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名も無き龍が眠る地に  作者: 佐野ひかる
塔の上の竜
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3ー9 東の塔

食事の時間がきて、リンドーラとエルダがカイアンの部屋にやってきた。


王女が共に食事する事になったので、部屋にはもう一人毒味役の侍女が付いて来るようになった。

毒味が済み、侍女は部屋を出て行く。


しかし、今日のエルダは出て行く侍女を振り返りもしない。

いつもは王女の安全のために細かく目配りしている彼女が、今日に限ってダルそうな様子でカイアンをじっと見つめている。


「カイアン様、お話があります。」

「なんでしょうか。」

エルダが突然口を開いたが、リンドーラも知らない内容のようだ。

王女は瞬きをして彼女の言葉を待った。


「ユージーンとマルフィンという人間を捕らえてあります。カイアン様が東に帰らないと誓約して下されば、二人は生きて解放します。」

カイアンが固まった。


「エルダ!私はそんなこと一度も」

「姫様、女王陛下のお達しなのです。」

エルダは王女の言葉を遮り、見たことのない魔導器や書類のようなものを取り出しては並べていく。


「貴女は私の冒険者で、お母様の臣下では無いではないですか!」

「そうです、でも女王陛下のお力の方が強いのです。私は逆らえない。」

「私はエルダに力など使った事は無かったのに。」

「そうですね、公正な姫様。でもこのままではもうこの国は保たないのです。」

リンドーラの言葉を半笑いで受け流すエルダに、カイアンもただ事ではない空気を感じた。


なおも食い下がろうとするリンドーラに、エルダは面倒そうに睡眠の魔法をかけ、その体を受け止めた。

そして灰色の髪の従者を呼び出し、「姫様を部屋で休ませて差し上げて」とリンドーラを預けた。



預けようとした。


リンドーラの体の陰からエルダの鳩尾に一撃が加えられ、そんな攻撃を意図していなかった彼女は、驚きに目を瞬いてその場にくずおれた。


従者はリンドーラにかけられた睡眠魔法を解除し、まだ意識のハッキリしない王女の体をカイアンに預けた。


それからエルダの口に何か薬品のようなものを含ませ、口と鼻を塞ぐ。

エルダの体が衝撃に跳ね、激しくむせ込んだ。


彼女は少しの間苦しそうに咳き込んでいたが、やがて起き上がり涙目のまま周りを見回した。


「…ありがとう、シルサリス」

エルダには先程までのダルそうな様子は無くなっていた。


リンドーラも、エルダが激しく咳き込む声で正気を取り戻し、カイアンに抱きとめられているのに気がつくと、慌てて彼の体を押しやって俯きながら「お恥ずかしいところを」と小声で呟きながら離れた。


「シルサリス、二人の安全を確認して。」

エルダの指示に、シルサリスは無言でその場から立ち去った。


エルダはリンドーラに向き直り、跪いて頭を下げた。

「姫様、申し訳ございません。今、地下牢にはカイアン様のご友人が囚われており、女王様はそれを切り札として使おうとなさっています。」


ーーーーー


マルフィンとユージーンが入れられた地下牢に、兵士が二人やってきた。


ガチャガチャと鍵を外し、一人が扉の内側に入ってくると、すらりと剣を抜いて言った。

「女王様はお前達の首だけをお望みだ。」

鉄格子の外側にいる男もニヤニヤしながらこちらを見下ろしている。


「首から下は自由にして構わないそうだが、どっちもちっと色気が足りねえな。」

「俺はこれくらいで良い。小慣れすぎた女は可愛げがないからな。」


牢屋に入ってきた男がユージーンの腕を掴んだ。

「やっ…!」

マルフィンは俯いて何か小声でブツブツと呟いている。


男の動きは止まった。鼻から口から水が溢れ出してくる。

「ごぼっ」


当然息はできていない。あり得ない量の水が口から吐き出され、剣を取り落としてユージーンを掴んでいた手を離した。

男は二、三歩後ろに後ずさりながら顔の周りを払うような仕草をした後、胸をおさえてうずくまり、やがて動かなくなった。


外側でそれを見ていたもう一人の男が「何をした?ここでは魔法は封じられている筈だ」と言おうとしたのだろう。

完全に言い切る事はできず、背中に何者からかの打撃を喰らって、床に突っ伏した。


「これ殺して良いのかな?」

背中を押さえ込みながら、困ったようにティムトが言った。



「一人は案内に残しましょう。あなた、熟女趣味で命拾いしましたね。」

マルフィンは男が落とした剣を拾い、ユージーンを立たせた。


ユージーンは男が鼻から口から吐き出した水を浴びて、気持ちが悪いと涙目で訴えたが、それは二人に無視された。



三人と捕虜の兵士は東の塔に向かっていた。

女性二人は手に縄をかけてあるように見せかけ、ティムトがそれを引きながら捕虜に先を歩かせる。

捕虜の口の中には飲み込めない水が一杯になっており、声を出す事ができないでいる。


まず、ユージーンが尋ねた。

「ティムト兄様はどうして私たちがここにいるのがわかったのですか?」

「僕の配属は外壁警備で、人の出入りは常に知ることができた。で、若い女性が二人地下牢に運び込まれたと聞いて、嫌な予感がしたと思ったら大当たりさ。」


次にティムトが尋ねた。

「さっきの水はマルフィンの魔法だね?でも、地下牢は魔法が発動しない仕掛けがあると聞いていたが。」

「エルフの精霊魔法は仕組みが違うみたいね。普通に使えたわ。」


そう言えばマルフィンは元はエルフだったと言っていた。


エルフの精霊魔法とは召喚術に分類されるものだ。

冒険者の中でもエルフ又はその関係者しか使える者がおらず、当然人間ばかりの王国騎士団では使える者が居ない。

精霊魔法の存在については騎士寮でも学んだが、理屈がわかってもあれを防ぐことなど不可能に違いない。


ユージーンは目の前で人が溺死するのを見てちょっとトラウマだ。


ユージーンは髪を束ねるゴムに付けていたペンダントヘッドの魔法陣から、メルティナに貰ったブローチを取り出していた。

敵意のあるものが近づけば青く光るはずのそれを手の中に握り、ゆっくりと東の塔へと進んで行った。



塔に上がる階段の前に兵士が立っていたが、「女王の命令で捕虜を連行している。」とティムトが言うとすんなり通れた。

部屋の前にも見張りが立っていたが、同じ手で通過できた。捕虜を外に残して三人が中に入る。


部屋の中では、カイアンとリンドーラとエルダが何か話していたようだったが、入ってきた三人を見て固まった。


「私達はカイアンの意思を確認しにきただけです。そうしたら帰ります。」


マルフィンはエルダをじっと見ながら冷静に話した。

エルダは気まずそうに目を逸らしたが、マルフィンはまだ彼女を敵と認定している。

動けば即座に精霊が彼女に取り付くよう身構えている。


カイアンは状況が飲み込めていない。帰りたいと言って三人は大丈夫なのか。そうでないなら…。


ユージーンはカイアンに声をかけたかったがなかなか言葉が出てこない。

本当は「帰ろう」って言いたい。

でも、美しいお姫様と幸せになれるのなら、余計な真似はしたくない。


カイアンがすぐに返事をしないのはそう言う事だと思った。

彼女はにっこり笑って彼の背中を押してやる。


「カイアン、どっちを選んでも大丈夫ですよ。本当に、無理強いはしませんから。」


ユージーンの言葉にリンドーラは苦い気持ちになった。

私達は無理強いをしている。帰りたい彼を捕まえてハイというまで閉じ込め続けている。

恥ずかしくて涙が出そうだ。


エルダは俯いたまま、「カイアン様、どうか姫様のために…」と言いかけた。


その時ユージーンの手の中で青い光が瞬き始めた。

「敵が!誰かが近づいてきます!」


どやどやと大勢の兵士が階段を上がってくる音がする。この部屋に逃げ場はない。

扉から離れ、反対側に後ずさる。


何人もの兵士が入ってきて彼らに向かって槍を構え、先頭にいた一人が高圧的に話し始めた。


「脱走した者がこの部屋に逃げ込んだと報告がありました。王女殿下、お怪我はございませんか。」

「私達は大事な話をしている最中です。下がりなさい。」

「そういう訳には参りません。女王陛下の命令がございましたので。」


王女は皆をかばうように前に出たが、向けられた武器に怯んで後ずさりしてしまう。


ティムトは剣を抜きながら、この人数の槍を狭い部屋の中で受け流すのは無理だと悟った。


しかし諦めて妹が殺されるのを見ている気はない。

誰かが何か有効な手立てを講じてくれるまで、脳内で時間稼ぎを算段し始めた。


マルフィンは狭い場所で応戦するのに使える精霊魔法がない。

水は大勢を相手にするには量が足りないし、見えない相手は対象にできない。風は狭い部屋で吹き荒れたところでひどい目に合うのはこちらの方だ。


じりじりと後退し、部屋の奥で六人がひとかたまりになった時、ユージーンの手の中の青い光が金色に変わり、強く瞬いた。


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