第三十三話 剃髪の意味
根白坂の敗戦から、十日ほどが過ぎた。
豊臣本隊は、すでに肥後を抜け、薩摩へと迫りつつあった。従属していた国人衆の多くも、次々と豊臣方へ靡いていく。かつて義誠が調略で切り崩してきた相手方の光景を、今度は自分たちが味わうことになっていた。
木崎原の頃、綻びを見つけて、そこに指を添える、と私は言った。今、その綻びは、島津自身の足元に生まれている。
その皮肉に、義誠は、苦い笑みを浮かべるしかなかった。
鹿児島に集まった重臣たちの間では、激しい議論が交わされていた。
「あくまで抗戦すべし。薩摩の山野に籠れば、いかに大軍とて、容易くは踏み込めまい」
「もはや、勝ち目のない戦を続ける意味があろうか。これ以上の犠牲は、島津の家そのものを、根こそぎ潰しかねぬ」
義久は、その両論を、静かに聞いていた。義誠は、末席から、当主のその横顔を見つめていた。
史実の通りだ。義久公は、ここで和を選ぶ。だが、その選び方が、この先の島津の在り様を決める。
軍議の後、義誠は、義久に人払いを願い出た。
「義久公。降ることそのものは、恥ではございませぬ。ですが、ただ膝を屈するのと、条件を持って和を結ぶのとでは、この先の島津の姿が、まるで変わってきましょう」
「条件を持って、とは」
「これまでの戦、豊臣方にも、決して軽くない損害を与えてまいりました。戸次川では四国勢を打ち破り、岩屋城、根白坂でも、豊臣方は、多くの兵と時を費やしております。二十万の大軍を、これほど長くこの九州に留め置くことも、決して楽な仕事ではございませぬ」
「それが、和議の材料になると申すか」
「はい。相手が完全に島津を滅ぼしたいのであれば、これほどの時をかけず、力ずくで押し潰しておりましょう。ですが、そうしていないということは、これ以上の犠牲と時を、豊臣方も避けたいと考えている証にございます」
義久は、しばし黙り込んだ。
「では、いかに動けと申す」
「義久公自ら、剃髪して降伏の意を示されませ。ただし、それは、屈服の証としてではなく、これ以上の民の犠牲を避けるための、当主としての決断として。同時に、水面下では、木食応其殿ら、上方との繋がりを持つ方々を通じ、薩摩・大隅の安堵と、島津家の存続を、条件として持ちかけまする」
「儂の剃髪を、道具として使えと申すか」
義誠は、その問いに、深く頭を下げた。
「畏れながら。形は屈服でも、中身は交渉にございます。これまで積み上げてきた、犠牲と粘り強さがあってこそ、この交渉は、意味を持ちましょう」
義久は、長い沈黙の後、静かに口を開いた。
「お主のような男を、これほど早くから傍に置けたこと、島津にとって、何よりの果報であったのかもしれぬな」
「過分なお言葉にございます」
「儂は、ここで剃髪する。だが、それは、島津の意地を捨てることではない。生き延び、この先も、我らの道を歩むための、一つの手立てだ」
天正十五年五月、島津義久は、泰平寺にて剃髪し、龍伯と号した。豊臣秀吉への降伏の意を、正式に示したのである。
だが、その裏では、義誠が張り巡らせた交渉の糸が、すでに静かに動き始めていた。
蔵人が、剃髪の儀を遠目に見ながら、義誠に尋ねた。
「これで、終わりなのか」
「いや。終わりではない。始まりだ」
「お主は、本当に、飽きぬ男だな」
義誠は、それに小さく笑みを返した。
ここからが、本当の戦いだ。刃を交える戦いではなく、言葉と条件を交わす戦い。
義誠は、剃髪した義久の姿を、遠くから見つめながら、これまでとは違う種類の緊張を、静かに噛み締めていた。
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あとがき
島津義久の剃髪という、史実上の大きな節目を描きました。この物語では、単なる屈服としてではなく、義誠の入れ知恵によって、和議への布石という意味合いを持たせています。「形は屈服でも、中身は交渉」というこの回のテーマは、これまでの「誉れではなく結果」という義誠の信条の、また新しい形での表れだと思います。
次話からは、水面下での条件交渉——薩摩・大隅の安堵と島津家存続を巡る駆け引きを、いよいよ本格的に描いていきます。
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