第三十七話 雌伏の始まり
九州国分から、二月ほどが過ぎた。
薩摩・大隅・日向の一部それが、島津に残された所領のすべてだった。かつて九州のほとんどを覆っていた勢力は、大きく削られ、義久はなお当主の座にありながら、実質は隠居に近い立場となっていた。
義誠は、この間、飯野の地に戻り、戦で荒れた領内の立て直しに追われていた。
「戦で田畑を捨てた者、家を失った者が、思いのほか多うございます。年貢の取り立ても、これまで通りとはいきますまい」
義誠の報告に、義弘は、静かに頷いた。
「無理はさせるな。まずは、民の暮らしを立て直すことが先だ」
「はい。しばらくは、内に力を蓄える時期かと存じます」
雌伏の時。木崎原から続いてきた、外に向けて広がり続ける戦いの日々は、ここで一旦、終わりを迎えた。
ある日、義誠は、有村家の屋敷を訪れた。父は、以前よりも、幾らか痩せたように見えたが、変わらぬ様子で義誠を迎えた。
「戦は、終わったのか」
「終わったというより……形を変えた、というべきかもしれませぬ」
義誠は、父に、九州国分のあらましを、かいつまんで語った。父は、それを黙って聞いていた。
「九州は、一つにならなんだのだな」
「はい。私の力及ばず」
「詫びることはない。お主が、命を落とさずに戻ってきた。それだけで、儂には十分だ」
その言葉に、義誠は、ふと、木崎原の頃、初めてこの屋敷を出た日のことを思い出した。あの頃は、まだ、何も知らぬ十五の若造だった。
長い道のりだった。だが、まだ、終わってはいない。
飯野に戻った義誠を、次郎太が出迎えた。
木崎原の頃から共に戦ってきた次郎太は、今では、幾つもの小勢を率いる立場になっていた。あの頃の若さは薄れ、代わりに、落ち着いた貫禄が、その顔に宿っている。
「久しいな、義誠。此度の戦、噂は聞いておる。大変であったろう」
「お主も、無事で何よりだ」
「儂は、お主のように、表舞台に立つ柄ではない。だが、お主が積み上げてきたものが、島津を守ったことは、この目でしかと見てきた」
次郎太は、そう言って、義誠の肩を、軽く叩いた。
「これから、どうする」
「しばらくは、内政に力を注ぐことになろう。だが……」
義誠は、遠く、鹿児島湾の向こうを見やった。
「豊臣の天下は、いずれ終わる。その時のために、力を蓄えておかねばならぬ」
次郎太は、その言葉に、驚いた様子を見せなかった。
「お主が、そう言うのなら、そうなのだろうな。木崎原の頃から、お主の見立てが外れたことは、ついぞなかった」
蔵人もまた、この頃には、義誠にとって、なくてはならぬ相棒となっていた。かつて、義誠の非情さを疑い、幾度も刃を交わすような言葉を投げつけてきた男が、今では、誰よりも近い場所で、義誠を支えている。
「木崎原、耳川、沖田畷、岩屋城、根白坂……そして、此度の九州国分。お主と、随分と遠くまで来たものよ」
蔵人が、しみじみと呟いた。
「お主は、まだ、その先を見ておるのだろう」
「ああ。ここで終わりにするつもりはない」
義誠は、静かに、だが、確かな決意を込めて、そう答えた。
豊臣秀吉という男の下で、しばらくは、頭を垂れることになる。だが、それは、屈服ではない。力を蓄え、次の機を待つための、雌伏の時だ。
前世の記憶にある、この先の歴史。秀吉の死、そして、その後に訪れる、大きな戦——関ヶ原。そこで、島津がどう動くかが、この先の日ノ本の行方を、大きく左右することになる。
その時のために、今、できることをする。
義誠は、飯野の空を見上げた。木崎原から続いてきた、長い道のりの、一つの区切り。だが、その先には、まだ、大きな道が続いている。
九州統一の夢は、一度、潰えた。だが、義誠の胸に灯る、島津に天下を獲らせるという誓いだけは、これまでのどんな敗北によっても、消えることはなかった。
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あとがき
第四章、締めの回です。戦の終わりと共に、義誠が家族や、これまで共に歩んできた次郎太、蔵人と、静かに現在地を確認していく、そんな回にしました。派手な合戦ではなく、日常に近い場面を通して、これまでの十五年の重みを、改めて感じていただければと思います。
「雌伏の時」というこの章のテーマを、義誠自身の言葉で、はっきりと言語化しました。次章「関ヶ原改変」に向けて、この静かな時間が、どう積み重なっていくのか、楽しみにしていただければ幸いです。
第四章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
感想、レビューお待ちしております。




