EP 13
オタク総大将の御成。闇を統べる魔王の如く
客室には、異様なまでの静寂が支配していた。
いや、静寂というよりも、それは「恐怖による窒息」と呼ぶべきものだった。
天井に突き刺さった暗殺者の死体、壁にめり込んだ死体、そして床に散らばる氷の破片。それら惨状の中心で、ピンク色のフリル衣装を着たキャルルとリーシャが、何事もなかったかのように紅茶のカップの片付けを始めている。
その隣で、ゲルマン子爵は完全に知性を失った獣のような目で、床に這いつくばって震えていた。
そして、その全てを見下ろすように、廊下から現れた一人の男。
「……だから言っただろ。夜中は騒ぐなって。明日も朝から、ピーチちゃんのライブ映像をみんなで鑑賞会する予定なんだからさ」
勇太は、手にしたサイリウムをパキパキと鳴らしながら、困ったような顔で溜息をついた。
頭には『推し命』の鉢巻。肩にはピンクの法被。手には光る棒。
彼が身に纏うその姿は、どう見ても「深夜の騒音に苛立つ、近所の面倒なオタク」そのものだった。
しかし。
彼が足を踏み出した瞬間、客室の床に散らばった死体の一部が、彼の放つ重圧によって微かに軋んだ。
暗殺者のリーダーが放った猛毒の煙幕を、真空の結界で無効化したリーシャ。
一瞬で五人の凄腕を「お掃除」したキャルル。
そして、その二人がまるで「可愛い娘」のように付き従っている、この男。
ゲルマン子爵の脳内では、もはや論理的な思考など微塵も働いていなかった。
(あ、ああ……! 納得がいった……! なぜ辺境の田舎貴族が、あのような化け物たちを従えられるのか……! なぜ、あのようなデタラメな軍事技術を開発できるのか……!)
子爵の脳裏に、一つの「真実」が閃いた。
(この男は……人間ではない……! 魔法少女という名の『生贄の儀式』を行い、夜な夜な異界の悪魔を呼び出し、その魂を捧げている『邪神の契約者』なのだ……ッ!!)
あの法被姿は、異界の神を召喚するための『魔導儀式装束』。
手にした光る棒は、悪魔を縛り付けるための『聖なる封印具』。
そして何より、あの法被に書かれた『推し命』という文字列こそが、彼が異世界の神に魂を捧げている証左――。
「……おい。お前、何か言ったらどうなんだ?」
勇太が怪訝そうな顔で、足元で震えているゲルマン子爵を覗き込んだ。
その瞳は、暗い廊下の影に沈み、まるで獲物を探す魔獣のように怪しく光って見える。
「ひ、ヒィィィィィィィィィッ!!!」
ゲルマン子爵は、勇太の顔を見た瞬間、あまりの恐怖に両耳を塞いで絶叫した。
視界が揺らぐ。心臓が今にも破裂しそうだ。
この男に目を合わせれば、己の魂まで「ピーチちゃん」という名の悪魔に捧げさせられる……!
「お、恐れ入りましたァァァッ! 悪魔様! 魔王様! このゲルマン、辺境の底知れぬ深淵を侮っておりました! どうか、どうかこの命だけは……! 帝都への報告も、全て、全て貴方様のご意向のままに……っ!」
子爵は床に額を擦り付け、もはや原型を留めないほどに土下座した。
その姿は、先ほどまでの「帝都の威光を背負った傲慢な視察官」の面影など微塵もない、ただの怯えた小動物だった。
「……は? 悪魔? 魔王? 何言ってんだ、このオッサン」
勇太は本気で呆れたような顔をした。
「いや、ただの注意をしに来ただけなんだけど。とりあえず、この死体たちを片付けてくれないと、明日から僕の城が臭くてたまらないんだよね。……イグニス!」
「おうよ!」
闇の中から、大斧を担いだイグニスがひょっこりと顔を出した。
彼は床に散らばった死体の山を眺め、ニヤリと笑った。
「見事な仕事だぜ、お嬢ちゃんたち。……で、この子爵はどうする? 窓から放り投げて野生の魔物の餌にするか?」
「そ、そんなァァァァァァッ!!!」
子爵が死の淵からの断末魔を上げる。
「あはは。イグニス殿ったら冗談ですよ」
キャルルがキャッキャと笑いながら、死体の山を魔法の力でフワリと浮かび上がらせた。
「この方たちは『黒蜘蛛』という暗殺者集団ですわ。身元を隠すために、城の地下にある『魔物飼育場』に放り込んで、食い尽くしてもらいましょう。それなら証拠も残りませんし、エコです!」
「なるほど、それはいいな。さすがはマルストアの魔法少女、処理が手慣れてやがる」
「はいっ、勇太様仕込みの『効率化』ですから!」
その会話を耳にしたゲルマン子爵は、ついにプツン、と何かが切れる音がした。
地下に魔物飼育場があるだと……?
死体を魔物に食わせるだと……?
この城は、やはり地獄の入り口だったのだ。
「あ……あ……あ……」
子爵の瞳から光が失われ、彼はそのまま、静かに横たわって動かなくなった。
極限の恐怖による、心のシャットダウン。
マルストア領に来てからというもの、彼のプライド、常識、理性、そして最後には精神の防壁までが、跡形もなく粉砕されたのだ。
「おい、気絶しちまったぞ」
イグニスが子爵を足で小突く。
「……仕方ないな。とりあえず、ゲストルームに運んでおこう。明日にはちゃんと、彼に『帝都への帰還』という名の卒業試験を受けてもらわないといけないからね」
勇太は、面倒くさそうにサイリウムをポケットに突っ込み、ため息をついた。
「とりあえず……今日はもう寝よう。……みんな、お疲れ様。明日もピーチちゃんの鑑賞会、よろしくな」
『『はいっ! 勇太様!』』
廊下を去っていく勇太と、彼を献身的に従える魔法少女(暗殺殲滅部隊)の背中。
その光景を見ていた暗殺者たちの残党や、城の影に潜んでいた密偵たちは、誰からともなく、静かに、そして完全にマルストア領からの撤退を決意した。
「あそこには……人間はいねえ」
一人の密偵が、震える手で報告書を破り捨てながら呟いた。
「魔王が一人と、その側に仕える三人の死神(魔法少女)。……これ以上関われば、帝国ごと滅ぼされるぞ……」
夜の静寂が、マルストア領を優しく包み込む。
だが、その平穏な闇の裏側で、勇太の意図とは裏腹に、「辺境の魔王」の伝説は、帝国全土へと、凄まじい勢いでその猛毒を広げていたのである。
翌朝。
昨日まであんなに傲慢だったゲルマン子爵が、食事の時間になっても部屋から出てこないことに、誰も気づいていなかった。
彼は、昨夜見た「魔王の姿」と「少女たちの蹂躙劇」がフラッシュバックするたびに、ベッドの下で胎児のように丸まり、「ティンクル……ティンクル……」と独り言を呟きながら、魂を抜け殻にして震え続けていたからである。
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