EP 6
敗北の朝。親友の爆笑と、最強の第三夫人
マルストア城、領主執務室。
爽やかな小鳥のさえずりが聞こえるうららかな朝。窓から差し込む眩しい陽光とは裏腹に、俺は執務机に突っ伏したまま、真っ白な灰となって燃え尽きていた。
「……終わった。僕のオタク防衛戦は、完全に、そして物理的に敗北したんだ……」
力なく呟く俺の耳に、信じられないほど元気で、かつ凛とした美声が飛び込んでくる。
「ユウタ様! おはようございます! 本日の『オタ活(軍事教練)』の予定はいかがいたしましょうか! 昨日の実戦を経て、私、自らの未熟さを痛感いたしました! これからはキャルル先輩やリーシャ先輩のご指導を仰ぎ、さらに高みを目指す所存です!」
バサァッ! と勢いよくマントを翻し、俺の目の前で完璧な敬礼を決めているのは、帝都が誇るSランク魔法剣士にして、昨日、俺の第三夫人(予定)となることが確定したサブリナ・シャリゼその人である。
彼女の瞳には、一切の迷いがない。
かつて帝都で天才と呼ばれたプライドはどこへやら、今や彼女の頭の中は「ユウタ様への絶対的な忠誠と愛」と「魔法少女という名の狂気の戦闘教義」で完全に埋め尽くされていた。
「サブリナさん……もう先輩だなんて、照れちゃいますよぅ」
「ええ。サブリナのような強くて真っ直ぐな人が妹(家族)になってくれて、私たちも本当に嬉しいわ」
サブリナの後ろでは、ピンクとブルーのフリルエプロンを着けたキャルルとリーシャが、ニコニコと微笑みながら朝の紅茶を淹れている。
マルストア領を揺るがした、Aランク変異種を含む魔物の大群との激闘から一夜。
戦場において、俺がサブリナを庇い、地竜を一刀両断してしまったあの瞬間。俺の「痛いオタクを演じて嫌われる」という作戦は、跡形もなく消し飛んだ。
俺の魂の根底にある「生真面目な武人」としての本能が、愛する者や親友の危機を見過ごせるはずがなかったのだ。
結果として、俺の行動は「普段は能ある鷹として爪を隠し、いざという時にだけ圧倒的な力で他者を守る、慈愛と高潔さに満ちた英雄」としてサブリナの心を完全に撃ち抜いてしまった。
「ああ……どうしてこうなった……。僕が求めていたのは、もっとこう、ドン引きされて『最低の男ね!』って平手打ちされるような結末だったのに……」
俺が両手で頭を抱えて呻いていると、執務室のソファの方から、下品で豪快な笑い声が弾けた。
「ブッ……ガハハハハハハッ! ヒィーッ、腹痛てぇ! 何が『貞操防衛戦』だ! 結局、自分から一番美味しいところかっ攫って、最強の嫁さんゲットしてんじゃねえか!」
竜人族の親友、イグニスである。
昨日の激闘で地竜に吹き飛ばされ、全身打撲の重傷を負っていたはずの彼は、治癒魔法と特有の回復力で一晩のうちにピンピンに治っていた。
それどころか、彼は今、ソファに寝そべりながら、俺が昨日『地球ショッピング』で取り寄せた特大サイズの「ペパロニピザ」の残りを豪快に頬張り、漆黒の液体「コーラ」をラッパ飲みしている。
「ゴクッ、ゴクッ……プハァァァッ! いやぁ、この『こーら』って闘薬、マジで最高だな! 寝起きに飲むと、内臓の底から魔力がバチバチと湧き上がってくるのが分かるぜ! 俺様、完全にこの黒い水の虜になっちまったよ!」
「だからそれ闘薬じゃないから! ただの砂糖水と炭酸だから! 朝からそんなジャンクフードばっかり食べてたら、竜人族でも成人病になるぞ!」
俺の悲痛なツッコミを、イグニスは「またまた、照れ隠しを」といったニヤニヤ顔で聞き流した。
「照れるなよ優太。お前のそのクソ真面目で不器用な生き方、俺様は嫌いじゃねえぜ。サブリナ嬢が惚れ直すのも無理はねえさ。あんな絶体絶命のピンチに、あんなチートみてえな一撃で助けられたら、誰だってイチコロだろ」
イグニスはピザの油でギトギトになった指を舐めながら、悪戯っぽく片目を瞑った。
「それにしても、マルストアの戦力はこれで完全に帝国の常識をぶっ壊したな。全属性の大魔術師に、重金属のステッキを振り回す近接殲滅ウサギ(キャルル)、そこにSランクの魔法剣士が加わって、総大将がバケモノ級の英雄(お前)だ。……もうこの領地だけで、小国なら三日で落とせるぞ」
「物騒なこと言うな! 僕はただ、愛する妻たちと平和にスローライフを送りたいだけなんだよ!」
俺は涙目で抗議したが、サブリナがその言葉に過剰反応してしまった。
「平和なスローライフ……! なるほど、平和を維持するためには、圧倒的な抑止力が必要不可欠。そのために我々『魔法少女』が、領地に仇なす者を一切の慈悲なく闇から闇へと葬り去るのですね! お任せくださいユウタ様、このサブリナ、影の暗殺剣として身を粉にして働きます!」
「違う! どうして君の解釈はいつもそう血生臭い方にばかり行くんだ!」
俺の言葉など全く届いていない様子で、サブリナはキャルルとリーシャに向き直り、「先輩方、本日は『ステッキによる重装甲の粉砕』についてご指導をお願いいたします!」と熱心に頭を下げている。
キャルルも「はいっ! コツは腰の回転と、気合の『えいっ♪』です!」と能天気に答えていた。
完全に、手遅れだった。
マルストア領は俺の思惑を完全に置き去りにして、史上最強にして最狂の「オタク軍事国家」への道を猛スピードで爆走し始めている。
「……はぁ。もういい、好きにしてくれ。僕は胃薬を飲む……」
俺が執務机の引き出しから胃薬を探そうとした時、イグニスがふと真面目な顔になり、手元にあった一枚の羊皮紙を机の上に放り投げた。
「笑い事じゃ済まない話が一つあるぜ、優太。お前、昨日の討伐報告書、もう帝都に送っちまったのか?」
「え? ああ、文官に任せておいたけど……それがどうしたんだ?」
「……これ、文官が清書する前の控えだ。読んでみろ」
イグニスに促され、俺は羊皮紙に目を通した。
そこには、文官が真面目な筆致で書き綴った、昨日の戦果が記されていた。
【事象】 ラウラ山脈より発生した魔物のスタンピード(総数約八千)および、Aランク変異種(地竜)の襲来。
【被害】 領民の死傷者ゼロ。正規軍の重傷者数名(竜人族一名含む)。
【討伐実行部隊】 マルストア辺境伯直属・特別遊撃部隊『魔法少女ティンクルスターズ』(計三名)。
【討伐結果】 スタンピードは同部隊の広域制圧魔法および近接物理打撃により完全殲滅。Aランク変異種は、辺境伯ユウタ様が単機で突撃し、薙刀による一撃で両断。
【特記事項】 帝都より滞在中のサブリナ・シャリゼ殿も『魔法少女』の教義に深く感銘を受け、同部隊に合流して多大な戦果を挙げた。
「…………」
俺は、持っていた羊皮紙を静かに机の上に置いた。
そして、無言で両手で顔を覆った。
「なあ優太。俺様たちからすりゃ、昨日の狂った光景を見たから事実だと分かるがな」
イグニスが、コーラのグラスを揺らしながら、底冷えのするような声で言った。
「帝都の、凝り固まった常識しか持たねえ『上層部の貴族ども』がこれを見たら、どう思うだろうな?」
「……『辺境の田舎貴族が、ふざけた部隊名を名乗って、シャリゼ侯爵家の令嬢を洗脳し、虚偽の戦果をでっち上げている』……って、激怒するだろうね」
俺が絶望的な声で答えると、イグニスは深く頷いた。
「ああ。しかも、サブリナ嬢は帝都の宝とも言えるSランクの魔法剣士だ。そんな重要人物が『辺境のオタク部隊』に取り込まれたとなれば、黙っちゃいねえだろう。……間違いなく、近いうちに帝都から『嫌な奴ら』が嗅ぎ回りに来るぜ」
イグニスの予言通り。
この平穏で狂った敗北の朝は、次に訪れる「マルストアと帝都の常識が正面衝突する、最大の喜劇」への、ほんの短い前触れに過ぎなかったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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