第三話 斬る理由、斬らぬ理由
物見から戻った誠之助は、崖の地形を絵図に描き起こし、郷士頭の前に広げた。
「獣道を塞ぐ五人、崖上から狙う三人、そして裏の抜け道を先に塞ぐ四人。三方から締め上げれば、谷底から逃げ場はありませぬ」
「……お主、本当にただの下級武士の倅か」
郷士頭は絵図と誠之助の顔を見比べ、そう漏らした。誠之助は答えず、ただ淡々と持ち場の割り振りを続けた。
前世の記憶にある「兵は拙速を尊ぶ」という言葉が、ふと頭をよぎる。今のこの状況にも、驚くほど当てはまる理屈だった。時代が違っても、人と人が争う時の理屈は、そう変わらないらしい。
夜半、月の出る前に、十二人はそれぞれの持ち場についた。誠之助は崖上の三人組を率いる役を任された。年長者たちの中でも、この策を最も理解しているのが誠之助自身だという、郷士頭なりの判断だった。
谷底の塒に、動きがあったのは夜が白み始めた頃だった。
見張りに立っていた野盗の一人が、獣道の異変に気づいて声を上げる。
「敵襲だ!」
その声を合図に、獣道の五人が塒へなだれ込んだ。同時に、裏の抜け道にも四人が姿を現し、逃げようとした野盗たちの前に立ちはだかる。
崖上の誠之助は、弓を構えた二人と共に、谷底の様子を見下ろした。
野盗たちは、思ったより統率が取れていた。ただの烏合の衆ではない。刀や槍を手にした者が十数人、じりじりと後退しながらも、逃げ道を探して谷の中を動き回っている。
——史実には残らない、名もなき争いだ。この谷での出来事を、誰も年表には記さない。だが、それでも。
誠之助は矢をつがえた。狙うのは、野盗たちの中でひときわ大きな声で指図をしている、頭目らしき男だった。あの男さえ落とせば、統率を失った残りは崩れる。
「放て」
矢は男の肩を貫いた。頭目が膝をつく。統率を失った野盗たちの動きに、明らかな乱れが生まれた。
誠之助は崖を下り、谷底へ向かった。
すでに数人が斬り伏せられ、残る野盗たちは追い詰められていた。その中の一人が、誠之助に向かって刃を振り上げて突っ込んでくる。
——ここで躊躇えば、死ぬのは自分か、味方の誰かだ。
誠之助は身を沈めて相手の刃をかわし、脇差を抜きざま、相手の胴を薙いだ。手に伝わる重い感触。前世では一度も知らなかった感覚だった。
倒れた男は、もう動かなかった。
誠之助はその場に立ち尽くすことはしなかった。感傷に浸る間もなく、次の敵が迫っていたからだ。だが、心のどこかで、静かに自分に言い聞かせていた。
——これは必要な殺しだ。この男たちは、すでに村人を一人殺している。ここで見逃せば、また同じことが繰り返される。
無意味に人を斬りたいわけではない。だが、必要な時に躊躇うことは、味方や、これから守るべき者たちを危険に晒すだけだ。それは、前世で知る歴史の中で、島津の男たちが繰り返し示してきた覚悟でもあった。
乱戦の中、頭目が肩を押さえながら、刀を取り落として地に膝をついた。
「ま、待ってくれ……降参だ。俺たちは、もう……」
周りの野盗の何人かも、武器を投げ捨て、その場にへたり込んだ。
次郎太が、頭目に向かって刀を振り上げようとするのを、誠之助は制した。
「待たれよ。すでに降っておる」
「奴らは村人を殺しておるのだぞ!」
「頭目と、実際に手を下した者は別だ。降った者まで斬れば、それは戦ではなく、ただの殺しになる」
次郎太は苦い顔をしたが、刀を下ろした。誠之助は縛られていく野盗たちを見ながら、静かに思う。
——降伏した者を助命するのは、情けだけの話ではない。誰もが「島津に降れば、それ以上は殺されない」と知っていれば、この先、無駄に長引く戦を避けられることもある。それも、未来を知る自分だからこそ描ける、遠い先の絵図だった。
結局、討ち取ったのは頭目を含め五人。残る野盗は、縄を打たれて村へ連れて行かれることになった。米蔵から奪われた米の一部も、塒の奥から見つかった。
村に戻ると、庄屋の老爺が地に膝をついて何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
誠之助は、その礼を正面から受け取ることができなかった。自分が斬った男の重みが、まだ手に残っている気がした。だが、それでいい、とも思う。何も感じない自分になりたいわけではない。ただ、必要だったから、やった。それだけのことだ。
「有村の策のおかげで、こちらの怪我人は二人だけで済んだ」
郷士頭がそう漏らすのを、誠之助は少し離れた場所で聞いていた。
死人が少ない戦。それが、この先どういう形で語られていくのか、誠之助自身はまだ知らない。ただ、前世で読んだ歴史書の中にあった、島津の男たちの姿に、自分が少しでも近づけているのなら——それでいい。
まだ何も成し遂げてはいない。天下統一への道のりは、あまりに遠い。だが、今日という日は、その最初の一歩には違いなかった。
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あとがき
初陣ということで、今回は誠之助が実際に人を斬る場面をきちんと描きました。彼の信念——必要な殺しはためらわない、無意味な殺しはしない、降伏した者は助命する——を、台詞と行動の両方で見せたつもりです。次郎太との対比も、この信念を際立たせる意図で入れています。
書いていて難しかったのは、初めて人を殺めた直後の心情でした。淡々としすぎても嘘くさくなるし、動揺しすぎても彼らしくなくなる。今回は「感じてはいるが、飲み込んで前に進む」くらいの温度感を目指しました。
次話からは、いよいよ島津義弘公との関わりが本格的に近づいていきます。楽しみにしていただけたら幸いです。
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