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一章 2

2


  短い映像が現れては消える。

 捕らえようと迫る幾つもの手。それらを掻い潜り、時には蹴散らして逃げる。相手が欲しいのは自分の力だ、捕まっても過度の暴力を振るわれたり、ましてや命を脅かされたりするわけではないとわかっていたが、かといって素直に協力する気にはなれなかった。話し合いは平行線のまま決裂し、絶対に相容れることはないのだから、もう放っておいてくれればいいのにと思う。

 次は、薄闇の中、雨のように降り注ぐ矢。一太刀ごとに舞い散る血飛沫。長い赤毛を翻し、哄笑(こうしょう)を上げながら大鎌を振りかざして迫り来る女。周囲の色彩は赤と黒に占められていた。炎が天を焦がし、影を不気味に揺らめかせる。耳を聾するほどの悲鳴と怒号、破壊音、破裂音。傷が増える。死が増える。殺したくはなかったが、死ぬわけにいかなかった。

「――…っ」

不意に意識が浮上し、彼は目を開けた。視界に入った天井は記憶にないもので、一瞬、混乱しかける。だが、すぐに自分は助けられたのだったと思い出した。ここは助けてくれた少年の家だ。

 喉の渇きを覚えてのろのろと起き上がると、

「起きたわね」

 突然現れた逆さまの少女に驚き、彼は息を呑んで瞠目した。人間なら十五、六歳くらいに見える少女が、天井からぶら下がるようにして彼を(のぞ)き込んでいる。

 固まっている彼をどう思ったか、少女はくるりと宙で回転すると、寝台の端に膝で着地した。ふわふわと落ち着かない若草色の髪は、それぞれが意志を持つかのように少女の周囲を漂っている。袖無しで膝丈のワンピースドレス一枚という、雪が降るような気候にしては異様なほど薄着なのも奇妙だ。明らかに常ならざる存在だが、彼女が何なのかは彼にはわからない。

「君、は」

「あら、やっぱりあたしが見えるの」

「見える……?」

 見えるも何もそこにいるではないかと問い返すが、少女はにっこりと笑うだけで答えない。

「あはっ、驚かせた? 熱が下がって良かったわね。――結構長く生きてるけど、あなたみたいに綺麗な人は初めて見たわ。眼福」

 一気に喋り、少女はにこにこと笑いながら小首をかしげた。

「あたしはヴェール・リム。この塔の主とは知り合いよ。あたしのことは『リムさん』で構わないわ」

 夢の合間に少年と少女の声を聞いた気がする。しかし、記憶が曖昧で同じ少女なのか確信が持てない。どう応えたものか困っていると、扉が勢いよく開いた。

「リムさん!」

 怒鳴るように呼び、少年がずかずかと入ってくる。リムと同じか、やや年長に見える少年は、長めの金髪を後頭部で括っている。

 リムはきょとんと首をかしげた。

「どしたの、エルト。怖い顔して」

「俺、ここには立ち入り禁止って言ったよな」

「ええ、聞いたわ。なあに、もう物忘れが酷いの? 注意しなきゃ駄目よ、人間、生まれたときから死に始めてるんだから」

「物忘れ心配する年じゃねえよ。いいからほら、出て」

「どうしてよ。寝てるならあたしだって遠慮したけど、起きてたもの」

「リムさんが起こしたんだろ」

「違うわよ、失礼ね。いいわ、エルトのいないときにまたくるから」

 少女は頬を膨らませ、飛び上がると同時に姿を消した。文字通りその場から消えたのを見て、彼は半ば呆然と問う。

「今のは……?」

「リムさん。このあたりの地霊らしいんだけど、ばあちゃんの代にここに居着いちゃって――って、んなこたどうでもいい。悪いな、リムさんが煩くて、起こしちまって」

「いや、起こされたわけじゃない」

「そうか? ならいいけど。――ちょっと診せてくれ」

 少年は首をかしげ、熱やら脈やらを診て一つ頷いた。

「うん、昨日よりはマシだな。でも、熱が下がりきったわけじゃないから、まだ寝てろよ。後で昼飯持ってくる」

「待ってくれ」

 (きびす)を返してすぐに出て行こうとする少年を、彼は慌てて呼び止めた。開き放しの扉に手をかけ、少年が肩越しに振り返る。

「なんだ?」

「時間があるなら、話を聞かせてくれないか」

 少年は少し考える素振りを見せたが、扉を閉めて戻ってきた。寝台の傍らに置いてある椅子に腰掛ける。

「そういや、名前も訊いてなかったな。俺はアクエルト・メルヒオール。エルトでいいよ。あんたは?」

 告げていいものか逡巡し、彼は短い方の名だけを口にした。

「……ルイン」

「ルイン、か。全部説明してると長くなりそうだから、一つだけ質問に答えるよ」

 一つと限定され、ルインはしばらく考えて問うた。

「どうして私を助けてくれたんだ?」

「瀕死の怪我人を助けるのに理由がいるのかよ」

「――…」

 何故わかり切ったことを訊くのかとでも言いたげに眉を顰めるエルトを見て、ルインは絶句してしまった。固まっているルインを見てどう思ったか、エルトは困った様子で髪に手を遣る。

「もっと別の、ここはどこだとか、俺は何者だとか訊かれるかと思ったんだけど。――理由が欲しいなら……、ただの性分だ。気にすんな」

「性分?」

 意味がわからずに問い返せば、エルトは自分の前髪を梳いていた手を閃かせる。

「俺、引き摺る性質(たち)なんだよ。家の近くであんたがぶっ倒れてるの見つけて、気になりつつも放っておいて、雪が解けた後に寸分違わぬ姿のあんたをもう一回見つけたときの俺の気持ちを想像してみろ? もう、絶望的だろ。あのとき助けてればって大後悔しながら名前も知らねえ相手の墓穴掘るしかないわ」

「……なるほど」

 想像するまでもなく憂鬱になり、ルインは口を噤んだ。エルトは続ける。

「しかも、もう一回見つけるまでずーっと気にしてるんだぞ。あの後どうしたのかとか、あの怪我で助かったのかとか、ずーっと。気になりすぎて別の感情に変わっちまったらどうしてくれる」

「それは……」

 ルインが言い淀むと、答えを期待していたわけではないらしく、エルトは小さく首を竦めた。

「ってなわけで、普段の生活で気になったことは、できるだけその場で解決するようにしてんの。延々引き摺るなら、多少面倒でもその場でどうにかしちまったほうがマシだろ」

「……難儀な性分だな」

「だろー? もうさ、俺、絶対これで損してるよな。治したいんだけど、これがなかなか」

「だが、おかげで助かった。ありがとう」

 礼を告げると、ぼやいていたエルトははたと動きを止めた。何故か慌てた様子で首と手を振る。

「だっ、そっ、ち……違うっての、性分だって言っただろ。俺のためにやったことだ、礼を言われる筋合いはねえよ」

 弁解めいたことを早口で言って、エルトは立ち上がった。

「一つ答えた、今日はもうおしまい。回復してなかったら次はなしだからな、訊きたきゃしっかり食って寝て治せよ。リムさんには邪魔しないよう言っとくから。……聞いてくれるかどうかわかんねえけど」

 言い置いて少年は部屋を出て行った。あの様子では回復しないと本当に何も話してくれなそうなので、大人しく寝ようとルインが横になろうとすると、リムが再び現れた。

「はぁい。調子はどう?」

「……リムさん」

 呼べば、彼女はにっこりと微笑む。

「覚えてくれたのね、嬉しいわ。まったくエルトったら、あたしだけ仲間はずれにしようとするんだもの。酷いと思わない?」

「ううん……?」

 答えを探し倦ねて曖昧な声を返すルインには構わず、リムは一人で喋り続ける。

「それはそうと、メルヒオールの名前に反応しないっていうのは、この大陸の住人じゃありませんって言ってるようなものよ。まあ、こんな辺鄙なところに、大怪我して倒れてたのがまず尋常じゃないけど。『塔』にくる用事がなければ、誰も寄りつかない場所だもの」

「塔……なのか、ここは。家ではなく」

「そう。世界広しといえど、『繕工(ぜんこう)の塔』はここ以外にないわ」

「ゼンコウ……?」

「繕工。平たく言えば修理屋さんってところかしら」

 エルトとは違い、リムならば制限なく答えてくれそうなので、ルインは問いを重ねる。

「繕工の塔……メルヒオールとは?」

「世界で一番有名な繕理(ぜんり)術師の名前よ。なにせ、初代が伝説だもの。エルトは三代目で、半年前に繕工メルヒオールを継いたばっかり」

「繕理術というのが、いまひとつわからないんだが……」

()()()にはないの? 生き物を治すのが治癒術なら、非生物を直すのが繕理術。繕工は、壊れた物を直す人ってこと。治癒術師っているでしょ、あんな感じよ。もっとも、使い手は治癒術よりもずっと少ないけど。繕理術を商売にしてるのは、今じゃエルトくらいね」

 魔法の一種なのだろうが、ルインの周囲に治癒術を操る者はいても、繕理術の使い手はいなかった。それを生業(なりわい)とし、世界で最も有名だというのだから、エルトの腕は確かなのに違いない。ルインの傷を癒してくれたことといい、エルトは優れた魔法使いでもあるのだろう。

「では……」

 ルインが続きを口にする前に、ズバン、と物凄い勢いで扉が開いた。

「リムさん!」

 大股で近付いてきながら険しい表情で睨むエルトへ、リムはにっこりと笑顔を向ける。

「あはっ。見つかっちゃった」

「ったく……わかってるならやめろっての。何回、同じこと言わせるんだよ」

「だって、久しぶりの、あたしが見えるお客さんなんだもの」

「客か? 倒れてたのを俺が担ぎ込んだんだけど」

「そうね。伝説のところには伝説が転がり込んでくるから」

 エルトは(つか)の間、不可解そうな顔でリムを見ていたが、やがて諦めた様子でかぶりを振った。

「はいはい。とにかく、怪我人にあんま無理させんな。リムさんは立ち入り禁止継続」

「ええー、つまんなーい。ふんだ、いいわよ。また後でね、ルイン」

 リムはエルトへ向かって顔を顰め、ルインには笑顔を向けてからぱっと消えた。エルトはため息をつき、天井を仰いで声を投げる。

「立ち入り禁止っつってんだろ」

 ルインは傍らに立つエルトを見上げた。

「……彼女は何者なんだ? 地霊という感じではないが」

「本人……って言っていいのかわからないけど、リムさんが地霊を自称してるだけだからな。父さんも謎っつってたし……って、質問は一つだけ! あんたな、自分が思ってるより大怪我なんだからな? 寝てろったら寝てろよ」

 突きつけるように言ってエルトは部屋を出て行った。急に静かになった空間で一つ息をつき、ルインは寝台に身体を横たえた。

(繕工……地霊……)

 横になると急に眠気が襲ってきて、考えが纏まらないままルインは目を閉じた。

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