EP 26
魂が口から抜け出たかのように固まっている勇太。
その腕の中では、夢見心地のキャルルが幸せそうにすり寄っている。傍らでは、リーシャが「やれやれ」といった風に、しかし楽しさを全く隠しきれない優雅な微笑みを浮かべていた。
「イ、イグニス……?」
勇太はこの絶体絶命(?)の状況を作り出した張本人に、助けを求めるようにか細い声をかける。
だが、物陰から姿を現した親友は、したり顔で腕を組むと、最高に満足げな顔で言い放った。
「さて、と。俺様に出来るパスはここまでだ。あとは自分でゴールを決めな、領主様?」
「――――ッ!?」
完全に梯子を外された。勇太の心臓が、ドクン、ドクンと早鐘のように鳴り響く。
どうする、どうすればこの状況を……!
その、勇太のパニックが頂点に達した、まさにその時だった。
「――お見事です、勇太様!」
すっ、と音もなく。彼の背後に一人の初老の執事が現れた。
「ルンベルスさん!? い、いつの間に!?」
執事のルンベルスは、目の前の光景(抱きつくキャルル、微笑むリーシャ、固まる勇太、ガッツポーズのイグニス)を瞬時に把握すると、一切動じることなく、感動にむせび泣くように恭しく一礼した。
「勇太様、ならびにキャルル様、リーシャ様。この度はおめでとうございます。いやはや、実に素晴らしい! 『兎耳族(獣人)』と『エルフ族』、二つの強力な種族を同時に娶ることで、我がマルストアの政治的・軍事的な基盤は完全に盤石なものとなりました! これぞ完璧な覇道ッ!」
「えっ、そっち!? いや、そういう打算で言ったんじゃなくて!」
ツッコミも虚しく、有能すぎる執事の脳内ではすでに『国家の超特大プロジェクト』が始動していた。
「して、式典はやはり雲一つない晴天の日がよろしいですな。大陸中から王侯貴族を呼び寄せ、三日三晩続く盛大な祝の宴を――日柄の良い日を、ただちにリストアップしてまいります!」
あまりに自然に、あまりに凄まじい規模で、話が「結婚式」へと飛んでいく。
「きゃ~~っ!」
その言葉に、キャルルが嬉しそうな悲鳴を上げた。
「そ、そうだ! キャルル村の……ミルル母さんに、手紙で知らせなきゃ! みんな、びっくりするだろうなぁ!」
「ふふ。エルフの里に報告するのは……少し面倒臭いわね。『あの男嫌いのリーシャも、ようやく結婚か!?』なんて、長老たちに根掘り葉掘り聞かれそうだわ。でも、悪くないわね」
リーシャも、やれやれと肩をすくめながらも、その口元は抑えきれない喜びで緩みきっている。
もはや外堀は完全に埋められ、マルストア城の横に新居の城まで建ちそうな勢いだ。
勇太の心臓は、限界までドキドキと高鳴っていた。
(……一夫多妻なんて、日本の常識じゃあり得ない。でも……ここは地球じゃない。アナスタシア世界だ)
バン! バン!
イグニスが、親友の背中を力強く叩いた。その衝撃で、勇太はハッと我に返る。
彼は、目の前の二人の女性を、しっかりと見つめ返した。
夢見るように自分を見上げる、真っ直ぐで愛おしい兎耳の少女。
悪戯っぽく、しかし絶対の信頼を込めて微笑む、美しく賢いエルフの魔導士。
――ああ、そうか。
ごちゃごちゃだった頭が、すっと澄み渡っていく。
きっかけはどうであれ。この温かくて、かけがえのない日常を、この手で守り、そして、もっともっと幸せにしたい。
日本の医学生としての倫理観など、どうでもよかった。今、自分は『彼女たちの男(領主)』なのだから。
「……うん」
勇太は覚悟を決めた、男らしい穏やかな声で、二人の目を見て告げた。
「絶対に、二人を幸せにする。僕の隣にいてくれて、ありがとう」
それは、紛れもない、彼の魂からの誓いだった。
その真っ直ぐな言葉を聞いた瞬間、キャルルの大きな赤い瞳から、ぽろりと一粒の涙がこぼれた。
「えへへ……はいっ! 私、勇太さんの特別になれて、本当に幸せです……!」
「……私の、たった一人の勇者様♡」
リーシャも愛おしそうに目を細め、勇太の首に白く細い腕を回す。
そして、二人は同時に身を乗り出し――勇太の両方の頬っぺたに、そっと、そして熱い唇を寄せた。
『――チュッ』
右頬には、柔らかくてピュアな温もり。
左頬には、ほんの少し艶やかで大人びた感触。
「――――ッ!?」
若き領主の顔は、マルストアの空を染める夕焼けよりも、真っ赤に染め上がっていた。
「フッ。……やっと男になりやがったな」
「全く、我が君は末恐ろしいお方ですな」
呆れつつも最高に嬉しそうなイグニスと、すでに式の段取りをメモし始めているルンベルス。
マルストアに吹く潮風が、なんだかいつもより、ずっとずっと甘く感じられた――そんな日の、極上に幸せな午後の出来事だった。




