第二話 獣道の先を読む
元亀三年、早春から半月ほどが過ぎた。
真幸院の外れ、飯野城下から一刻ほど離れた山あいの村に、野盗が出るという訴えが相次いでいた。
伊東との緊張が高まる中、郷士たちの多くは境目の守りに割かれている。手薄になった村々を狙い、食糧や家財を奪う者が現れたのだ。飢えた足軽崩れか、あるいは戦を口実にした流れ者か——正体は定かでないが、すでに二つの村で米蔵が荒らされ、逆らった百姓が一人斬られたという。
「有村、お主も行け」
そう命じられたのは、演習からしばらく経ったある朝のことだった。誠之助を含む十二人の若手郷士に、年配の郷士頭が一人付き従う形での討伐となる。
「野盗如き、大した相手ではあるまい」
隣を歩く次郎太が、槍の柄を軽く叩きながら言った。演習での一件以来、誠之助に対してどこか棘のある態度を崩さない男だったが、任務の前では余計な諍いを持ち込まぬだけの分別はあるらしい。
「相手の数も分かっておらぬ。侮るのは早うござる」
「またそれか。お主は何かというと慎重、慎重と言うが、それでは手柄も立たぬぞ」
誠之助は答えなかった。手柄を立てるために来たわけではない。前世の記憶にある島津の兵の少なさを思えば、こんな小さな任務で一人でも欠けさせるわけにはいかない。この先、義弘公が寡兵で大軍を相手にする戦いを、幾度も経験することになる。今ここで無駄に人を損なうのは、未来の島津軍から兵を一人差し引くのと同じことだ。
——誰にもそんな理屈は分からせられないが。
だから誠之助は、ただ黙って歩いた。
村に着くと、庄屋の老爺が青ざめた顔で出迎えた。
「昨夜も、裏の山道から物音が……あの獣道の先に、奴らの塒があるのではと」
老爺が指し示したのは、村の背後にそびえる山へと続く、細く曲がりくねった道だった。木々が鬱蒼と茂り、昼でも薄暗い。
郷士頭が一同を見渡す。
「よし、この道を辿って塒を叩く。正面から押し入り、一気に片を付ける」
「お待ちを」
誠之助が声を上げると、郷士頭が怪訝そうに振り返った。
「またお主か。今度は何だ」
「この道、幅が狭うござる。一列でしか進めませぬ。もし塒の手前に見張りがおれば、こちらが気付く前に知らせが飛びましょう」
「見張りがいるという証があるのか」
「証はありませぬ。ただ、二つの村を荒らして逃げおおせている者たちです。用心深さがあってもおかしくはない、というだけのこと」
郷士頭は舌打ちをしたが、誠之助の言葉を無下にはしなかった。この十日ほどで、飯野城下では有村誠之助という名が、良くも悪くも知られ始めていたからだ。
「では、どうせよと申す」
「先に、身の軽い者を一人二人、物見として先行させてはいかがでしょう。道の様子だけを探らせ、深追いはさせぬ形で」
「時がかかろう」
「時をかけて損をせぬ方が、急いで足を掬われるより増しかと」
前世でいうなら、下調べもせずに走り出す計画ほど怖いものはない。うまくいっている間は誰も文句を言わないが、一度躓けば取り返しがつかなくなる。この時代の合戦も、きっと同じだ。
しばしの押し問答の末、郷士頭は渋々ながら誠之助の案を容れた。物見には、誠之助自身と、村の地理に詳しい若い猟師が選ばれた。
獣道は、思った以上に入り組んでいた。
途中、木の幹に小さく削られた跡がいくつも見つかった。猟師が眉をひそめる。
「これは……獣が付けた跡ではねぇ。人の手だ」
「目印か」
「たぶん、な。塒に近づく者を見張るための、合図の跡かもしれねぇ」
誠之助は削り跡の位置と間隔を目で追った。道の分かれ目、そして見通しの利く高台になる場所に、跡が集中している。
——ここに、見張りが立つ。
さらに進むと、道が二手に分かれる場所に出た。片方は緩やかな坂で村へまっすぐ続き、もう片方は急な斜面を回り込んで、谷を見下ろす崖の縁へと続いている。
猟師が声を潜めた。
「あの崖の下が、噂の塒じゃねぇかと、村の年寄りが言ってた」
誠之助は崖の縁まで這うようにして近づき、下を覗き込んだ。
谷底には、粗末な小屋がいくつか並んでいる。人の数は、ざっと見て二十人ほど。思ったより多い。だが——
崖の縁からなら、谷底の小屋のほぼ全てを見渡せる。そして小屋の裏手には、獣道とは別に、谷から抜ける細い道がもう一本続いているのが見て取れた。
正面の一本道から押し入れば、こちらの数の少なさを見抜かれ、崖裏の道から散り散りに逃げられる。だが、この崖の上から——
誠之助の頭の中で、いくつかの絵が組み上がっていく。獣道を塞ぐ数人、崖上から狙う数人、そして裏の抜け道を先回りして塞ぐ者。三方から締め上げれば、逃げ場のない谷底で、これ以上ないほど楽に片が付く。
前世の記憶にある「退路を断ってから追い込む」というやり方は、何百年経っても変わらない理屈らしい。人が人を追い詰める時のやり方は、時代が違っても、そう大きくは変わらないのかもしれない。
「……勝てる」
誠之助は小さく呟いた。
村に一人の死人も出さず、こちらの郷士にも大きな傷を負わせず、谷の野盗どもを一網打尽にする道筋が、ようやく見えた。
あとは、この絵を郷士頭にどう納得させるか——それだけだった。
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あとがき
野盗討伐という小さな任務ですが、誠之助にとっては「周囲に少しずつ信頼される」ための大事な一歩として書きました。前話では反発されがちだった慎重さが、今回は郷士頭にしぶしぶ受け入れられる——このわずかな変化を、台詞の温度で感じ取っていただけたら嬉しいです。
崖の上から谷を見下ろす場面は、九州の山間部らしい地形を意識して描写しました。獣道の目印や逃げ道の存在など、細部の作り込みにもこだわっています。
誠之助が見出した勝ち筋が、実際にどう動くのかは次話に続きます。彼の采配が周囲にどう伝わっていくのか、楽しみにしていただけたらと思います。
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