3ー8 虜囚
カイアンの捕虜生活も、少しだけ自由度が上がっていた。
一人にされている間も後ろ手にされなくなったのだ。
彼が真っ先に調べてみたのは、両腕に付けられた腕輪だ。
肘から下の、手首までを覆う金属の筒のようなものと思っていた。しかし、ぐっとひねってみても、内側で腕を貫く何かがあって回らないことがわかった。
カイアンは人の姿をしているように見えるが、実際は形を模しているだけで完全に再現しているわけではない。切れば血のようなものが出るが、完全な血液ではないし、皮膚の下に硬い骨が通っているようだが、おそらく正確な人の骨格では無い。
おそらく王女は正しい人間の姿をしているのだろう。そして、手首には細い二本の骨が通っていて、この腕輪は簡単に取れないように止められているのだ。
両腕を切り捨ててまで逃げるかどうかという覚悟を試しているかのようだ。
カイアンなら、形だけの人である彼ならば可能であるかもしれない。
腕を切り捨てたとしても再び取り戻せるのでは?という仮説が立てられた。
だが、カイアンの中の人間の常識が、強硬に否定する。
その時慌ただしく扉が開いて、彼の思考は中断された。
すごい速さでエルダが部屋に入ってきて、古い方の食事の盆を取り上げ、部屋の外にいる灰色の髪の従者に押しつけるように渡した。
後から追いかけるようにしてリンドーラもやってきた。
「カイアン様、お食事を口にしてはいませんね?」
リンドーラが息を切らしながら尋ねると、カイアンは頷いて答えた。
「はい、水以外は何も。」
エルダとリンドーラは顔を見合わせてホッとため息をついた。
つい先程のことだった。
ここに連れてこられてから何日も食べていないカイアンの身を案じた王女が、エルダにどうしたら彼が食事をしてくれるだろうと相談したのだ。
エルダは冒険者であった過去から、敵の出すものなど食べられない気持ちは理解できた。
彼自身飢えで死ぬ選択肢もあるだろうと考えていたから、相談を受けて初めてリンドーラのために対策を考えた。
「姫様もご一緒にお食事を取るというのはどうでしょうか。安全だと分かれば食べるのでは無いですか?」
リンドーラはそれは素晴らしい考えだと喜び、二人は調理場にいつもの様にカイアンの食事を取りに行った。
「今日は姫様も召し上がるので、カトラリーをもう一組出してください。」
すると調理人は真っ青な顔をして料理を下げ、「作り直すのでお待ちください」と言った。
それで二人は、今までの食事に何か入っていたことを悟った。
リンドーラは息も整わないまま、涙目で謝罪を繰り返す。
「申し訳、申し訳ございません、こちらが滞在をお願いをする身でありながら、この様な失礼を…」
エルダも黙って跪いて頭を下げた。
彼女は完全に油断していた。彼が連れてこられた理由をわかっていたし、捕虜状態でなくなれば次期女王の配偶者となると聞かされていたからだ。
その相手にこの様な真似をするとは考えが及ばなかった。
そんな命令を出せるのは女王しかいない。
身内からのこんな騙し討ちは予想していなかった。
カイアンは「食べてないから気にしないで」と二人を慰める言葉をかけた。
しかし言えば言うほどリンドーラの目からは涙があふれ、「ごめんなさい、こんなつもりではなかった」と震えながら俯いている。
カイアンはオロオロし、王女は泣き続け、気まずい時間だけが流れていく。
少しして灰色の髪の従者が再び戻ってきて、料理に混ぜられていたのが思考力を低下させる麻薬物質だったとエルダに知らせた。
それは重罪を犯した犯罪者を、労働者として繋ぎとめる為に使う薬物だ。
調理場の人間が青ざめて引っ込めるのも無理はない。
怒りの表情のままエルダが立ち上がった。
壁に転移魔法陣が描かれた布を掛け、その中に入っていった。
しばらくして、ガチャガチャと鍋や食器を取り出して並べ始める。
東では一般的なシチューと、海の幸が豊富なサラダ、それと小さく丸めて作られたパンと、料理に合わせたお茶のセットが並べられた。
「姫様、お腹が空いていると中々元気になれないものです。お食事にしましょう。」
べそべそと涙ぐむリンドーラの手に、エルダはそっとスプーンを握らせる。
そしてカイアンの方に向かって言った。
「カイアン様、これは絶対に安全な食事です。姫様を助けると思って食べてください。」
「絶対に安全な?」
「母が私のために作った料理です。」
リンドーラはスプーンを持ったまま、目を涙で一杯にしてカイアンを見つめている。
カイアンがパンを小さくちぎり、シチューに浸けて一口食べた。
そして、いつもは無表情で時々困ったような顔で王女を見ていた彼が、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
「ああ、なんだか懐かしく感じるね。おいしい。」
リンドーラは彼が食事を口にしたことが嬉しくなって、彼の真似をして同じ様に食べた。
「こちらには無い味ですね、私はこれ好きです。」
やっとリンドーラが笑った。目を細めたときに、溜めていた涙が一筋零れた。
エルダは優しくそれを拭ってやり、二人が料理を楽しむのを見守っていた。
食事を終え、二人は戻っていった。
カイアンが一人残された部屋に、リンドーラの笑顔だけが残っていた。
ーーーーー
ティムトは王宮の外壁の警備に配属されていた。
七つある班は五人単位で構成され、割り振られた順番に見張りの交代や調査などに出ていく。
何もなければ詰所には大体四組ほどが待機していた。
相変わらず、暇さえあれば手合わせ手合わせと絡まれてはいたが、「これは人型の魔物を想定した訓練」と自分に言い聞かせてこなしていた。
詰所での待機中、暇つぶしはもっぱら噂話だ。
美しいと評判の女王と王女をどこで見たとかはかなりの自慢になる。彼女らは滅多に宮殿から出てこないからだ。
「聞くところによると東の国は王が一人で作り上げたらしい。」
「何だそれ、すごい有能なのか?それともすっごい暇なのか?」
同僚達がわははと笑う。
「いくら有能でも男に仕えたところで面白くも何ともないよなあ。」
「やっぱ名を上げていつかは女王様に御目通りできるって希望がないと。」
「うまく卵から王族が生まれりゃ一生宮殿暮らしだもんな。」
「そろそろ王女の番になるだろ?」
なるほど、この国ではそういうご褒美で動く者がいるのかとティムトは合点がいった。
美しい女王様の為に有能な側近が集まり、功を成せば女王と卵を作る権利が与えられる。
結果によっては女王の配偶者として王族の仲間入りをするのだ。
ウェルディアは有能な王の元に仕事を割り振られる官僚が集まり、功は滅多に成せず給料が上がっていくだけだ。
仕事もやり甲斐って大事だよね、と思って聞いていたらティムトに話が振られた。
「そういや新入りの若いのは東から来たんじゃなかったっけ?」
「そうですよ」
「やっぱり美女に仕える方がいいだろ?」
「そうですね」
今の職場に不満が無い彼らに、わざわざ問題提起してやる必要はない。
「あと噂だけど、東の塔に新しくもう一人姫君が幽閉されているらしい。」
「俺も聞いた、最近になってエルフの姫君が閉じ込められてるって言う話な。」
「王女様が世話をしていて誰も姿を見てはいないんだよな。」
「エルフかあ、綺麗なんだろうな。」
「姫は美人に決まってる。エルフなら尚更だろ。」
最近、東の塔、幽閉、王女が世話。
このキーワードはマルフィン達に知らせる必要がありそうだ。
ティムトの腰に下げた銅剣には小さなチャームが付いている。
小指の先ほどの貴石の結晶に見えるが、実は開いて中に小さな転移魔法陣の書かれた布がしまわれている。
ユージーンがメルティナにお土産として貰った物と同じで、ルゴーフのどこでも普通に手に入る人気のみやげ物だ。
使い慣れた武器に付いた小さな飾りの一部という事で、ここに持ち込むことができた。
もちろん魔法に反応する魔導器で調べられたが、これ自体は魔力を発していない。
その魔法陣に噂話の内容を書いた手紙を入れる。手紙と一緒にいくつかの小石も入れておく。
そうすると転送先に登録されたマルフィンの革袋でカラカラと鳴り、新たなメッセージが入ったことを知らせるのだ。
まだ噂話の域を出ないが、情報を得たことでティムトはようやくひと仕事を終えた気分になれた。
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一方マルフィンとユージーンの情報集めは難航していた。
ルゴーフの居住街区と宮殿は距離があり、王宮に勤める者は皆、宮殿内の使用人用の住宅に入居している。そのため町まで情報や噂が降りてこないのだ。
ユージーンはみやげ物売り場に並んだ女王と王女の肖像画に見とれていた。こんな美しい人達がいるのかと呆然と見ていた。
その上、龍の不思議な力を持っているとか、もう万能過ぎて笑うことも出来ない。
捗らない情報集めは退屈で、ユージーンの妄想だけが進む。
物語の主人公ってこう言う感じなんだろうな。
それで美しい姫はイケメンの王子様と恋に落ちるのだ。
ウェルディアには王子はいないからエルフの王子様かな。
…この世界のエルフは人間を奴隷扱いするんだっけ。ヒロイン売られちゃう。
あ、龍だからセーフか。
そして二人は幸せに暮らしました。
奴隷を売ったお金で。
あんまりな物語が出来てしまい、さすがのユージーンもこの物語は売れないと判断し、ボツにした。
妄想を破ったのはマルフィンの声だった。
「ユージーン、ティムトから連絡が来たわよ!」
宿屋に戻り、マルフィンがざっと手紙を読んでユージーンに見せる。
「東の塔にエルフの姫が幽閉されている噂あり。それを王女が世話をしている…って、これもう当たりなんじゃない?」
「閉じ込められたエルフのお姫様は実在しないの?」
「私がいた時には、人間に捕らえられたエルフはいなかったはずだけど、念のため確認は必要ね。」
土産物屋で売られている小さな王宮の模型を見ながら、東の塔を調べてみる。
塔と呼べる構造物はいくつもあって、どれを指しているのか分からない。
「見に行ってみましょうか。何か分かるかもしれない。」
王宮への観光馬車はルゴーフで最も人気の観光ツアーだ。
馬車と言っても早駆け竜と呼ばれる生き物が引く、速度も段違いに早い乗り物だ。
まず早駆け竜にエサやり、それから馬車に乗ってガイドの話を聞きながら王宮の外側を一周、砂漠で砂虫が顔を出したらラッキーで、町まで戻ってくるという半日コースの観光だ。
ユージーンが早駆け竜のエサやりで、大喜びではしゃいでいるのを見て、マルフィンはちょっとだけ安心した。
この破天荒な少女が、自分のお節介にようやく気がついてここ数日凹んでいたからだ。
マルフィンとユージーンはカイアンを取り戻したい理由が異なっている。
ユージーンは無理矢理連れ去られた者は、誰しも元いた所に帰りたいに違いないと思っている。今は少しその固定観念から脱却させられて悩んでいる。
マルフィンはカイアンに国王の護衛をして欲しい。シルヴィールの希望でもある。
王は本人が世襲制にはしないと言い切っていて王妃もなく、王位継承者も居ない。
彼だけが夢見る理想の国家を知る者は未だ彼一人で、ウェルディアはたった一本の柱で建てられた作りかけの国でしかないのだ。
その国王が、死やそれ以外の何かによってウェルディアを離れたらどうなるか。
国民全員への高等教育の普及や憲法の立案など、国王が示す道筋はマルフィンには全く理解できない。
けれど、少なくとも彼女はそれを見てみたいと思っている一人なのだった。
二人が乗った観光馬車は王宮の真裏で一旦止まり、ガイドによる龍の伝説を聞きながら、冷たいお茶が振舞われていた。
その時、裏手から見上げる舞台の上から白い龍が飛び上がるのがみえた。
「お客様ツイてますね!今飛んだのはリンドーラ王女の龍の姿です。あの方はこの様に月に何回か…」
ガイドが何か言っているが、ユージーンには雑音にしか聞こえない。
それよりも同じ舞台のふちから、白い龍を見上げている茶色い髪の男性に目が釘付けになっている。
「カイアン!」
きっとユージーンの声は聞こえてはいないだろう。あまりにも遠すぎる。
しかし、彼はチラチラと周りを見回すような動きを見せたが、すぐに声の出所を探すのはやめてしまった。
マルフィンが小さな手鏡を出したが、曇り空で思うように太陽の光を反射させられない。
後ろ姿の彼はこちらに気が付くことはなく、観光馬車はその場所から移動を始めた。
残りは何を見たのか覚えていない。砂虫も顔を出してラッキーと言われたような気がする。
宿に戻ってきて、ユージーンはガックリ落ち込みながらベッドに突っ伏した。
彼は声に気がついてもこちらを探そうとはしなかった。
やはりカイアンは王宮で楽しく過ごしているのだ。
ユージーンはルゴーフに来る前にシルヴィールと約束した。無理に連れ帰る事はせず、彼が望むならこの国で暮らすことを認めると。
彼は物語のようにこの国で美しい王女様と幸せに暮らすんだ。
ユージーンがわざわざ来ることはなかったのだ。
「マルフィン、カイアンはもう東には帰らないのかな。」
「まだはっきりそうと聞いたわけじゃ無いけど、それもありえるわね。」
ユージーンはすっかり気落ちして、来るんじゃなかったと考えながら、今日はもうさっさと眠ることにした。
ピチョン、と水が水に滴る音でユージーンは目を覚ました。どこかで水が漏れている音がする。
目を開けると、そこは見慣れた宿屋ではなく、石造りの部屋で猿轡をかまされて後ろ手に縛り上げられていた。
部屋の一方は鉄格子で塞がれており、その向こうを汚れた水が流れる水路が見える。
先日入れられたエルフの国の地下牢もこうではなかったか。
横にはマルフィンがまだ眠っている。周りには他に誰も見当たらない。
「むぐー!」と声を上げながら眠っているマルフィンの上に身を投げ出した。
マルフィンは「ごふっ」と息を吐き出して目を覚まし、ユージーンと目を見合わせた。
何が起こっているのか全くわからない。
マルフィンはいつも忍ばせている小刀を探したが、一つも見当たらない。ユージーンは何も無いことは分かり切っているので、猿轡を噛み切ろうとギリギリと噛みしめ始めた。
その時、鉄格子の向こうに黒い髪をきっちり結い上げた一人の女性が現れた。
「大声を出さないと約束してくだされば取ってあげますよ。」
何だかとても疲れているような様子でそう言った。
二人はこくこくと頷き、猿轡を外してもらった。
「ありがとうございます、ここはどこですか?」
「ルゴーフの王宮の地下牢です。あなた達、彼の教育係と騎士団の見習い仲間だそうですね。」
「なんで知って…」
「観光馬車から合図を送ろうとしたでしょう。追っ手がかかる事は想定していましたが、こんな子供とはね…」
女性はダルそうに二人を見下ろしてにぃっと笑った。
「あなた達の首と引き換えに、彼はこの国に止まるでしょう。感謝します。」
二人は最悪手をさしてしまったようだ。




