬間、屋敷の柱の陰から、商会の制服を着た猫耳族の男――ニャングルが、目をドルマークにしてヌルリと現れた。
「いやいや〜、優太の旦那! ええこと聞きましたで! 帝都の教習所っちゅうことは、金持ちの貴族のドラ息子や、騎士の卵がぎょうさん集まる場所ですわな! そこで旦那の『地球ショッピング』で出した『初心者マーク』やら『交通安全のお守り』を売り捌いたら、ボロ儲け間違いなしでおまんがな! ワイも同行させてもらいまっせ!」
「お前は商売の邪魔をしないと約束するなら連れて行ってやる……」
優太は呆れながらも、頼もしい(そして騒がしい)仲間たちの顔を見渡した。
圧倒的な力と、地球の近代戦闘技術。そして1億人を統べる王ですら無視できない権力を持ちながらも、彼は己の非を素直に認め、ただ一つの「当たり前のルール」を守るために教習所への門を叩くことを決めた。
「よし。そうと決まれば、明日から帝都近郊の『ルナミス魔導教習所』に入校する。ランクルは免許を取るまで封印だ。移動は定期のロックバイソン・バスを使うぞ!」
「ええーっ!? 自分で運転した方が速いじゃねぇか!」
「うるさい、無免許運転は絶対にダメだ!」
こうして、マンルシア大陸最強の「ハイブリッド・メディック」にして超法規的権力を持つマルストア領主・中村優太の、教習所通いという名の新たな試練が幕を開けたのである。




