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島津悪鬼録 ~敵味方に恐れられた男、島津に天下を獲らせる~  作者: 春野ケイ
関ヶ原改変

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第五十三話 賽は投げられた

元和二年四月、徳川家康が、駿府城にて没した。


その報せは、これまでのどの報せよりも速く、坊津の交易網を通じて、義誠の元へと届けられた。


「家康公が……」


義誠は、しばし、その報せを、噛み締めるように受け止めた。


ついに、この時が来た。


前世の記憶にある通り、家康の死は、大坂の陣から、僅か一年後のことだった。

徳川の天下そのものは、なお盤石に見える。だが、これまで、その天下を支えてきた家康という存在を失ったことの意味は、決して小さくない。


義誠は、すぐさま、忠恒、そして、隠居してなお矍鑠としている義弘の元へ、参じた。


「義弘公、忠恒様。此度の一件、これまで、私が申し上げてきた『その時』が、ついに訪れましてございます」


義弘は、すでに八十を超える老齢であったが、その目には、若い頃と変わらぬ、鋭い光が宿っていた。


「義誠、お主の描いてきた絵図、いよいよ、動かす時か」


「はい。ですが、これより先は、これまでの、いかなる戦よりも、大きな賭けとなりましょう。しくじれば、島津は、間違いなく、根絶やしにされまする」


義誠は、深く頭を下げた後、これまで、四十年以上にわたって温めてきた絵図を、忠恒、義弘の前に、初めて、余すことなく語り始めた。


「琉球との交易によって得た財は、この数年、着実に積み上がっておりまする。これを、軍資金として用いまする」


「毛利をはじめ、関ヶ原以来、徳川の世に含むところのある家々には、すでに、幾つもの糸を通しております。此度、正式に、共に立つよう、使いを送りましょう」


「そして、豊臣秀頼公。かの御方が、まことに生き延びておられるのであれば……その血筋こそが、徳川の天下に不満を持つ、多くの者たちを、束ねる旗印になりましょう」


忠恒は、義誠の言葉を、食い入るように聞いていた。


「有村殿。それほどの絵図を、これまで、一人で描いてきたと申すか」


「一人ではございませぬ。義弘公、そして、忠恒様の信頼があってこそ、ここまで積み上げることができました」


義誠は、静かに、しかし、これまでにない熱を込めて、続けた。


「木崎原の谷で、初めて策を口にした日から、四十四年。九州統一の夢は、一度、潰えました。ですが、私は、あの日から、ずっと、この日のために、歩んで参りました」


「勝算は、あるのか」


義弘の問いに、義誠は、しばし、目を閉じた。


正直に言えば、確かな勝算など、どこにもない。


徳川は、なお天下随一の力を持っている。大名たちの多くも、徳川の世に従っている。


だが。


「正面から、徳川の天下を、力ずくで覆すことは、叶いますまい。ですが、家康公という重しを失ったことで、これまで一つにまとまっていた徳川の内にも、いずれ綻びが生じるやもしれませぬ」


義誠は、静かに続けた。


「外様大名たちの不満、豊臣の名、そして、島津がこれまで蓄えてきた財と人脈。これらが、うまく噛み合えば、多くの大名が徳川から離れ、島津を中心とした新たな枠組みへと動く可能性がございます」


「多くの大名が、動けば……」


「徳川が、これ以上の内乱を続けるより、島津を中心とした体制を認める方が、損が少ないと悟る状況を作るのです」


義誠は、義弘をまっすぐに見据えた。


「徳川を、力で滅ぼす必要はございませぬ。徳川自身に、島津を認めさせる。それこそが、私の描く勝ち筋にございます」


義弘は、長い沈黙の後、静かに頷いた。


「良かろう。儂も、この歳になって、もう一度、大きな賭けに出るとは、思わなんだが……面白い」


忠恒もまた、深く頷いた。


「有村殿、これより先、島津の命運を、お主に預ける」


その夜、義誠は、坊津の朝の元へ帰り、これまでの、そしてこれからの絵図を、静かに語った。


「私が、島津に天下を獲らせる。それが、私が、この生涯をかけて、成し遂げたいことだ」


朝は、その言葉に、驚くことはなかった。

ただ、静かに、義誠の手を、そっと握った。


「木崎原から、四十四年。お待たせいたしました、とだけ、申し上げましょう」


義誠は、その言葉に、これまでにない、静かな覚悟を、胸に刻んだ。


賽は、投げられた。


前世の記憶にある歴史が、ここから先、大きく道を違えていく。


義誠自身の手で、その道を、切り開いていく時が、ついに来た。

 


あとがき


家康の死という、史実上の大きな節目を迎え、これまで四十年以上にわたって雌伏してきた義誠が、ついに、自らの絵図を表に出す決断をした回です。


これまで積み上げてきた琉球との交易、毛利との繋がり、坊津の情報網、そして関ヶ原以来の雌伏。


それらを一つの力として結び合わせ、徳川を正面から滅ぼすのではなく、徳川自身に島津の存在を認めさせる。


それが、義誠の考える「天下を獲る」という道です。


もちろん、現時点で確かな勝算があるわけではありません。


徳川は依然として強大であり、この先、一つ判断を誤れば、島津そのものが滅びる可能性もあります。


それでも、義誠は、ついに動くことを決めました。


長きにわたった雌伏の時を終え、ここから物語は、新たな段階へと入ります。


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