第三十五話 国分の日
天正十五年六月七日、豊臣秀吉は、筑前箱崎にて、九州国分を発表した。
義誠は、その報せを、義弘と共に、鹿児島で受け取った。使者の顔には、緊張と、幾らかの安堵が入り混じっていた。
「薩摩、大隅、そして日向の大半これを、島津の所領として安堵する、との仰せにございます」
使者の言葉に、広間には、安堵とも、悔しさともつかぬ、複雑な空気が流れた。
史実よりも、幾らか良い。日向の大半まで、安堵に含まれておる。
義誠は、内心で、静かにそう受け止めていた。かつて調べた史実の記憶では、日向はごく一部しか残されなかったはずだった。あの黒田官兵衛との交渉、そして、その後も幾度となく重ねてきた駆け引きが、僅かながらも、この差を生んだのかもしれない。
「筑後、肥前、肥後の大半は、召し上げとなりましょう。これまで我らが平らげてきた地の、多くを手放すことになりまする」
義誠は、そう続けた。義弘は、静かに目を閉じた。
「九州統一という夢は、これで、遠のいたわけだ」
「はい。ですが、島津という家そのものは、生き延びまする。薩摩、大隅、日向——この地さえあれば、いずれ、また立ち上がることもできましょう」
この日を境に、九州の勢力図は、大きく塗り替えられた。
小早川隆景には筑前、龍造寺には肥前の本領、立花宗茂は独立した大名として筑後柳川を与えられ、大友義統には豊後が安堵された。かつて島津が切り従えてきた者たちの多くが、それぞれの形で、新たな主のもとに落ち着いていく。
義誠は、その配置図を、じっと見つめていた。
鍋島直茂は、龍造寺の下で、実質を握り続けるだろう。立花宗茂も、独立した大名として、この先も名を残すはずだ。
かつて敵として、あるいは、恐れの対象として関わった者たちの多くが、この乱世を、それぞれのやり方で生き延びていく。義誠は、その事実に、不思議な感慨を覚えていた。あの戸次川で共に矢面に立った家久も、この国分の中で、日向の一部を差配することになるという。すべてが失われたわけではないそう思うと、僅かながらも、心が軽くなった。
その夜、義誠は、義弘、そして久方ぶりに顔を合わせた蔵人と共に、静かに酒を酌み交わした。
「九州は、一つにはならなんだ。だが、島津は、潰えなんだ」
義弘の言葉に、義誠は、深く頭を下げた。
「私の力及ばず、九州統一の夢を、叶えることは叶いませなんだ。申し訳ございませぬ」
「詫びることはない。お主がおらねば、島津はとうに、根こそぎ潰えておったやもしれぬ。薩摩、大隅、日向この地を守り抜けたことこそ、お主の功だ」
蔵人が、盃を掲げた。
「木崎原から、十五年か。お主も、遠くまで来たものよ」
「長かったような、あっという間だったような……不思議な心地がする」
義誠は、その盃に、静かに己のものを合わせた。杯を交わす二人の間に、これまで積み重ねてきた歳月の重みが、確かに横たわっていた。
九州統一は、成らなかった。だが、これで、終わりではない。
前世の記憶にある、この先の歴史豊臣の天下も、いずれ終わりを迎える。その先に、まだ見ぬ関ヶ原という戦いが待っている。
雌伏の時だ。力を蓄え、次の機を待つ。
義誠は、盃を静かに干した。九州統一という夢は潰えても、島津に天下を獲らせるという、義誠自身の誓いは、まだ、何一つ潰えていなかった。
────────────────────
あとがき
九州国分という、史実上の大きな節目を描きました。史実よりも幾らか有利な条件——日向の大半の安堵という形で、これまでの義誠の交渉の積み重ねが、実を結んだ回にしています。ただし、九州統一そのものは成し得なかった、という現実も、きちんと描いておきたいと思いました。
「詫びることはない」という義弘の言葉に、これまで積み重ねてきた二人の関係の重みを込めています。第四章も、そろそろ終盤です。次話以降、この敗戦の中で義誠がどう評価されているのか、そして雌伏の時代への入り口を描いていきます。
感想、レビューお待ちしております。




