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島津悪鬼録 ~敵味方に恐れられた男、島津に天下を獲らせる~  作者: 春野ケイ
関ヶ原改変

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第五十四話 旗を掲げる

家康死去から、二月ほどが過ぎた。


義誠は、この短い間に、これまで張り巡らせてきた、すべての糸を、一斉に手繰り寄せる作業に取りかかっていた。


「毛利へは、すでに、正式な使者を送りましてございます。萩の返答も、間もなく届きましょう」


義誠の報告に、忠恒は、静かに頷いた。


「他の家々への繋ぎは、いかに」


「上杉、佐竹をはじめ、関ヶ原で領地を大きく削られた家々にも、密かに、繋ぎをつけておりまする。すべてが、我らに与するとは限りませぬ。ですが、少なくとも、徳川に全面的には与せぬ家を、いくつか作ることはできましょう」


義誠は、この決起にあたり、一つの旗印を、用意していた。


「そして、もう一つ。秀頼公の御血筋と伝えられる御方を、薩摩の山中より、密かにお迎えいたしました」


義誠の言葉に、忠恒は、僅かに息を呑んだ。


「まことに、御存命であったか」


「本人については、私自身の目でも確かめておりまする。ですが、世に向けて、それを証するものはございませぬ」


義誠は、静かに続けた。


「だからこそ、今は断定いたしませぬ。真実であろうとなかろうと、豊臣の血を引く御方を、島津が密かに守ってきたという事実だけで、徳川の天下に含むところのある者たちを、束ねる大義となり得まする」


忠恒は、しばし黙り込んだ。


「危うい札だな」


「はい。だからこそ、最後まで、切る時を選ばねばなりませぬ」


義誠は、静かに、言葉を継いだ。


「これは、私利のための挙兵ではない。豊臣家の無念を晴らし、乱世の理不尽を正すための戦——そう、掲げまする」


誉れではなく、結果を。


だが、此度ばかりは、誉れという旗もまた、必要になる。


萩からの返答は、義誠が思うより早く届いた。


「毛利、島津の動きに、内々に協力する意を示したとの由にございます」


朝の報せに、義誠は、深く息をついた。


正月の問答で、幾度も「まだ早い」と答え続けてきた萩の家中が、ついに「今だ」と、動き始めたか。


毛利に続き、上杉、佐竹をはじめ、幾つかの外様大名家からも、密かな内諾が届き始めた。


だが、誰もが、すぐさま兵を挙げるわけではない。


家を守るために、最後の瞬間まで、徳川方に従う姿勢を崩さぬ者もいるだろう。


それでも、義誠が求めていたのは、島津が動いた時、幕府に完全には与しない家を、できるだけ多く作ることだった。


一気に、天下をひっくり返す必要はない。


ただ、天秤が、僅かでもこちらに傾けば、それでいい。


義弘は、この頃、老いた体に鞭打ちながらも、自ら戦の行方を見届ける構えを見せていた。


「木崎原から、耳川、沖田畷、そして関ヶ原……儂も、もう一度だけ、大きな戦を、この目で見届けたい」


義弘の言葉に、義誠は、深く頭を下げた。


「義弘公には、どうか、後方にて、皆の心の支えとなっていただきたく存じます。此度の戦、力比べだけでは決まりませぬ。いかに多くの者の心を、こちらへ向けさせるかの戦にございます」


「お主のやり方に、任せる。だが、儂も、まだ枯れてはおらぬぞ」


義誠は、その言葉に、僅かに笑みを浮かべた。


木崎原の頃から、幾度となく戦場を駆け抜けてきた男だ。


老いたとはいえ、その眼差しから、戦の炎が消えることはなかった。


義誠は、この決起にあたり、一つだけ、自らに、固く誓っていたことがあった。


無用な殺しはせぬ。


これまで積み上げてきた信条を、この最後の戦いでも、決して曲げぬ。


たとえ天下を賭けた戦であっても、勝つためだけに、手段を選ばぬようなことは、義誠のやり方ではなかった。


降る者は生かし、抗う者にのみ、刃を向ける。


それは、木崎原の谷で、初めて策を口にした、あの日から、変わらぬ一線だった。


薩摩の空の下、島津の旗が、これまでとは違う意味を持って、静かに掲げられようとしていた。


九州の悪鬼と呼ばれた男が、いよいよ、日ノ本の天下を巡る大きな賭けに、その身を投じようとしている。


義誠は、遠く、上方の空を見やった。


長い雌伏の果てに、ついに、動き出す時が来たのだった。


だが、まだ、戦は始まっていない。


ここから先、誰が味方となり、誰が敵となるのか。


そして、豊臣の名を掲げた時、天下が、どのように動くのか。


そのすべては、これから決まる。


────────────────────


あとがき


決起に向けた、具体的な準備の回を描きました。


豊臣秀頼公の血筋と伝えられる御方を、ついに義誠が「切り札」として手元に置く形にしています。ただし、この時点では世に向けて、その身元を断定することは避けています。


毛利をはじめとする外様大名たちへの働きかけも、すぐに全軍が島津へ味方するのではなく、「徳川に全面的には与しない」という段階に留めました。


義誠が求めているのは、圧倒的な軍勢ではありません。


徳川と島津の力関係を、一気に覆すのではなく、少しずつ天秤を傾けること。


それこそが、これまで長い年月をかけて布石を積み上げてきた義誠の戦い方です。


次話から、いよいよ島津の動きが、天下そのものを揺るがす段階へ入っていきます。


感想、レビューお待ちしております。

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