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島津悪鬼録 ~敵味方に恐れられた男、島津に天下を獲らせる~  作者: 春野ケイ
九州統一

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第二十九話 戸次川、初めての血

天正十四年十二月。府内を制した島津家久の軍勢は、なおも大友方の鶴賀城を攻めていた。


その頃、豊後には、豊臣秀吉が送り込んだ先遣隊が、すでに上陸していた。四国勢を率いる仙石秀久、そして長宗我部元親・信親父子、十河存保。鶴賀城救援のため、彼らは戸次川の手前に陣を敷いていた。


義誠は、家久の本陣で、その報せを聞いていた。傍らでは、蔵人が、地図を睨みながら唸っていた。


「豊臣方の軍勢とやり合うのは、これが初めてか」


「はい。これまでの敵とは、明らかに毛色が違う。上方の御墨付きを背負った軍勢だ」


——史実の通りだ。この戦いが、豊臣勢との、初めての本格的な激突になる。


「豊臣方は、大友の援軍という名目で、四国の兵を寄越してきたのみ。秀吉自身は、まだ動いておりませぬ」


義誠の言葉に、家久は、静かに頷いた。


「先鋒だけなら、恐るるに足らぬ。むしろ、ここで我らの戦い方を、しかと見せつけてやるべきだろう」


——木崎原、耳川、沖田畷。そして此度が、四度目の釣り野伏せになる。



軍議の場には、仙石秀久を主将とする豊臣方の様子も、間者を通じて伝わってきていた。


「長宗我部元親殿は、渡河しての攻撃に、慎重な構えを見せておるとの由。ですが、秀久殿は、これに逆らい、強引に川を渡る構えとか」


義誠の報告に、家久は、口の端を上げた。


「主将が、自らの軍の意見をまとめきれておらぬのか。それは、こちらにとって、悪い話ではないな」


——大軍であるがゆえの綻び。木崎原の時から、変わらぬ理屈が、ここでも当てはまろうとしている。


義誠は、家久と共に、戸次川周辺の地形を、改めて確かめた。川を挟んだ地形は、渡河する側に、大きな不利をもたらす。渡り切るまでの間、無防備な状態を晒すことになるからだ。


「川岸に伏兵を配し、敵が渡り切ったところを、三方から囲みまする」


「いつもの絵図だな。だが、今度の相手は、これまでとは毛色が違う。豊臣という、九州の外から来た者たちだ」


義誠は、その言葉に、静かに頷いた。


「はい。だからこそ、此度の勝ち方が、これから先の戦いに、大きな意味を持ちましょう。豊臣方に、島津は容易く踏み潰せぬと、はっきり示す必要がございます」



十二月十二日、仙石秀久は、長宗我部元親の反対を押し切り、戸次川を渡っての攻撃を強行した。


川を渡り切った豊臣方の兵が、隊列を整える間もなく、島津方の伏兵が、四方から襲いかかった。


「かかれ!」


家久の号令一下、鉄砲の音が、川辺に響き渡った。渡河の疲れと混乱の中、豊臣方の陣形は、瞬く間に崩れていった。


義誠は、乱戦の中を駆けながら、これまでとは違う緊張を感じていた。


——この兵たちの向こうに、まだ見ぬ豊臣秀吉という男がいる。


長宗我部信親、十河存保——若き武将たちが、この戦で命を落とした。義誠は、乱戦の後、川辺に横たわる、まだ若い信親の骸を、遠くから見やった。


——史実の通りだ。だが、この戦の勝利は、この先、豊臣の大軍を招き寄せる引き金にもなる。


仙石秀久は、命からがら戦場を離脱した。豊臣方の先遣隊は、この一戦で、壊滅的な打撃を受けた。



戦の後、家久は、義誠に労いの言葉をかけた。


「お主の見立て通り、綺麗な勝ちだったな」


「勝ちは勝ちにございます。ですが……」


義誠は、言葉を濁した。


「この勝利、豊臣秀吉という男の耳に、確実に届きましょう。そして、彼の者は、これを軽んじることはございませぬ」


家久の表情に、初めて、緊張の色が浮かんだ。


「本隊が、動くと申すか」


「はい。恐らくは、これまでのどの戦とも比べ物にならぬ規模で」


蔵人が、傷の手当てを受けながら、二人の話に割って入った。


「勝ったばかりだというのに、二人とも、辛気臭い顔をしおって」


「勝ったからこそ、だ。相手に、我らを侮れぬと思い知らせた。それは同時に、相手に、本気を出させる理由を与えたということでもある」


義誠は、そう答えると、川面に映る夕日を見つめながら、静かに続けた。


——戸次川で、島津は確かに勝った。だが、この勝利が、これから訪れる、最も大きな試練の幕開けに過ぎないことを、義誠は、誰よりも知っていた。



────────────────────


あとがき


戸次川の戦いを、史実通りに描きました。豊臣方の先遣隊を相手にした、島津家久の釣り野伏せによる会心の勝利——ですが、義誠にとっては、これが手放しで喜べる勝利ではありません。この一戦が、豊臣秀吉本隊の九州征伐を、より確実なものにしてしまうという皮肉を、彼の内面を通して描いています。


長宗我部信親という、若くして散った武将の骸を遠目に見る場面は、勝利の裏にある重さを、改めて示したかった部分です。


次話、いよいよ豊臣秀吉本隊の九州征伐が現実のものとなります。第三章も、いよいよ終盤です。


感想、レビューお待ちしております。


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