第十一話 都於郡、墜つ
高原、野尻と、伊東方の城が次々と島津へ降っていく中、義誠は伊東家中の奥深くにまで、静かに手を伸ばし続けていた。
「福永祐友殿と、米良矩重殿。両名とも、義祐公への不満、いよいよ抑えきれぬご様子」
義誠は、義弘の前で、そう報告した。
福永祐友は伊東家中でも重きをなす一門であり、米良矩重もまた、要地を預かる有力な家臣だった。二人がもし島津方へ通じれば、伊東家の屋台骨そのものが揺らぐ。
「両名とも、すでに義祐公の器量に見切りをつけておりまする。此度の謀反、我らが後押しするまでもなく、遅かれ早かれ、起こったこと。ただ、時機を見誤らせぬよう、こちらから背を押しました」
義弘は、義誠の報告に、静かに頷いた。
「お主のやり方は、いつも同じだな。すでにある綻びを見つけ、そこに、そっと指を添える」
「無理に何かを作り出す必要は、ござりませぬ。人の心には、放っておいても、いずれ綻びが生まれるものです」
——それも、前世で幾度も見てきた、人という生き物の理屈だった。城を落とすのに、必ずしも大軍はいらない。信頼という、目に見えぬものを崩す方が、時にずっと早い。
蔵人が、傍らでその話を聞きながら、小さく息を吐いた。
「五年前は、谷での待ち伏せ一つに、儂らは肝を冷やしたものだが……今のお主のやり口は、あの頃よりも、よほど底が知れんな」
「褒めているのか、貶しているのか、分からぬ言い方だ」
「さあな。両方、というところだろう」
そんなやり取りにも、以前のような刺々しさは、もうなかった。
天正五年十二月十日。伊東家の本拠、都於郡城が陥落した。
福永祐友、米良矩重らの謀反に呼応する形で、島津の大軍が城に迫ると、伊東方の抵抗はほとんど組織立ったものにならなかった。義誠は、この日、先鋒の一角に加わり、城下の混乱を鎮める役を任されていた。
「投降する者は、命を取るな。ただし、抗う者は容赦せぬ」
義誠の下知に、郷士たちは迷いなく従った。すでにこの数年で、義誠の采配には、それだけの信が置かれるようになっていた。
城下の一角で、伊東方の若い武士が、なお槍を構えて立ちはだかっていた。すでに味方の大半は逃げ散り、勝敗は明らかだったが、その武士だけは動かなかった。歳の頃は、義誠とそう変わらぬように見えた。
「退け。もはや戦にならぬ」
「……退けと言われて、退けるものか。この城と、殿への忠義、そう容易く捨てられるものではない」
「命を捨てたところで、伊東家は戻らぬ。それでも構わぬのか」
「構わぬ。お主のような、損得だけで動く男には、分かるまい」
義誠は、その目を見て、これ以上の説得は無駄だと悟った。前世の記憶にある、あらゆる合理の理屈を並べたところで、届かぬ想いというものが、確かにある。それを、義誠は否定するつもりはなかった。
——降る者は生かす。だが、こう決めた者を無理に生かすことは、その者の誇りを踏みにじることにもなる。
必要な殺しだった。義誠は、静かに刀を抜いた。短いやり取りの末、武士は膝を折った。義誠は、その骸に、短く頭を下げた。誰に見せるためでもない、それだけの仕草だった。
城が完全に落ちると、伊東義祐は一族を率い、僅かな供回りだけを連れて、城を脱していた。
「義祐公は、米良の山中を抜け、高千穂へ向かわれた由。豊後の大友宗麟公を頼るおつもりでしょう」
物見からの報せに、義誠は、遠く山の連なる方角を見やった。
——史実の通りだ。義祐公は、ここで日向を捨てる。そして、大友宗麟が、その仇討ちを大義名分に、この地へ攻め込んでくる。
耳川の戦い。前世の記憶にある、その名が、頭の中で重く響いた。木崎原よりもさらに大きな戦が、そう遠くない先に待っている。
「追わずともよいのか」
次郎太が、そう尋ねた。木崎原の頃から幾つもの戦場を共にし、今では義誠の下でも古株となっていた男だった。
「追う必要はない。義祐公一人を討ち取ったところで、何も変わらぬ。それより、この日向の地に残る者たちを、これ以上乱さぬことの方が大事だ」
義誠は、城下に残された民の姿を見渡した。多くの者が、怯えた顔で、島津の兵の動きを窺っている。
「触れを出せ。投降した者、抵抗せぬ者には、手荒な真似は一切許さぬと。伊東の家臣であった者でも、恭順すれば、これまで通りの暮らしを保証する」
その触れは、瞬く間に城下に広まった。
城下の一角で、幼子を抱えた女が、義誠の前に膝をつき、震える声で訴えてきた。
「お、お助けを……夫は、伊東様の足軽として、槍を持たされておりました。ですが、決して悪しき心があってのことでは……」
「案ずるな。すでに武器を捨てておるなら、咎めはせぬ」
義誠は、それだけ答えて、女を立たせた。特別な情けをかけたつもりはなかった。ただ、必要のない者にまで刃を向ける理由が、どこにもなかっただけのことだ。
だが、女はその場で、何度も頭を下げた。周りで見ていた郷士の何人かも、その光景に、意外そうな顔を見せていた。義誠の名にまとわりつく「悪鬼」という言葉と、目の前の光景が、うまく重ならなかったのだろう。
「都於郡を落とした男が、意外なほど、民には優しいそうだ」
「敵将には容赦せぬが、降れば決して手を出さぬ、と」
「あれが、悪鬼の戦のやり方か……」
そんな声が、日向の各地で語られるようになっていった。恐れと、僅かな安堵が入り混じった評判は、やがて日向国全土に広がっていく。
義誠は、それを直接聞くことはなかった。ただ、都於郡城の跡地に立ち、静かに思う。
——伊東氏は、ここで終わる。だが、この先には、もっと大きな戦が待っている。
大友との決戦は、もう目前に迫っていた。
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あとがき
今回は、伊東氏本拠の陥落という大きな節目を、史実に沿って描きました。福永祐友・米良矩重の謀反という実際の記録を踏まえつつ、その裏に義誠の調略があった、という形で物語に組み込んでいます。
最後まで城に踏みとどまった若い武士との一幕は、義誠の合理性が届かない領域が、この世界には確かにある、ということを描きたくて入れました。彼はそれを否定せず、ただ必要な殺しとして受け止めます。投降兵は生かし、なお抗う者だけは討つ——この一貫した姿勢を、今回も貫かせました。
蔵人とのやり取りも、これまでの積み重ねがあってこそ書ける場面になったと思います。次話からは、いよいよ大友宗麟との対決、耳川の戦いへ向けて動き出します。
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