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一章 4-1

 4


 同日、夕刻。

 仕事部屋で帳簿を付けていたエルトは、ペンを置いて大きく伸びをした。覗き込んだカップは既に空で、空腹を覚えて立ち上がる。そろそろ夕餉(ゆうげ)の支度をしなければならない。

 リムが言っていたとおり、雪は朝のうちに止んだ。その後は晴れていたので大分とけている。明日も晴れるようなら、リムとルインに留守番を頼んで納品と買い出しに行こうとエルトは考えていた。お遣いにかこつけて追い払った四人組は信用に値しない。まだ戻ってきていないが、エルトとしてはこのまま戻らないことを祈りたい。

(さて、何を作るか……)

 ルインとは昼食後からは顔を合わせていない。随分、回復したとは言え、今日くらいは寝ていろとエルトが散々繰り返したので、大人しくしているのだろう。

 空のカップと明かりを手に部屋を出て食堂へと向かう。階段を下りながら、そういえばリムの姿も見ていないと思い出す。彼女は普段、エルトの都合はおかまいなしに、気分で現れては好き勝手に喋っていく。リムは良くも悪くも己の倫理でしか動かないので、いくらエルトが口を酸っぱくしても無駄だ。

 今はルインがいるのでそちらへ行っているのかもしれないが、睡眠の邪魔をしていないといいと思う。

「……?」

 一階に下りて、なんとなく空気が違う気がしてエルトは眉を顰めた。相変わらず人の気配はないのだが、いつもと違う気がする。

 ルインがいるからだろうかと首を捻りつつ食堂の扉を開けて、明るいことにまず驚いた。基本的に、明かりは必要なところにしか灯さないので、日が沈むと塔の内部は真っ暗である。リムは夜目が利くらしく、明かりを点けることはない。

 そして、暖炉に火が入っていて部屋が暖まっているのと、漂う美味しそうな匂いに、半ば確信しつつ台所へ抜ける。そこには予想に違わず、玉杓子を片手に鍋を覗き込んでいるルインの姿があった。

 驚くでもなく振り返ったルインが鍋をかき混ぜながら言う。

「できたら呼びに行こうと思っていたのだが」

 調理台の上にある大皿には茹でた野菜が盛られ、焼きたてのパンがバスケットに積まれている。くつくつと音を立てて煮えている鍋の中身はシチューらしかった。料理をすると言っていたのは本当だったらしい。

「……これ、全部ルインが作ったのか?」

「眠る努力はしたのだが、一度覚めるとすっかり目が冴えてしまって、することがなかったから。厨房を使っていいか訊くべきだったな。すまない」

 エルトは無言で首を左右に振り、両手でルインの手を取った。驚いた様子で目を瞬くルインには構わず、期待を込めてエルトは告げる。

「あんた、うちで働かねえ?」

「はたらく?」

「ああ、人の作った飯なんて何年ぶりだろう! 奇跡だ! 素晴らしい!」

「……両親が旅に出たのは半年前と言っていなかったか?」

 問われてエルトははたと動きを止めた。いろいろな記憶が蘇って顔を背け、ルインの手を放して目頭を押さえる。

「炊事は……十のときから……」

 何かと忙しそうにしていた両親に代わり、家事全般は父の弟子だった人が担ってくれていた。エルトはその人から家事を教わり、彼女が独立して出て行ってからは必然的に家のことをするようになった。以来、他人の手料理など縁遠いものだ。

 ルインは何やら憐れむような悲しげな複雑な表情になり、すまなそうに言う。

「…………。余計なことを訊いた」

「ううん……いいんだ」

 目元を拭ってから、エルトは顔を上げた。

「それよりルイン、行く宛はあるのか? なければうちで働かないか、(まかな)いさんとして。いや、家政夫として」

 期待を込めて見つめると、幾分気圧された様子でルインは頷く。

「か……考えておく」

「前向きに頼む。――腹減った、これ運べばいい?」

「ああ、頼む」



 料理を食べながらルインが口を開いた。

「さきほどの話だが」

 スプーンを口から引っこ抜き、エルトは首をかしげる。

「さきほど?」

「家政夫として働かないかという」

「おお。条件は住み込みで三食付き、給料は」

「待ってくれ。働くのは無理だ」

 勢いで契約してしまいたかったのだが、断られてエルトは肩を落とした。予想はしていたが淡い期待もあっただけに、はっきりと言われるとやはりがっかりする。

「そっか……やっぱ無理か……」

「……そこまで落ち込まれると断りづらくなるんだが」

「じゃあうちで働いてくれ。西の人だって稼がないと食っていけないだろ」

「すまないが、本当に長居はできないんだ」

「なんでだよ」

 一呼吸の間沈黙し、ルインは言葉を選ぶようにしながら話す。

「妹たちが……私を亡き者にしたい連中が、私を捜している。本当は今すぐ出て行くべきなんだが、朝までいさせてくれ」

「そりゃ構わないけどさ……そんな急ぐこともないだろ。完治したわけじゃねえぞ」

「傷はエルトが治してくれただろう」

「俺は完治っつったの。治癒術は、傷は塞げても体力までは戻せないんだ」

 一般的な治癒術は、傷を負った本人の自己治癒力を高めて怪我を治すため、被術者を疲弊させる。施術者の力を分け与える術も存在するが、エルトが使えるのは前者だ。いくらルインが丈夫だからといって、人間ならば致命傷になり得る傷を幾つも塞いだのだから、消耗しないはずがない。

「妹は私が生きていると知っている。今頃、血眼で捜していることだろう」

「こんな辺鄙(へんぴ)なとこ、そうそう見つかんねえよ。ほとぼりが冷めるまで隠れてけば?」

 目を伏せてルインはかぶりを振った。

「……ほとぼりは、冷めない」

「――…」

 それはどういう意味だと問い返す前に、ルインは話を進めてしまう。

「妹が私を見つけてからでは遅い。君を巻き込みたくはない」

 ルインの懸念が、彼自身ではなくエルトの上にあると知って、エルトは眉を寄せた。

「俺を巻き込むことが心配で出て行くっつってんなら、気にしなくていいぞ。全快するまで休んでけ」

「そうはいかない。見つかれば、妹はきっと君を手に掛ける」

「なんでだよ。妹さんには俺を殺す理由ないだろ。まさか、あんたと関わった奴は皆殺しだってのか?」

「……近いものがある」

 呟いたルインの表情に、冗談を言っているような色はない。エルトは思わず顔を引き攣らせる。

「マジでか。愛されてんなオイ」

「愛のうちに入るのだろうか」

 軽口のつもりだったのだが、深刻な表情で返されてエルトは一度口を噤んだ。話を変えることにする。

「妹さんは、なんでルインの命を狙ってるんだ?」

「私が持っている……、あるものを欲しがっている」

「あるもの? ……ってのは、ルインの命ってことじゃねえだろうな」

「違う。だが、私を殺さないと手に入らないものだ」

「なんだそりゃ。跡目争いでもしてんのか?」

「似たようなものだな」

 呟くように言い、ルインはそれきり黙ってしまった。これ以上話す気はないようなので、エルトは話を戻す。

「とにかく、さっきも言ったけど、あんたを見つけるには、まだかかるだろ。見つかっても大丈夫だ、野盗対策はしてある。人里離れたところにあるからな」

「……妹は、野盗だろうか」

 野盗とルインの妹を同列にするわけではないと、エルトは慌てて撤回した。

「あ、いや、妹さんが野盗ってわけじゃなくて。不審者……でもなくて、ならず者……ううん?」

 エルトが言葉を探していると、微かに笑みを浮かべ、ルインは首を左右に振る。

「いや、妹に比べれば賊など可愛いものだ。――対策とは、具体的にどのような?」

 エルトは人差し指で宙に図を描きながら説明した。

「塔を中心に、屋上から見渡せる範囲は、ぐるっと見えない壁に囲まれてる。ばーちゃんが作ったらしいんだけど、敵を弾くんだって。球状らしいから、空とか地下とかから来ようとしても無駄だってさ」

「敵をどうやって識別しているんだ?」

「悪意か害意か、そんなのに反応するって父さんは言ってたけど……仕組みは謎。俺も、引っかかったのは一回しか見たことない。でも、ちゃんと発動するのは間違いない」

 父は祖母から教えられたらしいが、再現はできないと言っていた。エルトも父から伝え聞き、術式を解析しようとしたことがある。しかし、仕組みはなんとなくわかっても、やはり再現することはできなかった。

「だから、妹さんがあんたを狙ってる限り、弾かれる。せめて二、三日は休んでけって。またすぐ倒れたらどうすんだよ」

 エルトに他意はないのだが、何故かルインは微かに表情を和らげた。

「優しいんだな」

「ばっ……違ぇよ! 俺は俺の努力を無駄にされるのが嫌いなだけ! 大体、今のあんたを放り出したら、俺が血も涙もない鬼みたいじゃないか」

 妙な気恥ずかしさが込み上げて早口で否定し、エルトは立ち上がった。

「ごちそうさま。片付けは俺がやるから、置いといて。この上片付けまでやったら本当に家政夫に認定するからな」

 言い置き、エルトはルインの顔を見ないようにしながら食堂を出る。

(ったく、優しいってなんだよ。俺は俺のためにしか動かねえっつの。優しくした覚えなんてないっつの)

 胸中で呟きながら階段を上る。帳簿付けを終わらせてしまおうと、仕事部屋へ向かった。


       *     *     *


 ルインは翌朝、暗いうちに起き出した。引き留めてくれたエルトには悪いが、やはり妹のことを考えると、留まるわけには行かない。

 ありがたいことに、ルインが着ていた服は綺麗に洗濯して(つくろ)ってあった。書き物机にあった筆記具を拝借して短い書き置きを残し、音を立てないように部屋を出る。夜目が利くので明かりは必要ない。

 地階まで降りると、不意に頭上から声が降った。

「行くの?」

 足を止めて見上げれば、二階の回廊から身を乗り出すようにしたリムの姿があった。彼女はひょいと手摺りを乗り越え、ルインと同じ高さまで舞い降りてくる。

「まだ本調子じゃないのに」

「リムさんにも世話になった。エルトに、私が謝っていたと伝えてくれ」

「どうしても?」

「どうしても。留まればその分、エルトを危険に晒すことになる」

 リムはくるりと身を翻し、ルインに顔を近付けて、にこりと――否、にやりと笑った。

「決意は固いのね。でも、あなたはもう伝説に触れたわ」

 やはりリムの言葉は要領を得ない。答えてくれないかも知れないと思いつつ、ルインは問うた。

「……君の言う『伝説』とは、一体なんのことだ?」

「伝説は伝説よ。言い換えましょうか? 後世まで語り継がれる者。(ことわり)の根幹に触れる者。世界を動かす力を持つ者。なんでもいいわ」

 思わず瞠目するルインへ笑顔を向け、リムは続けた。

「一度伝説になると、しばらく続くのよね。そういう、伝説級の大きな出来事を引き寄せるから、なかなか切れないの」

「引き寄せる……とは?」

「英雄ばっかり出る血筋ってあるでしょ? あれが一番わかりやすい例よ。英雄になるには大きな手柄を立てないといけない。でも、そんな手柄になりそうなこと、そうそうないでしょ」

「それを、呼んでしまう?」

「そう。向こうから転がり込んでくるようになるわ。未経験者より経験者に当たりたいのは、なんでも同じだもの。人じゃなくてもね」

「事象に意思があるように聞こえるな」

「意思はなんにでも宿るわ。意思を持たないものなどない。人にとっては見えている世界がすべてだけれど、世界はそれがすべてではないのよ」

 話の内容が可憐な少女の姿と結びつけ難く、ルインは改めて尋ねた。

「君は、何者なんだ」

 問うた瞬間、周囲の空気が一変した。奇妙に表情の抜け落ちたリムの双眸だけが炯々(けいけい)と、吸い込まれそうな輝きを放つ。

「我はこの世界の理の端。歴史の監視者」

 厳かに告げてから、一転、リムは満面の笑みを浮かべた。張り詰めていた空気は砕け、彼女は楽しげに宙返りをする。

「なーんてね。あたしは地霊のリムさんよ」

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