第五十一話 埋められた堀
慶長十九年十月。
徳川家康は、二十万に及ぶ大軍を率い、大坂城を包囲した。
島津は、これに先立ち、幕府からの出兵要請に対し、国元の飢饉と、支度の遅れを理由に、時を稼ぎ続けていた。忠恒は病と称して国元に留まり、義誠もまた、鹿児島から、遠く大坂の戦況を、坊津の交易網を通じて、逐一探らせていた。
「大坂城、なかなか落ちませぬな」
蔵人が、届いた報せに、そう漏らした。
義誠は、絵図を見つめながら、静かに頷いた。
「大坂城は、秀吉公が、天下随一の堅城として築かれた城。そう容易く、力攻めで落とせるものではない」
真田信繁が築いた出丸、真田丸において、徳川方が大きな損害を出したという報せも届いていた。
史実の通りだ。
この冬の陣、力攻めだけでは、決着はつかぬ。
「有村様。徳川方が、和議を持ちかけておるとの由にございます」
朝からの報せに、義誠は、僅かに眉を寄せた。
「和議の条件は」
「大坂城の堀を埋め、城郭の一部を破却すること。それと引き換えに、豊臣家の存続と、浪人衆への咎めなしを約すると」
義誠は、その条件に、静かに、苦い笑みを浮かべた。
外堀を埋めさせる。
それこそが、家康公の、本当の狙いなのではないか。
「これは、和議ではない。次の戦への、下拵えにございましょう」
義誠は、忠恒の前で、そう断じた。
「大坂城の強みは、その堅固な堀にある。堀さえ失えば、この城の守りは、大きく削がれまする。家康公は、この和議を利用して、豊臣を、戦う力のない状態へ追い込むおつもりかと」
忠恒は、しばし黙り込んだ。
「豊臣方は、それに気づかぬのか」
「気づいておる者もおりましょう。ですが、和睦を望む者も多い。戦を終わらせるために、多少の条件を呑むことは、やむを得ぬと考えているのでしょう」
義誠は、遠く、大坂の方角を見やった。
史実の通りなら、この和議の後、豊臣方は、城の防御力を大きく失ったまま、再びの戦を強いられることになる。
和議は、その年の暮れに成立した。
だが、その後の顛末は、義誠が恐れていた通りだった。
「徳川方、外堀のみならず、内堀まで埋め立てを進めておるとの由」
蔵人の報せに、義誠は、静かに頷いた。
「約定を違えた、と豊臣方は憤っておりましょうな」
「はい。ですが、もはや取り返しはつきますまい」
義誠は、この報せを、忠恒に伝えながら、これまでで最も重い言葉を、続けて口にした。
「豊臣家は、これで、滅びへ向かうことになりましょう。堀を失った大坂城は、もはや、冬の陣の頃ほどの堅城ではございませぬ。夏には、再び、決着の戦が起こりましょう」
「島津は、動かぬのか」
忠恒の問いに、義誠は、深く頭を下げた。
「今しばらくは。冬の陣で、両者はまだ、それほど深く疲弊してはおりませぬ。真に、島津が動くべき時は、豊臣が滅び、そして、徳川方もまた、勝利の代償を抱えるようになった、その先にございます」
義誠は、この年の暮れ、坊津の屋敷で、朝と静かに酒を酌み交わしていた。
「豊臣家は、滅びるのでしょうか」
朝の問いに、義誠は、静かに頷いた。
「恐らくは。だが、豊臣という名そのものが、完全に消えるとは、私には思えぬ」
「それは、どういう……」
義誠は、それに、はっきりとは答えなかった。
ただ、遠い記憶の中にある、一つの言い伝えを、静かに思い返していた。
秀頼公、あるいは、その血筋が、密かに落ち延びる先があるとすれば。
それもまた、いずれ、島津にとっての、一つの札になるやもしれぬ。
だが、それが真実なのか、ただの噂に過ぎぬのか。
今の義誠には、まだ判断できなかった。
夏の陣は、もう、目前に迫っていた。
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あとがき
大坂冬の陣、そして、和議と、その後の堀埋め立てという、史実の重要な局面を、義誠の視点から描きました。
今回は、直接戦いに加わらず、あくまで観察者として、この戦の行方を読み解く回にしています。
「堀を失わせることこそが、次の戦を見据えた大きな一手になる」という義誠の洞察を通して、これまで培ってきた戦術眼を、外交・政略の場でも発揮させました。
そして最後に、豊臣秀頼の生存伝説を、あくまで噂として匂わせています。
この時点では、義誠自身も真偽を知りません。
だからこそ、それが後に大きな意味を持つのか、それともただの噂として消えるのか。
まだ、その答えは誰にも分かりません。
次話、いよいよ大坂夏の陣、そして豊臣家の命運を決する戦へと進みます。
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