第十三話 松原の夜
天正六年十月二十日。大友軍は、ついに高城を包囲した。
城代・山田有信は、寡兵ながらも粘り強く城を守り抜いていた。南蛮渡りの大筒まで持ち出した大友軍だったが、断崖に守られた高城を、力攻めでは容易く落とせずにいる。
その膠着の隙を突き、島津家久が率いる三千の兵が、大友の囲みをすり抜けて高城への入城を果たした。城内の士気は、これで大きく持ち直したという。義誠は、その報せを、飯野からさらに南下した本陣で聞いていた。
「これで、高城はまだ保つ。あとは、我らがどう動くかだ」
義弘の言葉に、義誠は絵図を広げた。傍らには、義弘の兄弟である歳久も座していた。
「大友軍は、高城を落とせぬまま、日を重ねております。士気は、確実に落ちておりましょう。この機に、こちらから小さな傷を与え、さらに揺さぶりをかけるべきかと」
「小さな傷、とは」
「大友軍の後方、松原に構えた陣に、荷駄が集められておるとの報せがございます。兵糧と弾薬を扱う場所。ここを夜のうちに叩けば、大友軍全体の動揺は、さらに深まりましょう」
歳久が、興味深げに義誠を見た。
「正面から高城を囲む大軍を崩すより、その腹を先に痛めつける、ということか」
「はい。腹が減った獣ほど、次の一手を誤りやすいものです」
——補給を断つことは、正面から刃を交えるより、時に効く。前世の記憶にある、兵站という言葉の重みを、義誠はこの乱世でも、繰り返し実感していた。
義弘は、しばし絵図を見つめた後、頷いた。
「良かろう。歳久、義誠、この夜討ちの一隊、二人に任せる」
出立の刻を待つ間、義誠は一人、夜空を見上げていた。
——この一戦が終われば、島津は九州随一の勢力となる。史実の通りなら、その先には、さらに大きな戦いが待っている。豊臣秀吉という男の名も、そう遠くない先に、この地へ届くはずだ。
天下統一への道は、まだ途方もなく遠い。だが、目の前の一歩を、確かに積み上げていく以外に、その道を歩む術はなかった。
十一月十一日夜。義弘、歳久らが率いる陽動の一隊に、義誠も加わっていた。
夜陰に紛れ、松原の大友方の陣へと近づく。荷駄を守る兵は、思いのほか手薄だった。長引く包囲戦に、警戒そのものが緩んでいたのだろう。
「火をかけよ」
義誠の合図で、荷駄に次々と火が放たれた。夜空を焦がす炎に、大友方の陣が慌ただしく動き出す。
「敵襲だ!」「荷駄が……!」
怒号が飛び交う中、義誠たちは、深追いをせず、速やかに引き上げた。目的は、ここで大友の兵を多く討つことではない。混乱と不安を、大友軍全体に植え付けることだった。
引き上げる道すがら、義誠は燃え盛る陣を振り返った。
炎に照らされて逃げ惑う兵の中に、まだ十代半ばと見える若い足軽の姿があった。恐怖に顔を歪め、荷駄と一緒に積まれていた何かを、必死に運び出そうとしている。
——ここで討つ意味はない。
義誠は、その足軽に刃を向けることなく、視線だけを外した。無駄な殺しはしない、という一線は、こういう小さな場面でも、変わらなかった。
——木崎原の時とは、規模も意味合いも違う。あの時は生き残るための策だった。今度は、勝ちを決定的にするための、一手だ。
炎の中で右往左往する敵兵の姿に、義誠の胸には、高揚よりも、静かな覚悟が満ちていた。
翌朝、陣中に戻ると、蔵人が待ち構えていた。
「首尾は」
「思うた以上に、うまくいった。大友の陣は、朝を待たずして、かなり混乱しておるはずだ」
「お主が夜襲を仕掛けるとなると、いつも思うが……この静かな顔のどこに、あれほどの大胆さが潜んでおるのか、未だに分からん」
義誠は、それに小さく笑みを返しただけだった。
その日のうちに、大友方の陣中では、田北鎮周をはじめとする一部の将が、我慢の限界に達していた。
「もはや、このまま大人しく退くわけにはいかぬ。これ以上の恥辱、耐えられるものか」
そんな声が、大友軍の中で高まっているという報せが、義誠の元にも届いていた。荷駄を焼かれ、士気は地に落ち、それでも囲みを解くことができぬまま、大友軍は日に日に追い詰められていく。将同士の間でも、退くべきか、それとも一気に決着をつけるべきか、意見がまとまらないという。
「大将が一つにまとまれぬ軍ほど、脆いものはない」
義誠は、そう蔵人に語った。
「四万の兵がおろうと、その心が一つでなければ、ただの人の群れに過ぎぬ。逆に言えば、三千の心が揃っていれば、四万の群れを崩すこともできる」
「木崎原と、同じ理屈か」
「同じだ。数の多寡は、思うほど絶対のものではない」
——史実の通りだ。統率を失った大友軍の一部が、勢いだけで打って出る。そして、それが、島津の描く釣り野伏せの、絶好の的になる。
義誠は、遠く高城の方角を見やった。決戦は、もう目前に迫っていた。
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あとがき
今回は、実際の記録にある松原の荷駄襲撃を、義誠の献策として描きました。夜襲・陽動・補給線遮断——木崎原以来、彼が得意としてきた戦術が、より大きな戦場で、より大きな意味を持って生かされていく様子を意識しています。
高揚感よりも静かな覚悟、という義誠の内面を、今回も大切に描いたつもりです。派手な武功として語られるよりも、淡々と勝ちへの道筋を積み上げていく——それが、彼という男の一貫した在り方だと思います。
次話、いよいよ耳川の戦いの本戦です。楽しみにお待ちください。
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