第六章 迫り来る脅威。そして竜人族(親友)の絶望
迫り来る脅威。そして竜人族(親友)の絶望
「ユウタ様! 本日は、第二巻の第三章、魔法少女たちが敵の罠に落ちた際の『陣形回復』について、ぜひご教示願いたく……!」
マルストア城の領主執務室。
朝から、純白の騎士服を身に纏ったサブリナさんが、目をキラキラさせながら分厚いノートと「魔法少女ティンクルスター」のコミックス第ニ巻を握りしめてやってきた。
「……うん、だからあれはただのピンチを演出するための展開であって、陣形とかそういう軍事的な話じゃ……」
俺がピンク色のフルグラフィックTシャツ姿で、引きつった笑いを浮かべながら弁明しようとした、まさにその時だった。
「優太ァッ!! 大変だ!!」
バンッ!! と凄まじい音を立てて、執務室の重厚なオーク材の扉が蹴り開けられた。
飛び込んできたのは、親友であり悪友の竜人族、イグニスだ。普段は余裕ぶっている彼が、肩で息をし、鱗に覆われた額に大粒の汗を浮かべている。
「どうした、イグニス! そんなに慌てて」
ただ事ではない空気を察し、部屋の奥でくつろいでいたキャルルとリーシャも、サブリナさんも、一斉に表情を引き締めた。
イグニスは荒い息を整えながら、手に持っていた羊皮紙の束を俺の執務机に叩きつけた。
「北部の国境だ! ラウラ山脈の麓から、魔物の大群が発生しやがった! 斥候の報告によれば、その数、ざっと数千……いや、万に近いかもしれねえ!」
「万……だと!?」
俺は思わず立ち上がった。
数千から万の魔物の群れ。それがマルストア領の豊かな平野部に雪崩れ込んでくれば、多くの領民が犠牲になり、街は火の海になる。領主として、絶対にここで食い止めなければならない。俺の奥底にある「高潔な戦士」としての血が、激しく沸き立つのを感じた。
だが。
俺の視界の端に、凛とした表情で剣の柄に手をかけるサブリナさんの姿が映った。
(……待てよ。ここは、絶好のチャンスじゃないか?)
そうだ。俺の目的は、サブリナさんに愛想を尽かされ、婚約破棄してもらうことだ。
領民の命は絶対に守るが、それは「俺がこっそり裏で手を回す」か、「妻たちとイグニスに指示を出して解決する」ことにして、表面上は最高に情けないヘタレを演じればいいのだ!
戦うことを恐れ、責任を放棄して逃げ隠れする男。
誇り高きSランク魔法剣士であるサブリナさんなら、そんなクズ領主を見れば、間違いなく顔に唾を吐きかけて帝都へ帰ってくれるはずだ!
俺は意を決し、再び背中を丸め、両手を揉み手のようにすり合わせながら、情けない甲高い声を出した。
「ひ、ひぃぃぃぃっ! ま、魔物の大群でござるかぁっ!? こ、怖い、怖すぎるでござる! 拙者は血を見るのは大の苦手! 戦うなんて絶対無理でござるよぉっ!」
俺はわざとらしくガチガチと歯の根を鳴らし、机の下に潜り込もうとする素振りを見せた。
「拙者はこの安全な執務室で、ティンクルピーチちゃんのブルーレイ……じゃなくて、魔法の映像記録を見て現実逃避するでござる! あとはイグニスと皆に任せた! 拙者の代わりに領地を守ってくるでござるぅぅ!」
言い切った。
最悪だ。我ながら吐き気がするほど最低のクズ野郎だ。領民の危機に際して部屋に引きこもる領主など、万死に値する。
さあ、サブリナさん! 幻滅してくれ! そして僕を罵倒してくれ!
しかし。
俺の渾身のヘタレ演技を見たイグニスは、呆れたように溜息をつき、机の上に広げたままの北部国境の地図を指差した。
「……あのな、優太。現実逃避するのは勝手だが、このままじゃ第一防衛線のラダ村が半日で飲み込まれるぞ。正規軍の重装歩兵を前線に出すか、それとも騎馬隊で側面に回り込むか。領主としての方針だけは決めろ」
「ひぃぃ、知らないでござる! そんな血生臭い話、拙者には……」
俺は目を逸らしながら、ふと、机の上の地図に視線を落としてしまった。
それが運の尽きだった。
俺の前世は、一応これでも医学部で人の命を救うために猛勉強していた身だ。さらに、生来の「キャプテン・アメリカ」のような真面目で冷静な気質が、危機的状況において完全に覚醒してしまった。
地図を見た瞬間、俺の脳内に、地形の高低差、川の配置、部隊の進軍速度、そして魔物の生態に基づく移動ルートが、瞬時に、かつ完璧な立体映像として構築されてしまったのだ。
「……いや、待て」
俺の口から、低く、冷静な声が漏れた。
先ほどまでの甲高いオタク声は跡形もなく消え去っていた。
「重装歩兵を前線に出すのは愚策だ。この数のスタンピードなら、平野部で受け止めれば数に押し潰される。ラウラ山脈から続くこの『嘆きの渓谷』……ここで群れの先頭を楔のようにはめ込み、足止めするべきだ」
俺は地図上の狭い渓谷を指差した。
「イグニス、お前は正規軍の盾持ち部隊を率いて、この渓谷の出口を完全に封鎖しろ。数は要らない、絶対の防御陣形だ。そしてリーシャ」
「はい、勇太」
リーシャが真剣な表情で頷く。
「君は飛行魔法で渓谷の両崖上に魔術師部隊を展開してくれ。イグニスたちが足止めした魔物が密集したところを、崖上からの全属性魔法で文字通り『すり潰す』。キャルルは遊撃隊として、陣形から漏れた少数の魔物を各個撃破してくれ」
「分かりました、勇太様! 一匹たりとも逃しません!」
キャルルが力強くダブルトンファーを構えた。
「これで、領民の被害はゼロに抑えられる。俺もすぐに……」
そこまで言って、俺はハッとして口を噤んだ。
しまった。あまりにも自然に、あまりにも的確に、最高にカッコいい指揮官として軍議を取り仕切ってしまった。
俺は慌てて背中を丸め、甲高い声を作った。
「――と、という夢を見たでござるぅぅ! 拙者は部屋の隅でガクブル震えているでござるよぉぉ!」
「お前なぁ……」
イグニスが、死んだ魚のような目で俺を見た。
「地図を見た瞬間、クソ真面目で有能な天才軍師の顔になっとるぞ。震える演技はどうした。説得力が皆無だ」
「ち、違うんだ! 今のはただの、ゲームの知識の受け売りで……!」
俺が必死に弁解しようとした時、ずっと黙って地図と俺を交互に見つめていたサブリナさんが、ゆっくりと口を開いた。
「……素晴らしい」
彼女の紫色の瞳は、またしても、いや今まで以上に、狂信的なまでの熱を帯びていた。
「自ら『恐怖に怯える弱者』を演じることで、突発的な危機に動揺する味方の緊張を解きほぐす。そして、一見パニックに陥っているように見せかけながら、思考は恐ろしいほどに澄み渡っており、ノータイムで地形を掌握し、最適解の防衛陣形を導き出す……!」
「違う! サブリナさん、違うから! 本当に逃げたかっただけだから!」
「いいえ! 分かります!」
サブリナさんは胸に手を当て、感極まったように天を仰いだ。
「強大な力を持ちながら、決して驕らず、常に最悪を想定して動く。そして、必要な時にのみ、その深淵なる知略を惜しげもなく披露する。これこそが……ユウタ様が信仰する『オタク』という名の、神算鬼謀の軍略家の真骨頂!」
もうダメだ。
何を言っても、彼女の「戦闘狂フィルター」を通して、俺の行動全てが「伝説の軍神の振る舞い」として神格化されていく。
「ユウタ様! このサブリナ・シャリゼ、貴方様の組んだ完璧な布陣の一翼を担わせていただきます! 私も前線に出撃させてください!」
サブリナさんは、美しい銀髪を揺らしながら、俺に向かって深々と、そして最高に美しい騎士の礼をとった。
彼女の顔には、俺に対する絶対的な信頼と、隠しきれない深い愛情が満ち溢れていた。
「……ああ、もう、好きにしてくれ……」
俺は完全に心が折れ、執務机に突っ伏した。
貞操防衛戦は、もはや防衛どころか、俺の指示で敵に城門を開け放っているような状態だった。
「ガハハハハ! 諦めろ優太! お前のその腐るほど真面目な根性は、どう足掻いても隠しきれねえってことだ!」
イグニスが豪快に笑いながら、俺の背中をバンバンと叩く。
「さあ、出陣だ! 領主様が完璧な作戦を立ててくれたんだ。俺たちで、魔物の群れを派手に歓迎してやろうぜ!」
こうして、俺のヘタレ偽装作戦は完全に裏目に出たまま、マルストア最強の「魔法少女(物理)部隊」と竜人族の親友は、迫り来る魔物の大群を蹂躙すべく、戦場へと向かうのだった。
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