第五十九話 死してなお前へ
義弘、逝去の翌朝。
義誠は、涙を拭い去った顔で、忠恒、そして諸将の前に立っていた。
「義弘公の御遺骸は、丁重にお守りいたしましょう。その上で、義弘公が最期に身に着けておられた甲冑と旗印を、本陣の最も高き所に掲げまする」
義誠の言葉に、忠恒は、僅かに眉を寄せた。
「有村殿。義弘公を、そのように戦の道具のごとく扱うと申すか」
「道具とは思うておりませぬ」
義誠は、静かに答えた。
「ですが、義弘公の最期は、すでに、この戦の大きな力になりつつあります。ならば、その覚悟を、余すことなく皆に示すべきにございます」
義誠の声には、これまでにない、冷たい響きが宿っていた。
義弘公。お許しください。
あなたの死を、これから私は、戦の力として使います。
それが、あなたの死を、真に無駄にせぬための、今の私にできることなのです。
義誠は、義弘の最期の采配を、あらゆる手立てを使い、味方の陣へと広めさせた。
「島津義弘公、自ら死地へ赴き、敵の兵糧を焼き払われた」
「あの義弘公が、老いた身を顧みず、最後まで島津のために戦われた」
報せは、離反を考えていた家々の心を、再び引き締めた。
これまで戦況を見ながら去就を決めかねていた者たちにとって、義弘の最期は、島津がなお戦い続ける覚悟を示すものとなった。
やがて、その報せは徳川方の陣にも伝わっていった。
「あの義弘公が、最後まで戦場に立ったというのか」
「島津は、まだ戦うつもりらしい」
敵陣にまで広がったのは、恐れというよりも、警戒だった。
老いてなお死地へ赴いた武将の最期は、徳川方にとっても、島津という敵を改めて意識させるには十分なものだった。
義誠は、その報せを聞きながら、静かに目を細めた。
恐れは、時に、刃よりも強い。
義弘公が最後に遺してくれたのは、兵糧を焼いた炎だけではない。
島津は、まだ折れていない。
その意志そのものが、今、この戦場に残されている。
淀の渡しの兵糧を失った徳川方では、補給に綻びが生じ始めていた。
それでも、徳川方の大軍そのものが崩れたわけではない。
義誠は、その事実を、誰よりも冷静に見ていた。
「今こそ、攻めるべき時にございます」
義誠は、忠恒、そして毛利をはじめとする諸将の前で、これまでで最も大胆な策を示した。
「徳川方の補給に綻びが生じ、陣中にも動揺が見え始めておりまする。ここで間を与えれば、敵は必ず立て直す。ゆえに、三方より一斉に攻めかかりまする」
義誠は、絵図の上に指を置いた。
「正面は、忠恒様が。左翼は、毛利勢が。そして右翼は、私が率いまする」
「有村殿、自らが先陣を」
「はい」
義誠は、静かに頷いた。
「義弘公が、その命をもって示された覚悟に、私もまた、応えねばなりませぬ」
義誠の声には、これまでの冷徹な計算高さとは違う、静かな熱が宿っていた。
夜明けとともに、連合軍は三方から、一斉に徳川方の陣へ攻めかかった。
兵糧の不足によって補給に不安を抱えた徳川方は、これまでのような勢いを保てず、各所で陣形が乱れ始めていた。
義誠が率いる右翼は、その隙を逃さなかった。
「押せ! だが、必要な相手にのみ、刃を向けよ!」
兵たちが、一斉に敵陣へと雪崩れ込む。
「降る者は、生かせ。抗う者にのみ、刃を向けよ!」
義誠は、乱戦の最中でも、その一線を決して崩さなかった。
だが、抗う者、指揮を執ろうとする将には、容赦なく刃を向ける。
「これが……あの飯野の悪鬼か」
敵兵の一人が、義誠の姿を見て呟いた。
義誠は、それに何も答えなかった。
ただ、目の前の戦いに、意識のすべてを注いでいた。
義弘公。
あなたが切り開いてくれた道を、私が必ず、最後まで歩き切ります。
半日に及ぶ激戦の末、徳川方の一角が、ついに大きく崩れ始めた。
旗本の一部が後退し、それに釣られるように、周辺の譜代大名の陣にも、動揺が広がっていく。
「秀忠公の本陣、後退の構えを見せておりまする!」
その報せに、義誠は、静かに目を閉じた。
ついに、天秤が傾き始めた。
これまで積み上げてきた幾十年にも及ぶ布石。
毛利との繋がり。
琉球から得た財。
そして、義弘の最後の犠牲。
それらすべてが、一つの大きな流れとなって、ようやく動き始めていた。
義誠は、戦場の向こうに掲げられた義弘の旗を見つめた。
炎は、まだ消えていない。
ならば、この炎を、天下を動かすほどの火へと育てる。
それが、義弘から託された、最後の役目だった。
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あとがき
義弘公の死を、義誠があえて冷徹に、戦略として用いる回を描きました。
最期の采配によって生まれた士気を、味方の結束へと繋げ、さらに徳川方への心理的な圧力として利用する。悲しみに沈むだけではなく、その死を「戦う力」へと変えるところに、これまでの義誠らしさを込めています。
一方で、義弘公の死を単なる道具として扱うのではなく、義誠自身も、その重さを背負い続けていることを意識しました。
そして、乱戦の中でも「降る者は生かす」という義誠の一線は、今回も変えていません。
冷徹に勝利を求めながらも、決して越えない線を持つ。
その両方が、長い年月をかけて形作られてきた義誠という男の在り方だと思っています。
次話では、義弘公から託されたものを胸に、いよいよ戦の決着へと向かっていきます。
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