第十話 剣を抜かぬ調略
木崎原の戦から、五年の歳月が流れた。
天正五年。義誠は二十歳になっていた。
あの戦の後、島津は大隅の禰寝氏、肝付氏を相次いで降し、薩摩・大隅の押さえをほぼ固めていた。伊東義祐は、木崎原の敗戦以来、内々の統制を失い続け、家中の争いが絶えなかったという。義誠は、その顛末を、遠くから静かに見届けてきた。
——史実の通りだ。伊東は、この年のうちに崩れる。
だが、それを座して待つつもりはなかった。義弘の下で使番から一段格を上げ、境目の調略を任されるようになっていた義誠は、この五年の間、伊東領内に幾つもの伝手を作り続けていた。表向きは商人や修験者を装った者を送り込み、伊東家中の不満や、家臣同士の確執を、地道に拾い集めてきたのだ。
——刃を交える前に、勝敗の大半は決している。
前世の記憶にある、そんな考え方が、この時代でも通用することを、義誠はこの五年で実感していた。
「義誠、高原の城について、お主の見立てを聞きたい」
義弘の前で、義誠は絵図を広げた。
「高原城の城代、右松四郎左衛門殿は、義祐公への不満を、以前から漏らしておるとの由。飫肥攻めの恩賞に、いたく不満を抱いていると」
「寝返らせられるか」
「すでに、二月ほど前から、密かに文を交わしております。此度、我が方が兵を寄せれば、大した抵抗もなく、城を明け渡す構えかと」
義弘は、義誠の絵図をじっと見つめた。
「血を流さずに、城が落ちるということか」
「はい。城の兵を無駄に死なせず、こちらの兵も損なわぬ。何より、右松殿が寝返ったと知れれば、他の伊東方の城にも、動揺が広がりましょう」
——一つの綻びが、やがて全体を崩す。それも、前世で幾度も見てきた、乱世の理屈だった。
高原城への進軍は、義誠の見立て通りに進んだ。
城門近くまで軍勢が迫ると、右松四郎左衛門は、あらかじめの約定通り、大した戦いもなく城を明け渡した。伊東方の兵の中には、抗おうとする者も僅かにいたが、義誠は無理に討ち取ることをせず、投降を望む者には、退去の道を残した。
「殺さずとも、勝てる時は、殺さぬに越したことはない」
そう語る義誠の姿を、古参の郷士たちも、もはや驚いた顔では見なくなっていた。木崎原で味方を捨て駒とした男が、こうして血を流さぬ勝ち方を選ぶ——その両極端な振る舞いこそが、義誠という男を、より底の知れぬ存在にしていた。
高原城陥落の報せは、瞬く間に伊東領内を駆け巡った。
「高原が、戦わずして落ちたそうだ」
「城代が、島津に通じておったらしい」
「次は、我らの城かもしれぬ……」
義誠が五年をかけて撒いてきた不信の種が、ここへきて一気に芽を吹き始めていた。続く野尻の城でも、同様に城主が寝返り、伊東方の重臣たちは、次々と島津へ通じ始めた。
義祐の居城、都於郡城にも、動揺は及んでいた。
「もはや、伊東家に義理立てする者など、おらぬのではないか」
義誠は、戦場から離れた陣中で、そう呟いた。喜びの色は、その声にほとんど滲んでいなかった。
——五年をかけて崩したのは、城ではない。人の心だ。
刃を交えずに人を屈させることは、時に、真っ向から斬り合うよりも、深く重い。裏切りを促し、不信を煽り、一つの家が内側から崩れていく様を、義誠は誰よりも間近で見てきた。
——これも、必要な殺しの、一つの形なのかもしれない。
命を奪うわけではない。だが、ある家の誇りと結束を、根こそぎ壊すという意味では、これもまた、刃と同じ重さを持つ所業だった。
義誠は、遠く都於郡城の方角を見やった。史実の通りなら、この年の内に、伊東義祐は日向を捨てて逃げることになる。その先に待つ、大友氏との決戦——耳川の戦いも、そう遠くない。
——変えるのではない。歴史の中に、正しく立つ。
その誓いを、義誠は改めて、胸の内で繰り返した。
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あとがき
五年の時を一気に進め、物語をいよいよ伊東氏没落の局面へと動かしました。今回は、これまでの「合戦での采配」とは違う、調略という形の悪鬼らしさを描いています。血を流さずに勝つことは、一見優しく見えて、実は人の心を根底から壊す、もう一つの非情さでもある——そんな両義性を意識しました。
高原城・野尻城の寝返りは史実に沿った流れを踏まえつつ、その裏側で義誠が五年がかりで仕込んでいた調略という形で再構成しています。刃を抜かぬ勝ち方もまた、「悪鬼」の一面として積み重ねていければと思います。
次話以降、いよいよ伊東義祐の没落と、その先にある大友氏との対決へ向けて、物語を進めていきます。
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