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一章 3-2



 食事は粛々と進んだ。スープ皿の中身が半分くらいに減るまで待ってもルインが何も言わないので、エルトはこちらから質問することにした。

「……あのさ、ルイン」

 声をかけると、ルインはパンを食べる手を止めて顔を上げた。

「なんだ?」

「あんた、なんであんなとこで倒れてたんだ? どこで怪我したんだよ」

 ルインの怪我は、今こうしているのが不思議ほど酷かった。毒矢がなくても、人間だったら間違いなく死んでいただろう。

 西から来たのであれば船を使ったのだろうし、その場合、最短でも半月はかかるはずだ。船に乗る前にあれだけの傷を負ったなら、いかな魔人とて命はないに違いないし、ルインの傷は負って間もないようにエルトには見えた。第一、倒れていた場所もおかしい。繕工の塔が建っている場所は、内陸とは言えないまでも海に近くもない。

 少し考えるような間を置いて、ルインが口を開いた。

「傷を負ったのは西でのことだ。殺されそうになったから逃げて、ここの近くで力尽きた」

「……待て待て待て。あの怪我全部海を越える前に?」

「ああ」

「いや、おかしいだろ。あんな怪我で船乗ったら死ぬだろ」

「船には乗っていない。飛んできた」

「飛べんの!? 空を!?」

 思わず声を上げれば、ルインは小さく首肯した。初耳だとエルトは感心する。

「魔人って飛べるのか……すげえな」

「西の者が全員飛べるわけではないが。君は飛べないのか?」

「飛べない。そんな魔法は知らねえし、東の人間は普通……」

 ルインの言葉を聞いて、エルトはようやく自分の失言に気付いた。

「……あ、さっきから魔人って、ごめんな」

 意外そうに僅かに眉を上げ、ルインは首を左右に振る。

「構わない。東の人間にとっては、西の住人は魔人で魔物だろう」

「でも、いい気分はしねえだろ」

 魔人や魔物というのは、人間が意図的に西を貶めるための言葉だ。エルトはこれまで西の住人に出会ったことがなかったので考えなしに遣っていたが、ルインを見る限り、身体が異様に頑丈であること以外は、人間とそう変わらないように思える。今後は遣わないようにしようと内心で己を戒めつつ、エルトは話を元に戻した。

「しかし、殺されそうになったってあんた、何があったんだよ。誰にやられたんだ? 毒矢使うなんてあくどいな」

「――…」

 ルインは答えず、手にしたままだったパンをぱくりと食べた。それに倣うわけではないが、エルトもパンを食べる。

 考えるための時間稼ぎだったらしく、パンの欠片を飲み込んだルインはぽつりと落とすように呟いた。

異母妹(いもうと)だ」

「いも……は?」

 一度では飲み込めず、エルトは聞き返した。ルインが繰り返す。

「妹」

「妹!?」

「正確には、妹が率いる一派だが」

「な……なんで妹が殺しに来るんだよ。妹なんだろ?」

「腹違いだがな。年が離れているし、一緒に暮らしたこともないから、あまり兄妹という感じはしない」

「いや、でも……俺、きょうだいはいないから、わかんないけど。よっぽどのことがないと、家族を殺そうなんて思わなくねえか?」

 再びルインが黙ってしまい、エルトは返事を待ちながら食事を進めた。食べ終わっても動かないので答えたくないのだろうと解釈し、話を変える。

「ルインのきょうだいって妹さんだけなの」

異母兄(あに)がいたが、死んだ。他にはいないはず……」

 言葉を途切れさせてルインが視線を滑らせた。何か見つけたのだろうかと振り返りながらエルトは問う。

「どした?」

「来客のようだ」

「客?」

 問い返したのと同時に表の扉を叩く音が聞こえてエルトは立ち上がった。

「ほんとだ。あんた、耳いいな。――仕方ない、話の続きは後でな。完治してないんだから、部屋に戻って大人しく寝てろよ」

 言い置いてエルトは出入り口の大扉へ向かった。外側から叩いているらしい音は断続的に響いている。扉を叩き壊す気かと胸中で悪態をつきながら、エルトは声を投げた。

「はいはい、今開ける」

 (かんぬき)を外し、扉を開けるとそこに立っていたのは四人の男女だった。最年長らしい青年、エルトと同じか、やや年上に見える少年と少女が一人ずつ、性別のよく分からない子供が一人、という組み合わせだ。

「……どちらさん?」

 様子を窺っていると、キャラメル色の髪を後頭部の高い位置で括っている少女が、あからさまな作り笑いを浮かべた。

「こんにちは。お弟子さんかしら。メルヒオールさんはいる? それとも、一人でお留守番かな?」

 (あなど)っていることが明白の口調が(しゃく)(さわ)り、エルトは返事をしなかった。彼女は小首をかしげて続ける。

「えっと、メルヒオールさんっていうのは」

「あんたの言うメルヒオールが、ここに住んでる繕理術師って意味なら、それは俺だ」

「ええ? 君が? まさか。冗談が上手いのね、おチビさん」

「帰れ」

 信じようとしない少女を切って捨て、エルトは扉を閉めようと手をかけた。しかしそれは青年に阻まれる。

「待ってくれ。メイア、失礼だろう」

 メイアと呼ばれた少女は、目を丸くして青年とエルトを見比べた。

「だってトロン……え? 本当なの? こんな小さい子があの有名な繕工? 嘘でしょ」

 青年――トロンという名らしい――が片手で止めているだけなのに、エルトが両手をかけて力を込めても扉は動かない。どうにか閉めようと四苦八苦していると、不愉快な少女は青年を見上げた。

「だってこの子、フラムとそんな変わらないように見えるわよ。それなのに伝説の繕工だなんて信じられる?」

「いいから黙って。――連れが失礼したね」

 申し訳なさそうに言うトロンを見上げ、エルトは目を眇めた。

(しつけ)がなってねえぞ。保護者ならちゃんとしろよ」

「な……! むぐ」

 反駁しようとしたメイアの口を、少年がすかさず塞いだ。トロンが柔らかい笑みを浮かべ頭を下げる。

「面目ない」

「むー!」

 エルトは鼻で笑った。

「別に謝って貰わなくてもいい。……手を放せ」

 トロンは穏やかな笑みを浮かべながらも、しっかりと扉を押さえている。思い切り睨んでやっても、毛ほども動じた様子を見せない。

「無礼な態度は幾重(いくえ)にもお詫びする。どうか、頼みを聞いてくれないだろうか」

「断る」

「そこをなんとか」

「ならない。帰れ」

「聞いてくれる代わりに、できる範囲でなんでもしよう」

「おまえらに頼むことなんてねえよ」

「そこをなんとか」

「ならねえっつってんだろ、しつこいな」

「そうか……仕方ない」

 トロンは残念そうに言うと、扉から手を放して腰に帯びている剣を抜き放った。いきなり武器を出されてエルトは身構える。

「……なんの真似だ」

 優しげな笑顔はそのままに、トロンは剣を、口を塞がれたままのメイアへ向けた。

「君に危害は加えないよ。メイアの腕一本で許してくれないだろうか」

「は?」

 彼の言葉には、エルトと同じくメイアも目を丸くした。トロンは笑みを消すと哀しげな表情で剣を振りかぶる。

「シエル、そのままメイアを押さえていてくれ。――僕には、もうこうするしか」

「むむー!」

「やめろ!」

 迷いのない勢いで剣が振り下ろされ、メイアのくぐもった悲鳴とエルトの声が重なった。刃はメイアの腕の付け根に紙一重を残して止まる。あまりのことに、初対面だということも忘れてエルトはトロンを罵った。

「なっ……何考えてんだてめえ! いくら詫びだからって連れの腕ぶった切る莫迦(ばか)がどこにいる!」

 剣を納め、何事もなかったような笑顔でトロンは言う。

「ありがとう、止めてくれて」

「やかましい! もう帰れ! 二度と来んな!」

「何故だい? 止めてくれたということは、許してくれたということだろう?」

「どう好意的に解釈してもそうはなんねえよ!」

 怒鳴りつければ、トロンはやはり哀しそうに剣の柄に手をかけた。

「じゃあやっぱり……」

「その頭を変えやがれ阿呆。その莫迦女の腕貰ったって俺はまったくもって嬉しくねえ」

「んむぅ!?」

 メイアの不服そうな声は無視し、トロンは首をかしげる。

「じゃあどうすればいい?」

「どうもしなくていい。帰れ今すぐ」

「それ以外で」

「帰れっつってんだろ」

「では、首かい? 首はちょっと、さすがに……」

「要るかー! 詫びだって首を差し出されて喜ぶのは恐怖政治の暴君くらいだボケ! もっと常識で考えろ!」

「常識……」

 呟いて少しの間考えるような素振りを見せ、トロンははっと顔を上げた。懐から何かを取り出す。

「持ち合わせは、今これしか」

「ちーがーうー。なんでおめーは発想がいちいち闇属性なんだよ! なんでも金で解決すると思ったら大間違いだからな!」

「そうか、つまり……五体投地だね?」

「もう黙れよハゲ。――つか、おまえとおまえも、止めろよ」

 シエルと呼ばれた少年と、さきほどから一言も喋らないもう一人に言えば、二人は顔を見合わせて何やら諦めた様子でかぶりを振った。止める気はないらしい。

 トロンは真顔になって続ける。

「ハゲ呼ばわりは甘んじて受け入れよう。今は禿げていなくとも、おれが将来禿げない保障はないからね」

「うっせえよ。もー、どうしたら帰ってくれんだよ」

「僕たちの頼みを聞いてくれれば今すぐにでも」

「ふ、ざ、け、ん、な!」

 握り締めた拳が怒りのあまりにばちばちと小さな雷を放ち、感情のままこの青年を全力で吹き飛ばしてやろうかと考えるが、それをすれば残りの三人に袋叩きにされそうだと、辛うじて残った冷静さで思い直す。深呼吸を繰り返して気を落ち着かせ、エルトは一つ提案した。

「……わかった。ちょっとお遣いしてきてくれ」

「お遣い?」

「買い物だ。ここから東に半日くらい行ったとこに村がある」

「ああ、ここに来るときに通ったね」

「なら話は早い。そこの雑貨屋で、メルヒオールの冬籠もり用って言ったらわかるから。それ買って運んできてくれたら……あと」

 言いさしてエルトはやめた。納品も頼もうかと思ったのだが、素性も知れない四人に仕事の品物を託すわけには行かない。

「……いや。買ってきてくれたら、聞いてやるよ。代金は立て替えといてくれ」

「それだけでいいのかい?」

「ああ。とっとと行け。むしろ消えろ。そのまま戻って来んな」

 エルトの言葉の後半は聞いていないようで、トロンは安堵した様子で笑んだ。

「お安いご用だ。すぐに行ってくるから、待っていてくれ」

 言い、四人はぞろぞろと引き揚げていった。どうしようもなく疲れ、エルトは肩を落として扉を閉める。のろのろと閂を渡していると、ひょいとリムが現れた。

「今の子たち、面白いもの持ってたわよ」

「面白いもの? つか、リムさん。見てたんなら追い払ってくれたって」

 見上げるエルトににこりと微笑み、リムは空中で一回転する。

「あたしが追い返したんじゃ駄目よ。エルトじゃなきゃ」

「そんなことないだろ。……ああもう、本当に二度と来ないでくれねえかな」

 溜息をつきながら、エルトは足を引きずるようにして食堂へ戻った。

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