EP 8
領主の悩みと偏屈な賢者
マルストア城の領主執務室。
勇太はテーブルに広げられた色あせた地図と、未だ「赤字」が目立つ収支報告書を前に、本日何度目か数えきれないため息をついた。
「うーん……マギス・マグナムの量産体制も整えたいし、マンミヤさんの騎士団の防具も新調してあげたい。……でも、そのためには圧倒的に予算が足りない。ルンベルスさん、何か即効性のあるアイデア、ないかな?」
傍らで静かに書類を整理していたルンベルスは、困ったように眉根を寄せた。
「左様でございますな、勇太様。ご提案いただいたサツマイモや干鰯の事業は、まさに革命的な一手。ですが、それらが他領との交易で安定した黄金に変わるには、今しばらくの『時間』が必要でございます」
「やっぱりそうか。……地道にやるしかないのは分かってるんだけどさ」
勇太は顎を手に乗せ、ブツブツと思考を巡らせる。
「食はサツマイモと漁業改革で手を打った。衣食住の次は――やっぱり『住』、つまりインフラかな」
マルストアの街は歴史がある分、建物の老朽化が激しく、排水も街路に垂れ流しの状態だ。これでは疫病のリスクもあれば、物流の効率も悪い。
「ルンベルスさん。この街に、建築とか都市設計に詳しい、とびきり頭の良い人っていないかな?」
その問いに、ルンベルスの表情が目に見えて曇った。
「……居るには居ります。その、数百年を生き、帝国からも一目置かれる高名な『賢者』ではあるのですが……。少々、といいますか、かなり性格に難がございまして」
「贅沢は言ってられないよ。とにかく会わせてほしいな」
勇太の強い意志に押され、ルンベルスは諦めたように一礼し、重い足取りで部屋を後にした。
しばらくして連れてこられたのは、銀髪を無造作に後ろで束ねた、優美だがどこか「世捨て人」のような倦怠感を纏ったハイエルフの男性だった。彼こそが、マルストアの書庫に引きこもる変人賢者、ダボルグである。
「……何だい? こちとら、あんたが持ち込んだ不思議な肥料や、ドルグが騒いでいる新型魔砲の理論解析で忙しいんだよ。若造領主のごっこ遊びに付き合っている暇は――」
「これ! ダボルグ殿、勇太様に対してあまりに無礼ですぞ!」
ルンベルスが慌てて割って入るが、勇太は笑ってそれを制した。
「いいんだ、ルンベルスさん。……ダボルグさん、忙しいところごめんね。でも、君の知識が必要なんだ。僕はマルストアの『住』を――この街そのものを新しく作り変えたいと思ってる」
「街を作り変える? フン、石を積むだけの大工仕事なら、そこらのドワーフにでも頼むがいいさ」
ダボルグは鼻で笑い、踵を返そうとする。
その傲慢な背中に向けて、勇太は静かに『地球ショッピング』を発動した。
「大工仕事か……。じゃあ、これは君の目にどう映るかな?」
ポォン、と軽い音と共に、執務机の上に次々と分厚い書籍が出現した。
『図解・土木工学概論』『最新・城塞建築術と構造解析』『近代都市計画と上下水道の仕組み』『公衆衛生と都市設計思想』……。
「……何だと?」
ダボルグの足が止まった。
彼は吸い寄せられるように机へ歩み寄り、一冊の本――『土木工学概論』を震える手で手に取った。
ページをめくる。
そこには、ハイエルフの数千年の歴史にも存在しない、緻密な「等高線」と「応力計算」、そして魔法を使わずに万人の健康を守る「浄化槽」の概念図が描かれていた。
「この……この数値は何だ? 重力と摩擦の計算……? 魔法陣による補強なしで、これほどの巨大建造物を……? それに、地下に『もう一つの道』を作って汚水を流すだと……?」
ダボルグの瞳から倦怠感が消え、代わりに学者の狂気にも似た知的好奇心が爛々と燃え上がった。
「難しい理論は僕にも分からないんだ。でも、君のような天才なら、この地球……いや、僕の故郷の知識をこの世界の『理』と融合させて、最高の街を造れるんじゃないかと思ってね」
ダボルグは、もはや勇太の言葉すら半分も聞いていなかった。
彼は貪るようにページをめくり、時折、理解が追いついた瞬間に「ハッ!」と息を呑む。
「……フフ……フハハハハ! 素晴らしい! 魔法に頼り切った我々の建築思想が、いかに稚拙であったか! 勇太様、いや、閣下! これだ! これこそ我が求めていた知の地平だ!」
ダボルグは数冊の重い本を両脇に抱え込み、子供のような笑顔を見せた。
「任せておけ! この知見と私の魔導理論を組み合わせれば、帝都すら過去の遺物に見えるほどの『理想都市』を顕現させてみせよう! ルンベルス、すぐに設計室を開放しろ! 予算も人も、あるだけ寄越せ!」
彼はそう叫ぶなり、風のような速さで研究室へと駆け戻っていった。
残されたルンベルスは、あの気難しい偏屈賢者の変わり果てた姿に、呆気にとられて開いた口が塞がらない。
「……これで、街づくりも安泰かな」
勇太は、また一人頼もしい(そして、極めて手のかかりそうな)頭脳を手に入れたことを確信し、窓の外に広がるマルストアの古い街並みに、未来の光を重ねて微笑むのだった。




