EP 22
領主の憂鬱と仲間との誓い
マルストア城の領主執務室。
分厚いマホガニーの机の上には、ダボルグが引いた工場建設の工程表、ドルグが提出した鉱脈開発の膨大な予算案、そしてニャングルと取り決めた芋焼酎の販売戦略に至るまで、決裁を待つ羊皮紙の山が築かれていた。
若き領主、ナカムラ・ユウタは、その圧倒的な書類の山に埋もれるようにして、羽ペンを握ったまま深いため息をついた。
「う〜ん……領地、予算、人員確保……。やることが、多すぎる……」
その呟きは誰に言うでもない、数字と政治に向き合い続けた彼の「孤独な疲労」そのものだった。頭痛がして、視界がかすむ。
「勇太さん、やっぱり疲れてますね。少し休みましょう?」
心配そうな声と共に、キャルルが温かいハーブティーの入ったカップをそっと机の端に置いた。
隣に立つリーシャも、呆れたように、しかしそのエメラルドの瞳の奥に深い優しさをにじませて言う。
「本当よ。ここ数日、まともにベッドで寝ていないでしょう? マルストアの未来も大切だけど、大黒柱のあなたが倒れたら元も子もないわ」
「キャルル、リーシャ……。それに、イグニスも」
いつの間にか、部屋には『ホープ・クローバーズ』の仲間たちが全員集まっていた。
扉の枠に背中を預けていたイグニスは、腕を組みながらニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「おい、ユウタ。書類仕事も結構だが、領主様気取りで机にかじりついてばっかりで、肝心の『腕』は鈍ってねぇだろうな?」
「……ああ。薙刀の素振りくらいは、なんとか時間を作ってやってるさ」
勇太が凝り固まった肩を回しながら力なく答えると、イグニスは壁から体を離し、親指でクイッと窓の外――訓練場を示した。
「どれ、頭から煙が出てるぜ。いっちょ俺様が揉んで、その固まった脳味噌をほぐしてやるか。来な」
それはぶっきらぼうで乱暴な誘いだったが、頭脳労働でパンク寸前の勇太を「外」へ連れ出すための、彼なりの不器用な気遣いだった。
三十分後。抜けるような青空の下、城の訓練場。
向かい合う二人の研ぎ澄まされた闘気が、場の空気をヒリヒリと張り詰めさせる。
片や、刃引きされた模擬薙刀を滑らかに正眼に構える勇太。
片や、巨大な模擬戦斧と大盾を構え、獰猛な笑みを浮かべる竜人イグニス。
静寂を破り、先に動いたのは勇太だった。
「行くぞッ!」
鋭い裂帛の気合と共に、砂を蹴る。全身のバネを使い、遠心力を乗せた神速の斬撃が、流れるようにイグニスの胴を薙いだ。
「甘えぜッ!」
ガギィンッ! と甲高い音を立てて火花が散る。
イグニスはその重い一撃を大盾の縁でいとも容易く受け流すと、間髪入れず、その巨体を活かして踏み込み、強烈な当て身を繰り出してきた。
「くっ……!」
勇太は即座に後ろへ跳んでその質量を躱すが、頬をかすめた風圧だけで肌がヒリつく。
一進一退。
薙刀のリーチと遠心力で『間合い』を支配しようとする勇太。
その間合いを、規格外のパワーと獣の勘で強引にこじ開けようとするイグニス。
書類の数字や貴族の思惑など、ここには存在しない。あるのは純粋な力と技のぶつかり合いだけだ。
二人の模擬戦は、互いの実力と手癖を知り尽くしているからこそ、フェイントの探り合いすら省略された、激しく、そして濃密な極限の攻防となった。
カンッ! ガキンッ! と、木と木、鉄と鉄がぶつかる音が何度も響き渡る。
どれほどの時間が経っただろうか。
やがて二人は、示し合わせたように同時に武器を降ろし、砂まみれになって荒い息をついた。
「はぁ……っ、はぁ……。やっぱり、イグニスは強いな」
汗だくになった勇太が膝に手をついて笑うと、イグニスも満足げに牙を見せて笑った。
「たりめえよ。……だが、俺様はもっともっと強くなるぜ。獅子王祭のままの俺とお前で、終わらせるつもりはねえからな。領主様になっても、俺の背中は絶対に守らせてやる」
その言葉には、決して変わることのない好敵手への、そして友への確かな敬意と誓いが込められていた。
激しい運動のおかげで、勇太の頭を覆っていた重い疲労感と霧は、汗と共にすっかり流れ落ちていた。
「勇太さん、お疲れ様ですっ」
そっと駆け寄ってきたキャルルが、懐から取り出した清潔な布で、勇太の額の汗を優しく拭う。太陽の匂いと、彼女の柔らかな温もりが鼻先をかすめた。
「……たまには、私たちに弱音を吐いても良いんですよ?」
キャルルが上目遣いで微笑む。
「そうよ。あなたはいつも、一人で全部背負いすぎだわ。私たちがいることを忘れないで。領主と家臣の前に、私たちは『仲間』なんだから」
リーシャも、ふわりと風に金糸の髪を揺らしながら、穏やかな声でそう付け加えた。
――そうだ。自分は一人じゃない。
共に剣を振るい、背中を預けられる仲間がいる。不器用に、しかし確実に支えてくれる仲間がいるのだ。
「……ありがとう、皆」
澄み切ったマルストアの青空の下。
勇太の心にかかっていた暗い靄は、仲間たちの温かさと真っ直ぐな言葉によって、すっきりと晴れ渡っていくのを感じていた。




