EP 8
視察官の憂鬱。コーラとピザ(超回復薬)の洗礼
マルストア城、広大な屋外訓練場。
刺すような日差しの中、帝都からやってきたゲルマン子爵の護衛である「エリート近衛騎士」十名が、抜刀した状態で半円の陣形を組んでいた。
彼らの纏う銀色の全身鎧は、実戦の血や泥を一度も浴びたことがないのか、鏡のようにピカピカに磨き上げられている。
対するは、上半身裸に革のズボンという軽装の竜人族、イグニスだ。彼は巨大な戦斧を肩に担ぎ、欠伸を噛み殺しながら騎士たちを眺めていた。
「フンッ! 蛮族が粋がるのも今のうちだ。我が近衛騎士団の華麗なる連携剣術の前に、ひれ伏すがいい!」
訓練場の端に設置された安全な観覧席から、ゲルマン子爵が扇子を広げて高笑いしている。
その横で、俺は呆れ半分、諦め半分の溜息をついていた。
「……イグニス、あんまりやりすぎるなよ。一応、帝都の騎士様たちなんだから」
「分かってるって。ミネチアウルフの仔犬と遊ぶくらいの力加減で揉んでやるよ。……それより優太、アレはできてるか?」
イグニスの催促に、俺は手元に用意していたカートを押し出した。
そこに乗っているのは、俺が先ほど『地球ショッピング』で緊急手配した、Lサイズの特大ペパロニピザ(チーズ増し増し)と、よく冷えた2リットルのコーラである。
「はいはい、分かってるよ。お前の大好物だ。戦う前に腹が減ってちゃ力が出ないだろ」
「ガハハッ! 気が利くじゃねえか! こいつを食わなきゃ、俺様のエンジンはかからねえからな!」
イグニスは戦斧を地面に突き立てると、訓練場のど真ん中、十人の騎士たちに剣を向けられている状況下で、悠然とピザの箱を開けた。
「な、なんだ!? 模擬戦の直前に、食事だと……!?」
ゲルマン子爵が目を丸くする。
イグニスはそんな視線など意に介さず、アツアツのピザを二枚重ねにして豪快に噛みちぎった。
濃厚なチーズがどこまでも伸び、ペパロニの脂とガーリックの暴力的な匂いが訓練場に漂う。
「あむっ、モグモグ……クゥーッ! たまんねえ! 血管に直接カロリーが叩き込まれるぜ!」
「イグニス、喉が渇くからこれも飲め」
俺が2リットルのペットボトルごとコーラを放り投げると、イグニスはそれを見事に片手でキャッチし、キャップを捻り飛ばして直接ラッパ飲みした。
「ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……ップハァァァァァァァァッ!!!」
黒い炭酸飲料を一気飲みしたイグニスが、天を仰いで特大の咆哮を放つ。
その瞬間、彼の強靭な肉体がビクンッと跳ね、赤銅色の鱗が異常なほどのツヤを帯びてギラギラと輝き始めた。
(……うん。糖分とカフェインと超絶カロリーを一気に摂取したせいで、シュガーハイになってるな、あいつ)
現代日本のジャンクフードは、素朴な食生活を送ってきた異世界人の肉体には刺激が強すぎるのだ。今のイグニスは、完全にカロリーと炭酸のオーバードーズで「無敵状態」になっている。
だが、その光景を見ていたゲルマン子爵と近衛騎士たちは、恐怖に顔を青ざめさせていた。
「な、なんだあの禍々しい香りを放つ円盤は!? それに、あの黒く泡立つ毒液を飲んだ瞬間、亜人の魔力が爆発的に膨れ上がったぞ!?」
ゲルマン子爵が震える指でイグニスを指差した。
その横で、彼らを案内する体で同席していたサブリナさんが、まるで「真理を悟った賢者」のような顔で深く頷いた。
「ゲルマン子爵。あれが、ユウタ様が開発されたマルストアの究極の兵站……『禁断の闘薬』と『超高圧縮魔力糧食』です」
「と、闘薬だと!? 模擬戦で薬物を使うなど、卑怯千万な……!」
「卑怯? いいえ、これは日常の光景です」
サブリナさんは誇らしげに胸を張った。
「あの黒き闘薬は、摂取した者の魔力回路を強制的に覚醒させ、痛覚を麻痺させる代わりに内臓に強烈な負荷をかけます。イグニス殿は、あのような劇薬を水のように飲み干すことで、常に極限状態のプレッシャーの中で己の肉体を鍛え上げているのです!」
「違う! ただピザにはコーラが合うっていうオタクの絶対法則なだけだから! 内臓への負荷とか、ただの糖分過多による糖尿病のリスクだから!」
俺の悲痛な訂正も、サブリナさんの澄み切った声と、完全にシュガーハイになっているイグニスの凶悪な笑顔の前に、完全に掻き消された。
「さあ、ウォーミングアップ(食事)は終わりだ。かかってこいよ、帝都のお坊ちゃんたち。俺様は今、全身にエネルギー(カロリー)が有り余ってて、暴れたくて仕方ねえんだ!」
イグニスが首をゴキゴキと鳴らし、戦斧を片手で軽々と振り回す。
その異常な威圧感に、近衛騎士たちは一歩、また一歩と後退った。
「ひるむな! 相手はたかが亜人一人! 陣形を組んで一斉に斬りかかれッ!」
ゲルマン子爵の怒号に背中を押され、十人の騎士たちが一斉にイグニスへと襲いかかった。
「「「おおおおおッ!!」」」
前後左右からの、訓練された美しい同時攻撃。
だが。
「――遅ぇよ、カタツムリか?」
イグニスの姿が、かき消えた。
「なっ!?」
騎士の剣が虚空を切った瞬間、イグニスの巨体はすでに陣形のド真ん中に割り込んでいた。ピザとコーラのカロリーを完全燃焼させた竜人族のバネは、もはや瞬間移動にしか見えない速度を叩き出していた。
「ほらよッ!」
イグニスは戦斧の『峰(平らな部分)』を使い、大根を間引くような手軽さで、三人の騎士の胴体をまとめて薙ぎ払った。
ガァァァァンッ!!
という鈍い金属音と共に、分厚いプレートアーマーがひしゃげ、三人の騎士が鞠のように空中を吹っ飛んでいく。
「バ、バカな……! 銀鋼の鎧ごと……!?」
驚愕する残りの騎士たち。
だが、イグニスの猛攻は止まらない。
「おらおらおらおらッ! 帝都の剣術ってのは、もっとこう、ピリッとしたスパイスが効いてるもんじゃねえのか!? さっき食ったペパロニの辛さの方が、よっぽど刺激的だぜ!!」
イグニスは戦斧を放り投げ、素手で騎士たちの懐に飛び込んだ。
鎧の隙間を的確に捉え、投げ、払い、弾き飛ばす。剣の軌道を指二本で挟んで止め、そのまま騎士の腕を捻り上げて地面に叩きつける。
「ギャアアアアッ!」
「助け……ッ!」
わずか数十秒。
圧倒的、という言葉すら生温い。大人と赤子の喧嘩ですらない。
そこにあったのは、ただの「蹂躙」だった。
「ふぅ……。全然消化しきれねえな。まあ、準備運動くらいにはなったか」
イグニスが軽く息を吐きながら立ち止まった時。
訓練場には、銀色の鎧をベコベコに凹ませ、白目を剥いて泡を吹いている十人のエリート近衛騎士の山が出来上がっていた。
イグニスの体には、文字通り「傷一つ」ない。それどころか、息一つ乱しておらず、汗すら一滴も流していなかった。
「…………ヒッ、ヒィィィィィッ……!」
観覧席のゲルマン子爵は、腰を抜かし、ガタガタと震えながら椅子から滑り落ちた。
「ば、化け物……! 我が帝国の精鋭たちが、赤子のように……! あ、あの黒い水は、亜人を無敵の狂戦士に変える、悪魔の秘薬……ッ!!」
「だから、それはコーラだ。誰が飲んでも狂戦士にはならないし、子供も大好きな飲み物だ」
俺が呆れ顔で説明するが、ゲルマン子爵は「ひぃぃっ! 近寄るな!」と両手で顔を覆ってしまった。
完全に心が折れかけている。
「どうだ、子爵サマ。俺様たち『野蛮な連中』の実力は、少しは理解してもらえたか?」
イグニスが、落ちていた戦斧を拾い上げ、肩に担ぎながらゲルマン子爵を見下ろす。
その瞳の奥には、友を侮辱されたことに対する、静かで冷酷な怒りが未だ燻っていた。
「ひぃっ……! ま、待て! 確かに貴様ら亜人の『腕力』は認めてやろう! だが、貴族の戦いにおいて真に高尚なるは『魔法』! 力任せに棒を振り回すだけの野蛮人には、魔法の恐ろしさは理解できまい!」
ゲルマン子爵は、震える手で懐から一本の短い杖を取り出した。
どうやら彼自身、宮廷魔術師としての素養が多少なりともあるらしい。
「見よ! これぞ我がローゼンブルク家に伝わる上位魔法……『灼熱の……!」
ゲルマン子爵が血走った目で呪文を詠唱しようとした、その時だ。
「――お下がりください、イグニス殿。魔法による戦闘ならば、私が相手をいたしましょう」
純白の騎士服のフリルを揺らしながら、サブリナさんが静かに進み出た。
彼女は、自らの腰に提げた愛剣(黄色いリボン付き)を抜くことすらしなかった。
ただ、その両手を頭の上で交差し、指で美しい「ハートの形」を作ったのである。
「サ、サブリナ殿……!? なんだその、ふざけた構えは!」
「ふざけてなどいません。これは、ユウタ様の兵法……魔法少女の絶対防御形態、『ティンクル・ポーズ』です」
サブリナさんは、大真面目な顔で、ゲルマン子爵の放つ上位魔法を素手で受け止める気らしい。
マルストアの「異常な常識」が、ついに帝都の視察官の心を完全にへし折る瞬間が、すぐそこまで迫っていた。
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