第四十一話 閉ざされた門
慶長五年四月。
徳川家康は、会津の上杉征伐を前に、伏見に残る諸将へ、城の守備を固めるよう命じていた。
その中で、義弘にも伏見城への協力を求める話が届いていた。
「内府殿より、伏見城の守備に力を貸してほしいとの話があった。だが、今の手勢では、いささか心許ない。国元に、兵の増強を要請せねばならぬ」
義弘の言葉に、義誠は、静かに頷いた。
史実の通りだ。
ここが、分岐点になる。
だが、義誠は、この後に何が起こるかを知っていながら、それを覆す確かな手立てを、まだ見出せずにいた。
薩摩への使いは、すぐに送られた。
だが、返ってきたのは、義誠が恐れていた通りの返答だった。
「国元は、庄内の乱の後始末で、なお混乱が続いておるとの由。伊集院家の残党への備えもあり、これ以上の兵は、容易く割けぬと」
義誠は、その報せに、奥歯を噛み締めた。
分かっていたことだ。
だが、これほど早く、その綻びが、こういう形で牙を剥くとは。
「義弘公。私が、直に国元へ掛け合いに参りましょうか」
「間に合うまい。時が、あまりに足りぬ」
義弘の言葉に、義誠は、返す言葉を持たなかった。
国元の内輪揉めという、遠くから見れば些細な事情が、この場に及んで、これほど重い足枷になろうとは。
義誠自身、これまで、幾度も「大所帯の綻び」を、敵の弱みとして利用してきた。
それが今、島津自身の足元で、同じように起こっている。
七月十二日。
義弘は、僅か千余りの手勢を率い、伏見城へ向かった。
義誠も、その供に加わっていた。
城門の前で、鳥居元忠との対面が叶った。
だが、その表情は、硬く強張っていた。
「島津殿が、城へ入られるとの話、こちらでは聞き及んでおりませぬ」
「内府殿より、伏見の守りに力を貸してほしいとの話を受けておる。此度の兵の少なさは、国元の事情ゆえ。いま暫くの猶予を頂ければ」
「申し訳ないが、家康様からの正式な書状もない状態で、城内へお通しするわけには参りませぬ」
義誠は、その拒絶の言葉を、傍らで聞いていた。
鳥居殿の立場も、分からぬではない。
すでに、畿内では三成方の動きが活発になっている。
素性の定かならぬ小勢を、易々と城に入れることなど、できようはずもない。
だが、理屈で分かることと、この場の重さは、まったく別のものだった。
「これでは……」
義弘が、珍しく、言葉を詰まらせた。
伏見城を巡る情勢は、刻一刻と悪化していた。
石田三成らの挙兵によって、諸将の立場も、急速に二つへと分かれ始めていた。
義弘の手勢は、伏見城へ入ることを許されなかった。
かといって、今さら薩摩へ引き返すことも難しい。
「義弘公」
義誠は、静かに、だが、確かな声で告げた。
「ここに至っては、いずれの側にも属さぬという道は、極めて険しくなりました」
「……お主は、どう見る」
「我らが望んで、この争いに入ったわけではございませぬ。ですが、ここで立場を曖昧にしたまま動けば、東西、いずれからも敵と見なされる恐れがございます」
義弘は、しばし黙り込んだ。
「ならば、どうする」
義誠は、静かに答えた。
「まずは、生き残る道を探るべきかと。西軍に与することも、東軍に戻ることも、今この場で決めるのではなく、情勢を見極めた上で判断するべきにございます」
義弘は、その言葉を聞き、静かに頷いた。
「分かった。軽々しく決めることではないな」
だが、義誠には分かっていた。
この後、島津は西軍の側に組み込まれていく。
そして関ヶ原の戦場で、義弘は、わずかな兵を率いて孤立することになる。
前世の記憶では、そうだった。
だが、歴史を知っているからといって、それを容易に変えられるわけではない。
むしろ今、義誠の目の前で、歴史は記憶していた通りの形へと、少しずつ収束し始めていた。
義誠は、遠く伏見城の方角を見やった。
「これも、乱世の理屈というものか」
静かな呟きだった。
だが、ここで終わらせるつもりはない。
この巡り合わせを、いかに次へと繋げるか。
それが、今、私にできる、唯一のことだ。
天下分け目の戦は、もはや、避けようのないところまで、迫っていた。
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あとがき
史実にある、義弘公の伏見城入城拒否という、痛烈な皮肉に満ちた局面を描きました。
庄内の乱という、島津家内部の混乱が、思わぬ形で、この天下分け目の戦における島津の立場を難しくしていく。
「知っていても、覆せないことがある」という、義誠がこれまで何度も向き合ってきたテーマが、ここで大きな形となって現れました。
今回は、義弘公がこの時点ですぐに西軍への参加を決断するのではなく、伏見城への入城を拒まれたことで、島津が次第に西軍側へ追い込まれていく流れを意識して描いています。
次話、いよいよ天下分け目の戦へ。
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