EP 21
領主執務室の重厚な扉がノックされ、おずおずと一人の獣人が姿を現した。
猫耳をぺたんと伏せ、やけに小さくなっているのは、ゴルド商会マルストア支店を任されている凄腕の商人・ニャングルである。
彼はなぜか滝のような冷や汗をかきながら、へりくだった態度で深々と頭を下げた。
「ゆ、勇太様。こ、この度は、いかなるご用件でっしゃろか……?」
(まさか……ついに無茶苦茶な税金の取り立てかいな!? いや、まだ納期の筈やない! でも、このお方は規格外やから何言い出すか分からんでぇ……!)
尻尾を股の間に挟まんばかりに怯え、内心の動揺を隠しきれないニャングル。その様子を見透かしたかのように、勇太は苦笑しながら手招きした。
「ああ、ニャングル。そんなに緊張しないでくれ。実は君に、どうしても『売ってもらいたい物』があるんだ」
「は、はぁ……」
(売る? ワテに? ……なんや、ただの新しい商品の営業かいな。あー、心臓に悪いわぁ)
ホッと胸をなでおろすニャングルの前に、勇太はすっと一本のガラス瓶を置いた。
それは、ドワーフの匠ドルグが作り上げた精巧な蒸留器から生み出された、記念すべき最初の傑作――芋焼酎『マルストアの夜明け』だった。
「これは……お酒、ですかな? ずいぶんと透明で、不純物が一切おまへんな。……ほう、こりゃまた、ええ香りや」
商人としての顔つきに戻ったニャングルは、差し出された小さな杯を受け取る。
まずはプロとして香りを確かめる。ふわりと鼻腔をくすぐる、果実のように芳醇で、どこか素朴な甘い香り。ニャングルの細い瞳孔が、わずかに見開かれた。
彼は恐る恐る、その透明な液体を舌に這わせるように口に含む。
そして、次の瞬間。
「こ、こ、こりゃあーーーーーッ!? 旨いッ!! な、なんやこれ!?」
ニャングルは椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、絶叫した。
ガツンと脳天を揺らす強烈なアルコールの衝撃。しかし決して暴力的なだけではなく、すぐ後から豊かな芋の甘みと香りが津波のように追い越していく。そして、嘘のようにキレの良い後味。
ニャングルの全身の毛が総毛立ち、商人としての直感が最大級の警鐘を鳴らした。
(これはアカン……とんでもない『お宝』や!!)
「勇太はん! これ、めちゃくちゃ売れまっせ! 間違いなく大ウケですわ! 帝都の貴族がこぞって飲む最高級のワインすら、これの前ではただの泥水に霞んで見えますわ! さっそく、ワテの持つ全ルートを使って大々的に売り出しまひょ!」
興奮のあまり猫耳をピンと立ててまくし立てるニャングル。だが、勇太はどこ吹く風といった様子で落ち着いてお茶を啜った。
「そう言ってくれて良かった。じゃあ、まずは初回ロットとして――50本ほどお願いするよ」
「……はい? ご、50本? ワテの耳、おかしくなりましたかな? 500本、いや5000本の間違いやのうて?」
ニャングルは、ぽかんと間抜けな顔で聞き返した。
「いや、50本でいい。それも、帝都の中でも特に客層のいい、選ばれた高級店にだけ、少しずつ卸してほしいんだ」
「な、何故ですのん!? こんなお宝、今すぐ大量に市場に流せば、アホみたいに儲かりますのに!」
全く理解できないと頭を抱えるニャングルに、勇太は悪戯っぽく笑いかけた。
「まあまあ、落ち着いて。最初はあえて小出しにして、『金を出してもなかなか飲めない幻の酒』っていう希少価値を高めるんだよ。そうしないと、『ブランド』の価値が上がらないからね」
(……と、昔読んだマーケティングの本に書いてあった気がする。まあ、まだ大量生産できる体制じゃないっていう裏事情もあるんだけどね)
「ぶ、ぶらんど……?」
初めて聞く単語に、ニャングルは首を傾げる。
だが、彼の商人としての経験と勘が、目の前の若き領主を信じろと激しく囁いていた。これまでも、この規格外の青年がもたらす「常識外れな発想」は、常に絶大な利益を生み出してきたのだから。
「わ、分かりましたがな……。勇太はんの言う『ぶらんど』が何なのかはサッパリですが、あなた様の言う通りにやってみまひょ。このニャングル、全財産賭けて乗らせていただきますわ!」
商人としての血が騒ぐのか、ニャングルの口角がニヤリと吊り上がる。
彼は、50本の『マルストアの夜明け』をまるで我が子のように大事に抱え、新たな商戦へと意気揚々と駆け出していくのだった。




