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偽面葬送  作者: ぱぅむ
7/9

潮解-壱

 次の日。昨日までの血生臭い死闘が嘘のように、シンはきわめて普通の、高校生らしい土曜日を過ごしていた。

 午前中は学校の友達と他愛のない話で盛り上がり、少し遊んだ後に解散。今は一人で駅前のハンバーガーチェーン店に滑り込み、注文したチーズバーガーにかぶりついているところだった。

 (ん、うっめ〜〜……。やっぱマックのチーズは五臓六腑に染みるわ……)

 コーラで喉を潤し、平和な日常を噛み締めていた、その時。

 背後のボックス席から、何やら不穏というか、致命的に頭の悪い会話が聞こえてきた。

「……おい、お前ら。一応確認するが、本当に誰も財布持ってきてねぇのか?」

 声の主は、少し低めでツッコミ気質のありそうな男。シンが何気なく盗み見ると、水色の髪をした男だった。その周囲には、女が一人と、男が他に二人座っている。

「ありませぇ~~~~ん」

 両手をパッと広げて、悪びれもせず堂々と言い放ったのは金髪の女だ。そのアホ全開の返答に、今度は橙色の髪をした男が困ったように苦笑いを浮かべる。

「…はは、皆、外食の時くらいは持ってきた方がいいって、俺でもわかるよ?………あ、ちなみに俺も持ってない」

 ――スッ。

 橙色の男が爽やかに告白した瞬間、水色の男と女の腕が同時に上がり、男の目の前に綺麗な二本の中指が突き立てられた。

 シンは思わず、口に含んだコーラを吹き出しそうになる。

すると、今まで一言も発していなかった最後の男が、ゆっくりと口を開いた。黒い髪。他の三人とは明らかに一線を画す、静かで、どこか底知れない「強者の風格」を纏った男だ。その眼光の鋭さに、シンは背筋がわずかにピリつくのを感じた。

 その強者オーラを放つ黒髪の男は、淡々と告げた。

「……持ってきてない」

「お前もかよッ!!」

 水色の男の絶叫が店内に木霊する。

 チーズバーガーをもぐもぐと咀嚼しながら、シンは心の底から、ごくごく普通の一般論として思った。

 (……コイツら、絶対に外食しない方がいいだろ)

 店員に警察を呼ばれる一歩手前の、あまりに破綻していた。

(はぁ……。まぁ、しょうがねぇな)

 シンは食べかけのチーズバーガーを包み紙に戻すと、渋々といった様子でボックス席の仕切りから顔をぴょこっと出した。

 実は昨日の夜、桼たちと行った上野の位相の件で、高校生にとっては大金すぎる「34万円」という報酬が早くも口座に入金されていたのだ。今のシンは、財布の中身も心も、鼻が天狗のように高々と伸びきっている状態だった。

「あのさ、困ってるみたいだし、俺が代わりに払ってやるよ。伝票貸して」

 シンは懐に余裕のある大人の余裕(※高校生)を見せつけながら、すっと手を伸ばした。

 水色の髪の男は、突然現れた少年に一瞬不審そうな目を向け、低く呟く。

「…は?誰だお前」

 当然の反応だったが、その疑問を置き去りにするように、あの強者のオーラを放っていた黒髪の男が、無言のまま淡々とシンに伝票を手渡した。行動が早すぎる。



「あ、どうも……」

 そして会計を済ませるシンの後ろでは、とんでもないお祭り騒ぎが起きていた。

「あ~~~~~~~っ!!! 我らがかみさま~~~~~~~~~っ!!! ありがたや、ありがたや~~~~!!!」

 金髪の女が、レジの後ろで大袈裟に両手を合わせてシンを拝み倒している。店員や周りの客の視線が痛い。シンはあまりのうるささと恥ずかしさに必死に耐えながら、完全に彼女を無視して財布から万札を取り出した。

 会計を終えて店の外に出ると、水色の髪の男がシンに向き直り、少し真面目なトーンで声をかけてきた。

「おい。お前の顔は覚えた。……今回は助かった。今後、どうしても困った時、一回だけお前を助けてやる」

「え? ああ、うん。別にいいよ」

 シンは「何言ってんだコイツ」と首を傾げながらも、お祝い金で気が大きくなっていたため、適当に手を振り返して彼らと別れた。

 「一回だけ助けてやる」というその言葉が、ただの不審者たちのハッタリではないことを、どこかで理解していた。

その直後、シンのポケットの中でスマホがけたたましく振動した。

 画面に表示された文字は――『宵宮』。

「ぶふぇっ!?」

 その瞬間、シンの顔の全筋肉が一瞬でデレデレに緩んだ。

 昨夜の余韻も手伝って、高校生という時期特有の無敵無類の妄想バフが脳内で大爆発を起こす。

(待て待て待て、宵宮さんからの直電!? これはもしや……『二人きりで静かな場所でお話したいの』コースか、あるいは『実はシン君のことが、昨日から頭から離れなくて……』コースかッ!?)

 ――当然、そんな恋愛シミュレーションゲームのような展開であるはずがなかった。だが、跳ね上がる心臓を必死に抑え、シンはなるべく格好をつけた声を絞り出した。

「はい、藍原ですっ……!」

 ――そして、今。

 現実はシンの甘い妄想を無慈悲に打ち砕き、彼は組織の拠点の一室に呼び出されていた。

 しかも、二人きりではない。シンの隣には、頭を抱えたくなるような先客がいた。

 窓から差し込む昼下がりの太陽が、部屋の中を酷く、そしてやけに厳しく照らし出している。机を挟んで、宵宮がいつも通りの凛とした佇まいで書類を広げた。

「呼び出して悪かったわね、シン君。……実は、あなたの今後の成長という目的を兼ねて、とある依頼をあなたに任せたいの」

「依頼?」

 シンが表情を引き締めると、宵宮は静かに本題を切り出した。

「埼玉にある、とある古い廃棄工場よ。そこで最近、行方不明者が続出しているの。奇妙なことに、どれも一人になったタイミングで忽然と姿を消している。そして――何人もの人間が、その工場の中で『化け物』を見たと供述しているわ。中には発狂して、精神病棟に入院した人間もいるほどよ」

「精神病棟……。じゃあ、完全に邪神が絡んでるってコトすか…」

 シンがゴクリと唾を飲み込んだその横で、もう一人の同席者――浅葱サキが、魂の抜けたような顔で不満を漏らした。

「えぇ~~~、埼玉ぁ~? 遠いしめんどくさい。それ受けたら100%お酒飲めないじゃん??私パス、出ない出ない……」

 完全に駄々を捏ねる酔っ払い女。そんなサキに対し、宵宮はふっと妖艶な笑みを浮かべ、あらかじめ用意していた「特効薬」の言葉を言い放った。

「そう? 残念だわ。今回は貴方に『先輩として、新人であるシン君の同行』をお願いしようと思ったのだけれど……」

 ――カチッ。

 シンの耳には、明確にそのスイッチが切り替わる音が聞こえた。

 さっきまで死んだ魚の目をしていたサキの瞳に、ギラギラとした、恐ろしいほどのやる気に満ち溢れた光が宿る。

「……先輩??私が、先輩で…新人の、同行…」

 『先輩』という言葉。それこそが、この一見ただの酒乱女であるサキの理性を消し飛ばす、最強のトリガーだった。

 サキはバッと勢いよく立ち上がると、シンに向かって力強く親指を立てた。

「任せなさいシン君!! この偉大な先輩が!!その工場の邪神ごと、ぜーんぶボコボコにして守ってあげるから!!! ほら行くよ、ずんずん行くよっ!」

「うおっ!? ちょっと、引っ張るなって! 痛い痛い!」

 一瞬にして態度を豹変させたサキに腕をガシッと掴まれ、シンはそのまま引きずられるように部屋を連れ出された。

 宵宮の見送る笑顔を背中に受けながら、シンと、暴走状態の「先輩」サキの二人は、不穏な行方不明事件が続く埼玉の工場へと向かうのだった。

 


――埼玉、某所の廃棄工場。

 到着したシンが最初に抱いた感想は、「拍子抜け」だった。

 行方不明者が続出し、目撃者が発狂したという曰く付きの場所だというのに、外観からは禍々しい気配など微塵も感じられない。むしろ、廃棄工場にしては不自然なほどに静かで、綺麗に片付いているようにさえ見えた。

「……なんか、静かすぎね?ほんとに邪神いんの…?」

 シンが首を傾げながら隣を見る。そこにいたのは、いつもの泥酔した姿からは想像もつかないほど、真剣な眼差しをしたサキだった。

 やはりシラフのサキは違った。初対面の時のあの醜態が嘘のように、背中から漂う雰囲気が頼もしい「先輩」のそれへと変貌している。

 サキは工場の前で立ち止まると、精神を集中させ、小声で何か不気味な呪文を唱え始めた。

 直後、大気が微震を始める。

 視界がぐにゃりと歪んだかと思うと、みるみるうちに空が混濁した禍々しい「赤」へと染まり、周囲の景色が『位相』へと塗り替えられていった。

 サキはくるりとシンを振り返り、これ以上ないほどのドヤ顔を浮かべる。

「ふふん、どうよシン君! 私にかかれば位相の展開なんて朝飯前だよ、 まぁ、シン君もそのうち位相の作り方くらい覚えるよ。……っていうか、あの宵宮さんに直接教えてもらえるんじゃない?」

「…酒入ってなくてもウザいな、この人…」

 宵宮の名前を出されて少し顔を綻ばせつつも、シンはサキの後に続いて工場の重い鉄扉を押し開け、内部へと足を踏み入れた。

 しかし、位相の中であるにもかかわらず、工場内に邪神の姿は見当たらなかった。それどころか、あの特有の悍ましい気配さえ、驚くほどに希薄なのだ。

「……おかしいね。何も感じない。隠れてるのかな」

 サキが綺麗に整えられた眉をひそめながら、工場の奥へと進んでいく。

 そして、薄暗い製造ラインの影に差し掛かった時、サキの足がピタリと止まった。

「……シン君、これ」

 サキの視線の先――そこには、一人の従業員の死体が横たわっていた。

 だが、その死に様はあまりに異常だった。上半身は作業着を着た人間の形を保っているが、下半身が丸ごと、熱したザラメのようにドロドロの液体へと溶け落ちているのだ。原型を無くした身体だったモノが、床の溝へとぽたぽた、ぽたぽたと音を立てて滴り落ちていた。

 シンは胃の奥からせり上がる不快感に耐えながら、死体の胸元を凝視する。

 そこには、血液と濁った液体に塗れた名札ピンが、辛うじてその文字を留めていた。

「……『山寺』……。ここの従業員の人だ。…これ、邪神の力だよな?」

「間違いないね。…陰湿で、冒涜的な溶け方。」

 サキはポケットから小型のデジタルカメラを取り出すと、それをシンへと手渡した。

「これ、提出する証拠用。シン君、このカメラでいろんな角度から写真撮っておいて。この大先輩サキが周りを警戒してるから」

「分かったよ…」

 シンがカメラを受け取り、レンズを山寺と呼ばれた死体へと向けた、その直後だった。

 ――ガサリ。

 サキの身体が、弾かれたように戦闘態勢へと移行した。その瞳から、先ほどまでの余裕が完全に消え失せる。

(……聞こえる)

 工場の奥、鉄骨が入り乱れる暗闇の向こうから。

 引きずるような化け物の足音ではない。

 コツン、コツン、と規則正しく響く――紛れもない「人間の足音」が、二人のいる場所へと確実に近づいてきていた。

鉄骨の影から姿を現したのは――一人の青年だった。

 色素の薄い、灰色の髪。どこか虚無的で、それでいて酷く軽薄な眼差しが、シンとサキの二人を捉える。

「……あっ、マジで来た! 安居院の言うことは難しいけど、やっぱり信じるべきなのかなぁ」

 灰色の髪の男は呑気な声を上げながら、片手で引きずってきた「何か」を、シンの足元へ向けて無造作に放り投げた。

 ――ぺしゃっ。

 肉塊が潰れる嫌な音が響く。それは、上半身の原型すらほぼ失いかけてドロドロに溶けきった、つい先ほどまで人間だったものの残骸だった。

「っ……!」

 シンが息を呑む。男はその凄惨な光景を前に、まるでゴミでも捨てたかのようにケラケラと笑いながら、シンの目を真っ直ぐに見据えた。

「ねぇ、大人しくしてくれれば、そこの泥みたいに苦しまず楽に溶かしてやるよ? ――藍原シン。」

 その口から自分の名前が飛び出した瞬間、シンの全身に鳥肌が立った。なぜ、初対面の男が自分の名前を知っている。

 即座に、サキがシンの前に割って入るように立ち塞がった。その背中からは、先ほどまでのドヤ顔が完全に消え失せ、本物の殺気が立ち上っている。

「……ちょっとお喋り男くん、なんであんたがシンの名前を知ってるわけ? それに『安居院』ってのは誰? ――あんたは何者?」

 サキの鋭い問いかけに、灰色の男は困ったように頭を掻いた。

「うわぁ、初対面で質問攻めとかさぁ、女の子として辞めた方がいいんじゃない? モテないよ?」

 男はクスクスと肩を揺らす。

「俺はさ、生まれた時からずーっと周りから嫌われてた存在だから、本名なんてないんだよね。……あ、でも、安居院が付けてくれた名前ならあるかな。――俺は『羅刹らせつ』」

 自らを羅刹と名乗った男の瞳に、ドロリとした明確な殺意が宿る。

「で? まだ答え貰ってないよ俺。大人しく溶かされるか、それとも戦って、ここでそいつらみたいにドロッドロになるか。……どっちか選んでくんない?」

 サキは怯むことなく、自らの体内の邪神の力を爆発的に高めながら言い放った。

「選ぶわけなくない?脳みそ空っぽなのは分かったから、そいつのこと教えてよ」

「あはは、言うわけないじゃん。逆にさ、俺が『宵宮』とかいう女のことを聞いたら、お前らは優しく教えてくれんの? って話。……あ、でも、あいつは有名すぎるから今更聞くまでもないか。今のなしなし」

 羅刹は一人で納得したように手を振ると、表情を消した。

「じゃあ、交渉決裂ってことね」

 一歩。羅刹が距離を詰めてくる。

 足音が響くたび、工場のコンクリートの床が、まるで熱を帯びたようにドロドロと油を流して溶け始めていた。

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