眠れる博士
「片岡先生、脳波計の方はどうなっています?」N大電子光学科の講師、古川 準二の言葉に、N大附属病院の脳外科医、片岡医師は、脳波計を凝視した。
「んーっ、やはり滝沢さんの奥さんと時と違って、所謂、植物状態と言うやつだね。脳波が乱れて、α波とβ波が交互に入れ変わるように乱高下しているよ」片岡の言う事は、即ち、レム睡眠とノンレム睡眠を短時間の間に入れ変えている異常事態と言う事だ。そのまま行けば、脳に大きなダメージを受けてしまう。
レムとはRapid Eye Movement、急速眼球運動の事であり、レム睡眠の時は、眼球運動を活発に行い、浅い眠りで脳活動も行われる。即ち、夢を見ている状態の時である。
逆にノンレム睡眠は脳を休ませ、記憶を整理している状態なのである。
通常、この二つは、約三時間置きに行われ、脳を休ませながら、記憶を整理させる事が睡眠の重要事項に当たるのである。これが数秒置きに行われると言う事は、脳に与える衝撃は、計り知れないものがあるのだ。
「な…何とかしないと…先生!何か方法はないんですか?」古川は片岡に問い詰めるように言い寄った。
「恐らくはなんだけど、先輩は何かを探して夢の中を彷徨っているんだと思う。その何かが外界から刺激を与えれば、こっちの世界に戻る可能性もあるかも知れない。クソ!こんな時こそ先輩の知識が必要なのに…」片岡は苦虫を噛み潰した。
「片岡先生、ちょっと待って下さい。四人のデータに異変が…戻って来る?」古川の言うか言わないかの間に、滝沢ら四人の戦士達が、目を覚ました。
「先生、ありがとうございました。先生のお陰で、何とか迷宮を…ってアンタ誰?」滝沢は座っているはずの川上の席に、見覚えのない黒縁メガネの青年を見つけて、夢見心地から抜け出せない感覚を覚えた。
「は…始めまして、私は川上先生の教室で講師を務めてます、古川と申します」古川は起きた滝沢とは初対面とあって、丁寧に挨拶をして来た。
「こ…これはどうも。で?先生は?」滝沢の問いかけに、古川は別のベッドの方に目配せした。そこには、脳波計に繋がれたままでベッドに横たう川上の姿があった。
「先生?おい!先生に何があったんだ?」川上の異常事態に滝沢は思わず声を荒げてしまった。古川は滝沢を窘めるように話しをし、それを聞いた滝沢は落ち着きを取り戻すと共に、落胆の表情を浮かべた。
「そ…そんな、先生にそんな事があったなんて…」滝沢は膝を地面に付るように崩れ落ちた。
「こんなオッさんでもアタシらの役に立ってたんだよね」和倉が滝沢に同情するように言葉を発した、その時だった。
「あれ?光子さん?…じゃないですよね」今までやり取りを見ていた光子を知る片岡が聞いた。
「えっ?あぁ、何かオッさん…じゃなかった、川上さんの妹さんに似てるらしいっすね」和倉の言葉を聞き、片岡も合点が行ったようだった。と同時に、片岡の脳裏にある想いが浮かんだ。
「あの…失礼を承知で申します。あなたの声で、と言うよりあなたが光子さんに代わって先生にお声掛け下さいませんか?」片岡の唐突な進言に、流石の和倉も渋い顔をした。
「えーっ?アタシが?オッ…先生に?」
「頼みます。恐らく先生は不完全なプログラムを使った事で、現実と願望の境目を失ってしまい、ゲームの世界の中に、願望たる愛する光子さんを求めて彷徨っていらっしゃると思うんです」側で聞いていた滝沢も、今までの川上との付き合いの中、片岡の言っている事が良く理解出来た。
「和倉、オレからも頼む。これから最後の戦いに向かう上で、先生の存在はやはり欠かせない。それにな、下手をすれば我々が先生のような状態になっててもおかしくなかったんだぞ!言うなれば先生が我々の身代わりとなって、こんな状態に陥ってしまったんだ」嫌がる和倉も、尊敬する滝沢から頭を下げられては、無碍には出来ない。
「分かった!分かりましたよ。それで?アタシは何をすれば良いの?」半分やけくそ状態で、和倉は吐き捨てるように言った。
「そうですね…こう、気持ちを込めて "お兄ちゃん、起きて。私はここにいるよ" みたいな感じで先生の手を握りながら言ってもらえると、先生にも響くのではないかと…」正直、片岡からしても、こう言ったケースは初めてだった。植物状態の患者は今までにも診て来たが、今回の川上の場合、自身の作った不完全なプログラムにより、脳波計を介して、意識が彷徨っていると言う状態なのだ。その為、どうしても歯切れの悪い物言いになってしまう。
「何か良く分からない物言いだね。これで良いのかい?」そう言うと、和倉は川上の右手を、汚い物でも触るように握り、言われた通りの台詞を言った。
「いや、そんな言わされた感で言うんじゃなくって、もっと心を込めて」片岡も必死なのか、身振り手振りで話した。
「そんなね!ないものを込めろって言われても、どうすりゃ良いのさ?」打って変わって鳴き声を含ませた和倉の言葉に、小園が手を握り言った。
「瞳ちゃん、大丈夫!ボクがついてる。瞳ちゃんなら、きっと出来るよ。無理かも知れないけど、先生をボクだと思って言ってごらん?」小園の言葉を聞き、和倉の胸はいっぱいになった。
「誠さん…分かった、やってみる」和倉は瞳を潤ませ、再び川上の手を握り締めた。
「お願い、起きて。アタシ達にはアンタの力が必要なのよ」小園の心遣いが嬉しかったのか、和倉の瞳から、一粒の水滴が落ち、川上の頬に流れた。
「光子!兄ちゃんはここに居んで!」川上は突如として起き上がり、和倉に抱きついた。
「キモいんだよ!オッさん」和倉は川上の顔を押し付けて離しにかかった。
「奇跡だ!奇跡が起きたんだ」感涙の瞳で片岡が言った。
「何はともあれだな。さぁ、最終決戦に向けて話し合おう」何が起きたのか理解出来ていない川上が、しがみつく和倉と川上を除いて、一同は真剣な眼差しで滝沢の言葉を聞いていた。




