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一章 3-1

3


 ルインの熱は二日ほどですっかり下がった。大きな傷は治癒術で塞いだとはいえ、驚異的な回復力だとエルトは感心する。包帯の下にあったはずの小さい傷も殆ど綺麗になっていた。

 手当を終えて服を着直しているルインの横で道具を片付けながら、エルトは横目で彼の様子を窺う。つい二日前に死にかけていたとは思えない。

 視線に気付いたらしく、ルインがふと顔を上げた。

「話を聞かせて貰えるか」

 回復したら話すという約束なので、エルトは頷いた。救急箱の蓋を閉めて立ち上がる。

「朝飯の後でな。運んでくるからちょっと待ってろ」

「それには及ばない。食堂まで行くよ」

 かぶりを振りながら立ち上がったルインを見上げて、エルトはやや()()った。

 口惜(くちお)しいことに、エルトの目線はルインの肩にぶつかる。替えの服は父親のものを引っ張り出してきて着せたのだが、明らかに袖と裾が足りていない。エルトの父は特に小柄ではないので、ルインが長身なのだ。加えて、ルインは同性のエルトから見ても恐ろしく整った顔をしている。――つまり、外見は非の打ち所がない。

 エルトは少々のやっかみを込めて言う。

「西の魔人ってのは、みんなあんたみたいに綺麗な顔してんのか?」

 ルインは特に驚く様子は見せず、しかし、ややぎこちない動きでエルトを見た。

「……西の者は、東では憎まれていると思っていたが」

「そりゃ、戦してたからな。西の連中も東の人間が嫌いだろ。でも、俺は別に、魔人だからって理由で雪ん中に蹴り出すことはしない――そうか、だから最初の質問が『どうして助けてくれたのか』だったのか。今わかった」

 今、エルトがいる大陸の遙か西方、海で隔てられた先に、別の大陸がある。こちら側は人間が支配し、西には複数の長命種が住まう。そして遙か古から、まるで何かにそう決められているかのように、世界の覇権を争う戦を繰り返しているのだ。ゆえに大陸間に友好的な交流は殆どなく、人間たちは西の生き物を「魔人」「魔物」と忌み嫌い、西の者は人間を「蛮族」と蔑んでいた。先頃も大きな戦があり、数年前に双方痛み分けの形で一応の終結を見たばかりである。

「どうしてわかったのか訊いても?」

「うん? 人間は、致死毒が塗ってある矢を二本も喰らって生きていられるほど丈夫じゃねえし、あれだけの傷が二日で消えたりしねえんだ」

 エルトは唇の端だけで笑った。

「まあ、俺個人はあんた個人に恨みはない。で、せっかく手当てした怪我人を放り出すような無駄なことはしない。了解?」

「……理解した」

「よし。じゃあ飯にしよう。無理はすんなよ、また看病させられるのはごめんだからな」

 釘を刺し、エルトはルインを伴って客間を出た。この部屋は五階建ての塔の二階にあり、エルトの部屋も同じ階にある。台所や食堂、居間などは一階で、部屋数が多すぎて三階から上は両親の部屋以外は(ほとん)ど使われていない。

 階段を下りていると、吹き抜けからふわりとリムが現れた。

「おはよ、エルト。ルインも」

 口々に挨拶を返す二人に笑み、リムはふわふわとルインの頭上へ移動する。

「ルインはもういいの?」

「ああ。世話をかけた」

「よかったわ、元気になって。これでエルトに邪魔されずに済むわね」

 心外だとエルトはリムを見上げた。

「別に邪魔したんじゃねえよ、熱出して寝込んでるのに横で騒いだら治るものも治らないだろ。大体、リムさんは何もしてないじゃんか」

「そんなことないわよ、エルトのこと応援してあげたじゃない」

「……まったく応援された記憶がないんだけど」

「残念だわ、気付かなかったのね」

 ああ言えばこう言う、とエルトは目を眇める。その視線には気付かない様子で、リムはルインの隣に並んだ。顔を覗き込むようにして言う。

「話を聞かせて、ルイン。質問でもいいわよ、なんでも答えてあげる」

 リムに迫られ、ルインは困ったようにかぶりを振った。

「……今は、特に。話ならエルトとすればいい」

「あたし、エルトは生まれる前から知ってるから、もう特別に話すことはないのよ」

「生まれる前から?」

 ややこしくなりそうなので、エルトは二人に割って入った。

「リムさん。俺たち今から朝飯なんだ」

「あらそう。じゃあ、食べ終わった頃にまたね」

 あっさり言い、リムは姿を消した。不思議そうにしているルインに、エルトは説明する。

「昔、食事中は話しかけんなって、ばーちゃんに死ぬほど怒られたんだってさ。だから、なんか食ってると出て来ないし、飯時(めしどき)はどっか行っちまうんだ」

「なるほど。リムさんは食事をしないのか?」

「らしい。格好もあんなだし、暑いとか寒いとか腹減ったとか、そういうのとは無縁なんだろ。呼吸も必要ないんじゃないか?」

 答えてからふと気付き、エルトはルインを見上げた。

「あんた今すげえ自然に『リムさん』っつったな」

「そう呼べと言われたから」

「素直だな……なんだよ、もう話してんじゃん」

 エルトがいくら立ち入り禁止だと言っても、リムが聞くかは彼女の気分次第だし、場所を選ばず出現できるのでエルトの目を盗む必要もない。ルインが回復したからよかったが、とエルトはこっそり息をついた。

「君のことを生まれる前から知っていると言っていたが、彼女は幾つなんだ?」

「さあ? 父さんが物心ついたときには既にいたらしいし、ばーちゃんのことも知ってるし……少なくとも一〇〇年以上は生きてると思うぞ。あの状態を生きてるって言うのかは知らないけど。――あんたこそ、年は?」

 やや躊躇う様子を見せて、ルインは数字を一つ答えた。

「……二五六。多分」

「多分かよ。まあ、見た目通りってとこか」

「驚かないんだな」

「魔人だって知ってるっつったろ。人間の十倍くらい生きるんだっけか? なら、人間換算で十分の一。妥当だろ」

「そうか」

 表情を動かさず頷き、ルインが問い返してくる。

「君は幾つだ?」

「十五」

「親は?」

「半年くらい前に旅に出た。俺が十五になると同時に」

「では半年間、君一人で?」

「まあな。リムさんはいるけど、同居人って感じじゃないし……あ、旅に出たってのは比喩じゃないからな。両親は生きてるぞ、二人して放浪癖があるだけで」

 エルトの十五歳の誕生日、父は、自分も十五の時に継いだのだからと、理由にならない理由を言ってエルトに繕工(ぜんこう)を継がせた。とはいえ特に儀式めいたものがあるわけでも、門外不出の道具を渡されるようなことも、一子相伝の秘術を教わるわけでもなく、父が一方的に宣言しただけなのだが。

 エルトは玄関ホールを通り過ぎ、食堂の扉を開けてルインを先に入れた。火の気のない部屋はひんやりとしていて、暖炉の火を熾しながら食卓を指差す。

「座ってて。今、準備すっから」

 物珍しそうに食堂を見回していたルインは、椅子に座ることはせずにエルトに近付いてきた。

「手伝おう」

「料理できんの?」

 意外に思って見上げれば、ルインはやはり無表情で頷いた。

「しなければ食事はできまい」

「そうだけど、作ってくれる人とか」

「いないな」

「……そっか」

 それが当然のように言い切られて、エルトは目を瞬いた。色々事情があるのだろうと、問い返すことはせずに先を続ける。

「でも、手伝いはいいから座ってろよ。そんな手のかかるもの作らないし」

「いや、これ以上世話になるのは」

「大怪我が治ったばっかの奴に手伝わせるほど鬼じゃねえっての」

「……すまない」

「謝るなよ。きっちり返して貰うつもりでいるんだからさ」

 エルトは軽口のつもりだったのだが、ルインは困ったように眉を下げた。

「しかし、私は金になるようなものは何も持っていない」

「わかってるよ、俺が拾ったんだから。――料理ができるなら、掃除もできんだろ?」

「労働か」

「そういうこと。治ったら頼むよ。ここ、広いから掃除するのも一苦労なんだ」

「報いたいのは山々なんだが、長居をするわけにはいかないんだ」

「そうなのか? ま、そういう相談は食ってからな」

 会話を一方的に打ち切ってルインを残し、エルトは台所へ移動した。木箱に入っている食材を見下ろし、腕を組む。

(買い出し、どうすっかな……)

 二日前、ルインを見つけた日に降り出した雪は、未だに降り続いている。リムによると今日の夜には止むとのことだったが、それまでにかなり積もってしまうだろう。

 一番近い集落は東に徒歩で半日ほどの村で、日用品や食料はそこへ出向いて纏めて注文し、後日、配達して貰うのだ。特に冬は、雪が降ると身動きがとれなくなるので、その前に物資を買い込んで、冬籠もりをするのが常である。今年は初めて一人で冬越しをするので、仕事の配分がいまひとつ掴めず、出遅れてしまった。なんとか村まで辿り着いて注文しても、雪で配達できないとなったら意味がない。

 現在、エルト一人だけならば、あと一月は食い繋げるほどの蓄えがある。だが、二人分となると半月ともたないだろう。

(ルインに行かせるわけに行かないし、リムさんはお遣いしてくれないし……二人で留守番してて貰うか?)

 なんにせよ雪が止むのを待とうと後で考えることにして、エルトは芋を手に取った。パンは昨日焼いたものがまだあるので、スープと、卵で何かを作るくらいでいいだろう。

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