昏き繭の中、その神は確かに「滅び」を呼んだ その8
アトラにとって今日は最悪の日だった。下等生物如きが魔術を振るってアトラを殺しにかかり、結果として蜘蛛の半身を失い瀕死まで追い込まれてしまった。断じてこのようなことなどあってはならない。アトラには睡眠、食事、繁殖の全てを捨ててでも叶えなくてはならない夢がある。この繭の塔にて永き時をかけて作り上げた糸の聖域をもって、アトラにとっての神を招来することだ。それを叶える前に下等生物の手で殺されるなど決して許されない。本来このような肉体の状況と未完成の聖域で招来をするべきではないが、ちょうど良い触媒がある。これを使えば成功はするだろう。アトラ自身も唱えるだけでココロがすり減りそうになる忌まわしき言葉を唱え、招来の準備を焦りながらも進め始めた。
「......へいへい」
「ムゥ...」
前のアンドレの頬を叩いた時と違って、今回はあまり多く叩かずに済んだことに喜びつつアザトースは彫像のように固まっていたアンドレを起こす。彼はアザトースの姿が目に入った瞬間ものすごい勢いで後退りした。魔術をアンドレの前で使った時と同じかそれ以上に悪い状況に少し頭が痛くなる。しかしそんな場合ではない。自分達の前で何らかの詠唱をしているアトラを指差し、状況を手短に伝える。
「......どうしよ」
「さっきみたいに何もなかったことにできねぇのか?」
「...むり」
アザトースが混沌そのものなのでアザトースを対象とした魔術は無効にできるが、アトラが目の前で行なっている代物はおそらく何かの召喚術だろう。何を呼び出すのにしても防ぐことはできない。そう魔術のことをぼかしながら伝えると、アンドレはなら殴るだけだと言ってハンマーを担ぎアトラの方へ向かおうとした。だがしかしアトラの体に刻まれていた文字列が浮き上がり、アトラを守るようにして褐色の障壁を生み出してアザトース達を阻んだ。アザトースが消し去ろうと触れてみても、消した側から新たな壁が作られてしまって完全にいたちごっこだった。それでも少しづつ障壁を破壊し進むアザトース達だったが、突然アザトースの足が止まる。
「おいどうした嬢ちゃん!」
「......やば」
「何がだ!」
「......くる」
アザトースの言葉とともにアトラの詠唱が止まり、天井の巣から降る紫色の光がこれまでにないほどに輝き、そして薄れると、アトラの亡き蜘蛛の半身からドス黒い泥水のようなものが流れ出す。その黒さは薄暗いこの空間の中でさえはっきりとわかるほどに黒かった。いや、これまで暗闇だと思っていたものは光に満ちたもので、呼び出されたその存在こそが真の意味での「闇」なのだろう。根源的恐怖の前にアンドレの顔が大きく引き攣り、アトラでさえその姿に慄いているようだった。しかし、アザトースだけは違った。なぜかは全く分からないが目の前に呼び出された存在に対して奇妙な親近感を覚える。まるで生き別れの兄弟にあったような...そこまで考えてアザトースはようやく気づき、そして呆れる。なんて愚かな存在なのだろうと。
アトラが呼び出した存在は「滅び」とだけ呼ばれる存在だった。その名は忌まわしく、口にすることすら許されない。呼び出されたその存在の絶えず沸騰と膨張を繰り返す様はアトラを以ってしても戦慄させる、混沌の核と呼ぶべき姿だった。おそらくこの存在を呼び出した自分はこの存在の手によって確実に葬られるだろう。しかしそれは死にかけのアトラにとってむしろ望むところだ。アトラに楯突いた愚かな下等生物が絶望の淵に沈みながら死んでいくのを見物し、そして自らが追い求めた神の力の奔流によって死んでいく。これほど素晴らしい幕引きがあるだろうか。招来に成功した満足感と昏い喜びの中、アトラは下等生物二人の恐怖と絶望に歪んだ顔を見てやろうと二人の方を向くと、ヒゲの方は慄き心の底から絶望しているような顔をしていたが、もう一人のガキの方は顔色ひとつ変えていない。それどころかアトラが呼び出した存在に何か話しかけている。
「......まかせた。わたし」
その一言と共にアトラは呼び出した存在である「滅び」...いや「アザトース」に飲み込まれ、理解の追いつかないままに混沌の水屑と化した。
『神がまた一柱地に臥した』
『...蜘蛛神の願いは確かに成され、崩れ去った』
『経験値が入りました』
『アイテムを取得しました』
けっちゃこ
追記 30000PVを超えました。ほんと読んでくれてありがとうございます




