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探偵令嬢は殺人事件の夢を見るか  作者: 十二箇月遊
盗まれた王笏の謎
24/24

真相は秘かに

解決編です。

「では誰が贋物と本物の王笏を入れ替えたんです?」


ヘンリーは、物事には順序があるとでも言いたげに広げていた右の手の平を軽く上下させると、今度は逆の手で古今東西誰もがするふたつを示す指の形を作ってみせた。


「まずはドジソン卿に犯行が不可能だったことの証明から始めよう。彼にかけられている疑いは大きく二つだ」

「一つはもちろん、事件の瞬間に、王笏をすり変えたという疑いでしょうね」


エヴァからの的を得た合いの手に鷹揚に頷いて、彼はそのまま自分の考えを述べ続けた。


「そしてもう一つが硝子が割られ、皆が何事かと集まり王笏の無事を確認した後で、すり替えを行ったという疑いだよ」

「ですけど、叔父さん、それなら疑いはもう一つありえるんじゃないですか」

「もう一つ?」

「ええ、時間軸にすれば、後と最中があるんですから、ことが起こる前に、既に入れ替え終えていたという疑いもありうると思うんですが」


これだから頭が良すぎる奴というのは嫌なんだ。ヘンリーは顔をしかめそうになったが、こんなことに拘るということは、エヴァも彼のたどり着いた真相がまだ分かっていないのだと思い至ると、むしろ機嫌よく言葉を返した。


「確かに理屈としてはな。だが考えてみてくれ、誰にも気づかれずにすり替えに成功しているなら、わざわざこんな騒ぎを起こす必要性がないじゃないか。実際、事件があってすぐ王笏が贋物になっていたことが判明したんだ。仮に前もって王笏をすり変えた人間がいたするなら、事件の発覚はなるべく遅くしようとするはずだろ?」


自分の犯罪に誰も気づかないことに耐えられなくなってとか色々と例外はあると思いますけど。後ろで話を聞いていたサハルは犯人の特異な性格に起因した幾つもの可能性を頭の中で思い浮かべたが、もちろん口に出したりはしなかった。


大体においてヘンリーの言葉は正しいのだ。個々人はともかく、集団としての人間は異質なものを排除することにとてつもなく優れている。王立美術館の館長という役職は、ドジソン卿がそんな集団の検査に合格しうる破滅的な願望からは程遠い平均的な精神の持ち主であることを保障していた。であるならば、彼が前もって王笏をすり替えていた可能性はほとんど無に等しいのである。


「少し弱い気もしますが、まあいいでしょう。わたしもドジソン卿がそんなことをしたと思っていたわけではないですし。そうなると、叔父さんの話をそのまま信じるなら、ありえるのは事後のすり替えだけということになりますね。協力者が部屋の外からつぶてでも放るか、あるいは硝子の箱を用意したのは卿なわけですから、前もって箱に何らかの細工をした可能性も否定できないでしょう。箱を割れた後、混乱している現場ですり替えを行って、あたかも暗闇の中に盗人がいたように見せかけた、と言ったところですか。話を聞いた限りでは、ありえなくはないでしょうね」

「確かにな、わしも話としては面白いと思うさ。だが、実際には無理な話なんだよ」

「それはまた何故ですか?」


ヘンリーは顎の下の髭に手をやりながら、前もって慎重に考えてきた反論を口にした。


「単純な話だ。明かりが戻ってから、卿が王笏に触ったのは一度だけだ。そのとき、わしも隣にいた。あの大きさのものをすり替えたのなら、馬鹿でも気づくさ。更に加えるなら、王笏は事件があった後、次の日に鑑定が行われるまで一貫して警察が管理していたんだ。たとえ館長という立場であっても、すり替えを行なうのは物理的に不可能なんだよ。あと、協力者や硝子が割れる仕掛けも実際には不可能だろうな。硝子の箱を割れるほどの大きさのつぶてがあれば一目瞭然だろうし、たとえ箱に巧妙に切り込みの類を入れて一方からは見て分からなくしても、ものが透明だ、全方向から眺められてしまう以上、どうしたってボロは出るだろう」

「なるほど、それは確かにごもっともですね。ですが、それを信じるなら、今度は逆に叔父さんの証言が疑わしくなるのでは?話を聞いた限り、あの場に王笏のすり替えを行えた人間はいなさそうに思えましたが」


イスに深く座り直すと、ヘンリーは間を作るように改め室内の調度を見回した。暖炉の中で燃えていた薪が、度重なる火からの攻めについに破れ、形を崩し、火の粉を舞い上げながら、二つに割れる。その様子に、彼は何か象徴のようなものを感じずにはいられなかった。


「わしはそうは思わんよ。わしが言ったのは、あのとき部屋の中にいた誰も王笏を服の中に隠し持つのは不可能だったというだけのことだ。それさえ解決出来れば、あのとき起こったことの全ては解明できる」


ん?まあ、いいか。頭の奥の方が告げようとしてくる何かを意識的に抑圧して、エヴァはヘンリーの言葉に集中した。せっかく叔父が名推理を披露しようとしているのである、余計な考え事に浸るのは野暮というものであった。


「全ての物事に当てはまることだが、真実にたどり着くためには、まず起こった出来事をありのままに認識しなくてはならない。エヴァ、何か反論があるかね?」

「いえ、その通りだとは思いますよ」

「そうか、そうか。では、あの時、暗闇の中で、何が起こったか?答えは単純明快だ。硝子が割れたんだよ。ここまでは普通の頭がある人間なら誰だって認識できることだろう。だが、そこから人は往々にして、すぐに答えに飛びつきたがる。では誰が割ったのか、館長かそれとも別人か、そんなところだよ。だがね、それより前に重要な問いがあるんだ。サハル、分かるかね?」


どうやって?でしょうか。サハルは頭の中で答えを思い描いたが、もちろん、態度にそれを出すことはせずにただ首をかしげた。ヘンリーがエヴァに尋ねて答えを返されるのを嫌って、自分に話題を振ったのは明らかだったからだ。


「どうやって、だよ。仮に素手で硝子を割れば、手を負傷することは避けられない。だが明かりが戻った後、誰もそんな不自然な怪我を負っていなかった以上、犯人は何らかの道具を使って硝子を割ったはずだ」


エヴァは彼女にしては珍しいことに返す言葉に困っていた。正解への道は一つしかないが、間違いへの道は無数に存在している。もしかしたらヘンリーは彼なりの仕方で前者の道を歩み続けている可能性もまだ完全に否定できなかったが、もし後者の道だとすると、流石にその全てを網羅することは彼女の手にも余るのである。


そんな姪の困惑に起因する沈黙を勝手に解釈して、ヘンリーは重々しく頷いた。


「もちろん、エヴァ、お前の言わんとすることは分かるよ。部屋の警備のお粗末さを告げたのはわしの口だ。その舌の根が乾かぬ内に、部屋の中に持ち込まれた道具が重要だと言う。仮にわしが法廷で、そんな証人に出会ったなら、裁判長に即刻の退場を求めるだろうさ」


調子良く弁舌を打つ叔父の傍で、その姪と使用人はかなり残念な気持ちに襲われていた。言葉だけ取れば、ヘンリーは良いところに目をつけているはずなのだが、その自信満々の態度がおそらく彼が壮大に的外れなことを言い出すことを予感させずにはいられなかったからだ。


「しかし、考えてみてくれ。答えは最初から目の前に存在していたんだ。部屋が暗くなるのに前後して、部屋の中に忽然と現れたもの。エヴァ、それが何か分かるかね?」

「ヘンリー叔父さんの話の筋に従うなら、偽の王笏でしょうか」


自分で言うつもりだった正解を即答されて、ヘンリーはまごつきかけたが、すぐに調子を取り戻した。本当に大切なのは、その後なのである。


「うん、まあ、そうだ。だが重要なのは、その王笏が何処にあったかということだよ。わしの考えによれば犯人は、隠しもっていた偽の王笏で硝子の箱を割り、本物と贋物を入れ変えた後で、贋物を収めていた場所に、本物の王笏を隠したんだ」

「なるほど、確かに贋物の笏を収められるだけの空間があれば、本物だって収納できるのは道理ですからね。果たしてそんな場所が何処にあるのか、わたしには想像もつきませんが」

「何、想像がつかないのも無理はない。小さい頃から屋敷にこもっているお前には、そういった経験が不足しているからな。エヴァ、覚えておきなさい、人間の体というのは時に驚くべき力を発揮するものなんだ。


いいかい、犯人は、王笏を丸呑みにしていたんだよ」


エヴァの背後からくぐもった破裂音のようなものが響いた。ヘンリーは何の音だか分からず周りを見回していたが、彼女にはそれがサハルの口から出た音だと容易く理解できた。とはいえ、自分の使用人の不手際を責めるつもりにはなれなかった。自分も似たようなものだったからだ。


隠し通路くらいは覚悟していたが、まさか丸呑みとはね。エヴァは腹の奥から際限なくこみ上げてくる笑いの衝動と懸命に戦いながら、震えた口調で何とか反論を口にした。


「しかし、叔父さん、笏はそこそこの長さですよ。人間が飲み下すのは無理があるのでは?」


まさかこんな風に笑われると思っていなかったヘンリーは、それでも気を荒げたりせず紳士然としていたが、エヴァたちからしてみれば、それがまた面白くてならないのだった。


「お前は、曲芸団の類など見たことがないから、そんな風に思うんだろうな。世の中には、王笏なんかよりもっと幅広の剣を丸呑みしても、平然としていられる人間だっているんだ」

「確かに、わたしはその芸を見たことはありませんが、これだけは保障します。腸は極めて繊細な器官です。停止した状態で一時的ならともかく、飲み込んだまま動き回ったりすることはどんな剛の者でも不可能ですよ。どんな医者に聞いても、同じことを言うはずです。それとも、事が起こっている最中ほとんど微動だにしなかった人間でもいましたか?」

「いや、前はともかく後はみんなして動き回っていたが──」


まあ当然、王笏を警備をしていた二人のうちのどちらかが犯人だと思っていたわけだ。エヴァはこれ以上は叔父に醜態を見たくないというように手を振って、ヘンリーの言葉を途中で遮った。


「一つ質問ですが、叔父さんの考えでは、犯人は何故に王笏を返還したんですか?」

「それはもちろん、卿の自殺の知り、罪悪感に苛まれてだろうな」

「ご自分で言っていて、説得力があるとお思いで?」


ヘンリーは言葉に少しつまった。彼の中では、確かにそこが彼の推理の最も弱いところだったからだ。しかし、現に王笏は返ってきているのだ。そういうこともあるというのが、彼の結論であった。


「だがな、エヴァ。あの現場にいた人間として断言するが、展示室を暗闇が覆っていた時間はそう長くはなかった。王笏のすぐ近くにいた彼らをのぞいて、犯行に及ぶのは不可能なんだ。まさかお前は、警備に当たっていた警官個人ではなく、警察が組織的に王笏を盗んだとでも主張するつもりなのか?」

「そうですね、丸呑みよりは、まだそちらの方が目があるとは思いますよ。ただ、客観的に考えて、警察に王笏を盗む必然があるとはわたしには思えませんね」

「それじゃあ、犯人はあの場からどうやって王笏を盗んだというんだ?」

「どうやってですか。さっき、ヘンリー叔父さんは誰がやったかを問う前に、そちらを問うのが大切だと言いましたね。確かに、それも一理あります。ですが、今回の場合、事件そのものすら考慮せずに、誰がだけを問い続けても答えにたどり着くようには思いますね」

「どういうことだ?」

「単純な話ですよ。そこら辺の宝石を盗んで捕まれば懲役刑ですが、王笏を盗んで捕まれば死刑になる。これってあまりにも馬鹿げた話でしょう?もちろん、金のために死刑になる危険をおかす人間は昔からごまんといますが、たかだか笏を盗んで首を刎ねられるのは、いかにも割に合わない。ですから、この犯罪を犯す人間には二通りしかいません。一つは、狂人──」


ヘンリーの葡萄酒を入れていた器が、中身を入れたまま床に落ちて、砕けて、音を奏でた。彼の意図を汲んで、エヴァはそれ以上の具体的な言及を舌に乗せなかった。不敬罪は王族の尊厳を守るための法律である。では王族が王族の尊厳を汚した場合はどうなるのか。自分を体を傷つけた人間を傷害罪には問わない。それがこの”神学論争”の答えだった。


「──最初から、最初からか」

「ええ、少なくとも、王城の宝物庫から何年ぶりかに出された時点では、既にそうだったと考えるべきでしょうね。叔父さんの証言を信じる限り、あの場ですり替えを行った人間はいない。なら、結論は簡単です。すり替えなど行われなかった。それだけの話ですよ」

「だが、硝子は確かに割れていたんだぞ。それはどう説明する?」

「おそらく、ドジソン館長が割ったんじゃないですか。話を聞く限り、飛び道具の類を使えば、誰でも割れそうな状況に思えますが、全体的にみれば、卿に一番動機がありそうですし」


ヘンリーは折れそうになる気力を奮い立たせて、何とか反論を形作った。彼の説のためではなく、自ら命を断った友人の名誉のために。


「エヴァ、わしはつぶての類は見つからなかったと、そう言ったはずだが」

「もちろん、何らかの仕掛けで箱を砕いた可能性もあります。ですけど、おそらく、叔父さんには硝子を割ったものの正体が、見えなかっただけでしょう。何せ、職人に特注させるほどの熱の入れようだったそうですから」


部屋にいた三人の瞳が一瞬同じものを視界に納めた。床に落ちてる器の欠片を。


「硝子製のつぶてというわけか」

「正確には、卿が持っていた手帳と同じくらいの大きさの硝子の板だと思いますね。厚さは箱に使われているものと同じでしょう。それなら混ざった後、まったく見分けがつかなくなりますし」

「だが、目的はなんだ?王笏に問題があるなら最初から展示を取りやめれば済む話じゃないか」

「それでは駄目なんですよ。これは完全に推測に過ぎないんですが、ドジソン卿は本物の王笏の所有者から脅迫を受けていたはずですから」

「脅迫だと」

「ええ、そうでなければ、全ての説明がつきません。いいですか、今回の一連の出来事におけるドジソン卿の目的は、王立美術館の存亡に関わりかねない前館長の醜聞そのものを上書きすることだったんです」


その言葉で、ヘンリーにもやっと今回の事件の枠組みがやっと了解された。皆がベネディクト・ドジソンが王笏をめぐる一連の騒動の首謀者だと考えている限り、脅迫者が所持している王笏はその潜在的な価値を失うのだ。たとえ、その人間が真実を主張したところで、誰もそれを相手にする者はいないだろう。

何せ、この国においては死者になってなお尊き血の持ち主は法に守られる定めなのだ。だから、王笏は戻ってきたのだ。小賢しい犯罪者は、価値を失った笏をばら売りして足がつく危険性より、追跡の手を緩めるために、そのまま返す安全策を選んだ。


疲労と清々しさが混ざり合うような奇妙な感覚に苛まれながら、ヘンリーは最後の気力を振り絞った。


「わしが彼に呼ばれたのは何故だ?」


エヴァは微笑んだ。彼女してはとても珍しいことに、意識してではなく自然に。


「そりゃもちろん警察への証人になってもらうためでしょう。ドジソン卿は限りなく黒に近い灰色でなくてはいけないんです。そのためには信頼できる証人がかかせませんからね」



「”知らせ”が届いたということなのかな?」


ヘンリーが帰った後、しばらく屋敷の中を縦横無尽に歩き回り、使用人たちに事細かな指示を出していたエヴァが、サハルにそんな風に尋ねたのは、夜も大分回った時間だった。


サハルはそれが質問の形をした別の何かであることを重々承知で、四角四面な答えを返した。時には鈍感であることまた、優れた使用人の条件なのだ。


「ヘンリー様が、たまたま事件を特等席で見る可能性も、もちろん無いというわけではありませんが」

「いや、この時期にそうなるってことは、そうなんだろうさ。しかし、ウィル兄さまはあれで派手好きだから、10や20は殺すのかと思ってたんだけど、盗みとはね。海外暮らしで趣味が地味になったのかな」


そうは言いつつも、エヴァは昨日までの放念が嘘であったかのように、活力に満ち溢れて実に楽しげであった。


「エヴァンジェリン様、ドジソン館長は本当に自ら命を断ったと思われますか?」

「間違いなくね」


予想に反した言葉に、サハルは慌てて先ほど聞いた証言を頭の中で思い返した。彼女は今日、エヴァが披露した推理は、本質的に、ドジソンの死を誇り高きものすることで、ヘンリーは納得して、それ以上、この事件に関わらせないことを主たる目的にした戯れ言の一種だと考えていた。


というより、あの臆断だらけの証言から本当に起こったことを汲み取るなど、神でもなければ出来ない御業としか思えない。それなのに、彼女の主人はあの証言の中に、まるで疑うべくもない真理が存在しているといった口調なのだ。


「サハル、人を殺すのと、人に自殺を選ばせるの、どっちが難しいと思う?」

「それは、自殺させる方だと思いますが」

「ウィル兄様はね、こういうとき、絶対に難しい方を選ぶんだよ」


恋する乙女そのものといった彼女の風情を見れば、かの戯れ歌の作者は己を恥じたことだろう。その薔薇色の唇で、彼について語るエヴァの姿は、歌の描写では決しておいつかないほどに不吉なものであったのだから。



色々と反省はある回なのですが、書いても言い訳なので、次にいかしたいと思います。悪いのはヘンリー叔父さんじゃなくて、作者なのでした。


次は普通に人が死ぬ話になる予定。

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