EP 14
敗北宣言。傲慢なる男の土下座
朝日が、マルストア城のステンドグラスを突き抜け、客室の床に鮮やかな彩りを落としていた。
しかし、その美しい光景とは裏腹に、部屋の中は死人のような空気が澱んでいた。
「……はぁ、はぁ……っ」
ベッドの下に這いつくばっていたゲルマン子爵は、ガサガサになった喉から乾いた息を漏らし、ようやく這い出した。
昨夜の惨劇から数時間。彼の精神は、完全に崩壊し、再構築されていた。
もはや、帝都の貴族としてのプライドも、保守派のリーダーとしての矜持も、全てが粉々に砕け散っている。
今、彼の脳内にあるのは、ただ一つの結論だけだった。
(あの領地には、人間が住んでいない……! あの男は、魔王だ……!)
ノックの音もなく、客室の扉が開いた。
現れたのは、昨日まで子爵が「野蛮な亜人」と蔑んでいたイグニスだった。彼は朝食のトレイを持ち、相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。
「おはよう、帝都の坊ちゃん。朝飯の時間だぜ。今日は特別だ。優太が手ずから焼いた『魔法少女パンケーキ』だぞ。……まあ、お前さんが食える状態かどうかは知らねえがな」
イグニスがトレイを置くと、そこには星やハートの形をした、可愛らしいパンケーキが並んでいた。
その皿を見た瞬間、ゲルマン子爵は、ピクリと激しく痙攣した。
(あ、あれは……! 昨夜、あの死神が手の中で魔法を爆発させる時に描いていた……聖なる紋章……ッ!!)
子爵にとって、パンケーキの形ですら「魔王の呪いの儀式」の記号にしか見えない。
彼はパンケーキに手を触れることすらできず、ただイグニスを見上げて、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その場に膝をついた。
「……あ、あ、ああ……っ!」
「おいおい、どうした? 飯ならいらねえのか?」
「申し訳ございません……ッ!!」
ゲルマン子爵は、床に額を擦り付けた。
その衝撃で、髪型が乱れ、高級な貴族服が埃にまみれる。
しかし、そんなことはどうでもよかった。彼は、かつてないほどの必死さで、イグニスの足元に縋り付いた。
「私が……私が愚かでございましたぁぁっ!! 辺境を侮り、偉大なるマルストアの力を見誤り……勝手な偏見で皆様を愚弄したこと、万死に値します……ッ!!」
「ほう、随分と殊勝な心がけじゃねえか。一体何があったんだ?」
イグニスが面白そうにニヤつく。
「わ、私は昨日……! 貴方様たちがこの城で行っている『夜の儀式』を拝見し、その真実を知ってしまいました……! 私の小さな器では、貴方様の……いえ、ユウタ様が作り上げたこの帝国の防壁を理解することなど、到底不可能だったのです!」
「儀式? ……ああ、昨日のオタ芸のことか。あれ、結構ハードだろ?」
「はい……ッ!! あの恐るべき光の軌跡を、数百人が一糸乱れぬ動きで……! あのような暗殺術を平然と使いこなす軍勢を、ただの田舎領地だと油断していた我が目が節穴でございました……ッ!」
ゲルマン子爵の言葉に、イグニスはポカンと口を開け、次の瞬間には腹を抱えて大爆笑した。
「ガハハハハハッ! お前、ひょっとして昨日のオタ芸を、何かの暗殺軍事訓練か何かだと勘違いしたのか!? 嘘だろ!? あれはただの趣味のオタ芸だぞ!?」
「趣味……ッ!? あれほどの超高速回避と全方位攻撃の体術が、趣味だとおっしゃるのですか……ッ!!」
「あぁ、そうだよ! 優太がどうしても『推しのライブの再現をしたい』って泣きつくから、兵士たちが付き合わされてるだけだ! まぁ、結果的に体力と連携が鍛えられてるから良しとしてるけどな!」
「し、信じられん……! 趣味の域で、あのような暗殺術を……! やはり、あの男はやはり規格外の魔王……ッ!!」
子爵は、イグニスの説明を「さらに恐ろしい真実」として解釈し、顔面をさらに青くした。
イグニスはもう突っ込む気力も失せたのか、肩をすくめて溜息をついた。
「まぁいいや。……優太のところへ行くぞ。お前、何か報告があるんだろ?」
「は、はい……ッ!!」
イグニスに引きずられるようにして、ゲルマン子爵は執務室へと向かった。
扉が開くと、そこには昨日の夜とは別人のように穏やかな顔をしたユウタが、事務机に座って優雅に紅茶を飲んでいた。
「……ゲルマン子爵。気分はどうかな?」
「ユウタ様……!!」
ゲルマン子爵は、ユウタの顔を見るなり、先ほど以上の勢いで土下座した。
その姿は、まるで地面と一体化しようとしているかのようだ。
「……私めを、どうかお許しください……ッ!! 帝都へ帰還し、皇帝陛下および上層部に対し、このマルストア領が、いかなる強大な力を持つ『帝国の守護者』であるかを、全て正確に報告いたします……ッ!!」
「え? ……あ、ああ。まあ、報告は正確にお願いしたいんだけど……」
勇太は、あまりの変わり様に目を白黒させた。
彼は昨夜、子爵が恐怖のあまり卒倒したことを聞いていたが、まさかここまで完全に「調教」されているとは思ってもみなかった。
「報告書には、こう記します……。『マルストア領は、ユウタ辺境伯の卓越した軍略と、伝説的な魔法少女部隊によって、帝国で最も強固に守護されている。いかなる勢力も、この領地に手を出すことは、自滅を意味する』と……ッ!!」
ゲルマン子爵は、震える声で力説する。
「さらに……! 『マルストア領のオタク文化は、帝国全土に広めるべき聖なる教義である』と……ッ!!」
「いや、そこまでは頼んでない!」
勇太は慌てて口を挟んだが、ゲルマン子爵は涙ながらに続けた。
「どうか、どうか私めを、帝都へ帰してください……ッ!! この領地で一秒でも長く息を吸っていると、我が身が消滅してしまいそうで……!!」
「……分かったよ。帰っていいから、とりあえず立ち上がりなさい。見苦しいぞ」
勇太が呆れ果てて手を振ると、ゲルマン子爵は感謝の言葉を百回ほど繰り返し、逃げるようにして執務室を飛び出した。
彼の姿が中庭から消え去るまで、ユウタとイグニスは、無言で見送っていた。
「……結局、あいつ、俺たちのオタク文化を『帝国を脅かす最強の軍事技術』だと確信したまま帰ってったな」
イグニスが苦笑しながら言った。
ユウタは、紅茶を一口啜り、深く深くため息をついた。
「僕が望んでいたのは、平凡で静かな領主生活だったはずなんだけどね。……どうして、こうなったんだぁぁぁぁぁっ……!」
だが、ユウタの絶望とは裏腹に、マルストア城のバルコニーでは、サブリナとキャルルとリーシャが、ゲルマン子爵の馬車を見送りながら、満足げに微笑んでいた。
「ゲルマン子爵も、ようやくユウタ様の御心を理解してくださったようですわね」
サブリナが、黄色いリボンを風になびかせながら言う。
「はいっ! これで帝都の偉い人たちも、勇太様を甘く見ることはなくなります!」
キャルルが嬉しそうに耳をピコピコと動かす。
「……さあ、次の予定は『帝都軍の演習視察』ね。ユウタには内緒だけど、私たちも密かに準備を進めましょうか。フフフ……」
リーシャが、怪しげな笑みを浮かべてステッキ(物理)を撫でる。
マルストア領の異常な名声は、視察官の帰還によって、もはや誰も止められない速度で帝国全土へと広がろうとしていた。
当の本人は胃薬を抱えて泣き崩れているというのに、彼の周囲の魔法少女たちは、着々と「辺境の魔王」の覇道を敷き詰めていたのである。
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